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創作 霊験(4)-④ 知らせ

 脂問屋の朝は、その日一際賑やかだった。
 なんだか夜中が騒がしかったな、と、いつにも増して寝ぼけ眼の雇人たちの耳に、時を告げる鶏じゃなく、赤子の泣き声が聞こえてくる。しかも、御店の奥からだ。どうしたことだと思っていると、近頃顔を合わせようともしなかった主人夫婦が並んで御店にやってきて、しかも主人の腕にはさっきから聞こえてる泣き声の張本人の赤ん坊が抱かれているじゃないか。
 旦那様様、その赤ん坊はいったい、と、雇人全員のびっくりまなこを代表して、手代がおずおずと聞くと、娘が夜中急に産気づいてね、と、そこにいた誰もが手を止めることを主人が言う。
 驚いた手代は、いっとき言葉を失ったが、それでも気を取り直して、てえと、その、今抱っこしてらっしゃるのは、と、赤子をに眼をやる。
 うちの孫だ、孫娘だよ、と、主人は満面の笑みで答えた。
 店中がわっと湧いて、おめでとうございます、おめでとうございます、と、あっちこっちで声が上がる。みんな仕事の手を止めて、御店の後継を一目見ようと群がった。
 これこれ、と、主人は笑顔を崩さずに注意すると、女中の名を呼んだ。すまないが、女将と一緒にこの子を連れて、何処そこの若女将さんのところへ行っておくれ、そこで乳を飲ませてもらえるんだ。娘は元々体調が良くなかっただろ。そこにきて赤ん坊を授かったからさらに伏せって暮らすようになってね。そんなこともあって、無事に産まれるかやきもきしたものだ。みんなにも心配かけまいと思って生まれるまでは黙っていようと思ったんだよ。赤ん坊は元気だ。だが、母親は産後の肥立ちが良くない。乳も出ない。すまないが、赤ん坊の母親が回復するまで、みなさんには迷惑をかけると思う。よろしくお願いしますよ。
 と、主人が頭を下げると、任せておくんなさい、と、力強い声がいくつも上がった。
 いつの間にか店に出てきた若旦那に気付いた雇人が、この度はお子のご誕生おめでとうございやす、と、祝いの言葉をかけている。婿は嬉しさのかけらも見せずに、ああ、とか、ありがとうございます、と、祝辞に頭を下げている。それでも余計なことを言わない分別はある。主人はほっとした。
 今日は孫の誕生祝いだからね、お昼は少し豪勢にするよ、と、主人は声を大きくした。楽しみにしておくれ。
 店が嬉しそうな雇人の声で溢れる。

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