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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第35章

第35章 落合解任への陰謀に屈せず、逆転優勝で球団史上初の2連覇~2011年~

 2011年10月18日、球団史上最大の10ゲーム差を逆転して、球団史上初のリーグ連覇を成し遂げた中日。しかし、優勝後、次々と明らかになってくる事実は、まるで映画のような衝撃的裏事情だった。
 数々のメディアで流れた情報を時系列の順に並べると以下のようになる。

 3月25日、中日球団社長に坂井克彦が就任し、球団代表に佐藤良平が就任。2人ともアンチ落合派として有名。ここから落合解任ありきの悪意ある陰謀が進んでいく。

 6月20日、中日公式ファンクラブ事務局長が株主総会で落合のファン感謝祭欠席などを批判。しかし、後に、ファン感謝祭ではドームで出番を待っていた落合監督を呼ばなかったという事実が発覚。中日は、前日に交流戦を終え、セリーグで唯一勝ち越しを記録していた。

 7月後半、前半戦終了時、中日球団から落合監督へ続投要請なし。借金2ながらリーグ2位の成績。

 8月5日、5位転落を受けて東京スポーツの取材に中日の坂井球団社長が監督人事に言及。観客動員減少を理由に落合解任の方針をほのめかした。

 9月6日、中日が巨人に敗戦した試合後、中日球団幹部がガッツポーズをしたのを複数の人々が目撃、との報道。
 その後、ヤクルト戦でも、敗戦後にガッツポーズをして目撃、との報道。

 9月22日、4.5ゲーム差を追う首位ヤクルト4連戦直前、中日球団が一方的に落合監督解任を発表。解任理由は「新しい風を入れる」。

 10月4日、前日に首位ヤクルトまで2ゲーム差となり、13連戦初日のこの日、中日球団が石嶺和彦・高木宣宏コーチの解任を発表。

 10月6日、前日に首位ヤクルトまでゲーム差なしとなり、中日球団は、森繁和・辻発彦・小林誠二・田村藤夫・笘篠誠治・高柳秀樹・奈良原浩・垣内哲也・勝崎耕世の大量9コーチ解任を発表。
 その日のナイターで、中日がついにヤクルトを逆転して首位浮上。

 10月18日、中日が横浜と3-3で引き分け、球団史上初のリーグ2連覇を達成。

 こう見てみると、中日の球団社長坂井克彦と球団代表佐藤良平は、就任当初から、落合を解任させることだけを目的に動いていたと断定できる。

 そして、中日にリーグ優勝の可能性が高くなっていく9月からの露骨な妨害工作は、あまりにも悪質な手口だった。ここまで自らの球団を優勝させないように妨害した球団幹部は、前代未聞にちがいない。中日ファンでさえ、多くがネット上で失望を隠せなかった。

 だが、落合監督やコーチ陣、選手たちは、そんな妨害をものともせず、プロフェッショナルに徹してリーグ優勝を勝ち取った。特に9月7日からの成績は、他の球団を圧倒して24勝8敗4引分である。
 このシーズンの流れは、そのまま映画化してほしいほど奇想天外なストーリーである。野球は、小説や映画を超えていく。

 私は、このシーズンのはじめ、『シリコンバレーからドラゴンズを語る』というブログを見つけた。中日の試合と落合采配を日々解説しているため、楽しく読ませてもらっていた。落合監督退任とともにブログも幕を閉じてしまうのだが、そのブログのあとがきは、私の想いをも代弁してくれていた。
「中日ファンとして、尊敬できる素晴らしい人が監督を務め、結果これまでに無いペースで勝ちをもたらしてくれたというこの至福の8年間において、論理的に物事を見るスキルがないために逆につまらない8年間を送ってしまったとすればそれはおおいなる損失であるように思う」

 この文章こそ、落合監督の8年間への感謝と、優勝を目指して応援するファンの想いを踏みにじった中日球団への非難が集約されている。

 2011年の落合監督解任騒動を振り返ると、中日の球団幹部やOBに、少なからず、中日が勝ち続けるのをつまらなく思っていた人々がいたわけである。

 全国を騒然とさせた敗戦ガッツポーズ騒動には、後日談もある。
 中日球団が球団幹部の敗戦ガッツポーズ報道で実名を記載されたことに対し、デイリースポーツに抗議して謝罪文を掲載してもらったのである。
 本人確認を怠った、ということだが、本人確認して「落合解任を実現するため、敗戦を喜び、ガッツポーズした」とさすがに自白することはないだろう。

 それゆえに、あくまで中日球団の自己満足と世間からの批判対策にすぎないのだが、首位攻防の各ポイントで監督・コーチの解任を連発しておきながら、リーグ優勝してしまったから批判されるのを避けようという魂胆はいただけない。
 本気で敗北を願っていなかったのなら、監督・コーチの大量解任を即座に撤回すべきなのが筋だからである。

 謝罪文騒動では、中日球団が落合野球を支持しているのか、支持していないのかの方針が世間に全く伝わらない。無駄に表面を取り繕おうとするあまり、球団の方針が見えなくなってしまっていた。

 中日球団は、もっとはっきりと自らの方針をファンに伝えた方がよかった。長年、中日を見てきた者からは、既に状況から分かるため、ネット上の中日ファンの間ではいろいろ論じられている。だが、表面的なファンやその他の野球ファンには伝わらないのである。

 中日球団は、2012年のスローガンを「Join us ファンと共に」に決めた。落合監督の下では8年間常に「ROAD TO VICTORY」である。私が愕然としたのは、2012年のスローガンに勝利の意味がすっかり消えてしまったことである。

 もはや中日球団が求めるのは、優勝し続けるプロフェッショナルな野球ではない。3試合のうち、2試合負けても、1試合を華麗なホームラン攻勢で勝つ華のある野球だ。0点に抑えて1点を守り切り勝つ強い野球ではだめなのだ。つまり、素人好みの野球である。

 これは、8月に東京スポーツのインタビューで球団社長の坂井自身が「やっぱりファンは打たないと興奮しない。素人はそうですよ。僕も素人だからそう思います。特にホームランをね。」という同趣旨の発言をしている。
 そして、中日球団は、能力のある指導者で固めるのではなく、生え抜きの元OBの働き場所を確保し、彼らのファンとタニマチでシーズンチケットを売りさばく。強くなってチケットに結びつかない全国的なファンを増やすことよりも、弱くとも地元企業との結び付きを強め、チケットに結びつく地元ファンを増やしたい。

 中日球団が首位攻防戦や首位奪回の過程で、監督やコーチの解任を連発したのは、中日球団が落合野球とは異なる道を選択することへの強い決意である。
 実際、8年間で4回優勝する野球を捨てて、67年間で5回優勝する野球に戻すのは、勇気のいる決断ではある。とはいえ、ホームランを多く見たいファンを満足させる野球を目指すのも、理解できないわけではない。
 あくまで競技として野球を観るか、娯楽として野球を観るかの違いだ。

 仮に中日球団の目指す野球が開花し、落合野球の遺産である投手力・守備力・走塁力を何とか維持できるなら、その後数年は優勝争いできただろう。
 しかし、現実は厳しかった。わずか1年余りで中日球団の目論見は崩れてしまった。

 それなら代わりに、中日が緻密で玄人好みな落合野球から脱却することで、本当にファンを増やせたのか。

ナゴヤドーム観客動員数
2011年:2,143,963人
2012年:2,080,530人
2013年:1,998,188人

 2012年に前年から6万人以上減らし、2013年には8万人以上を減らした。

 この結果から、私が言えるのは、落合が見せた野球以上のものを見せられないという大きな弱点を埋め合わせられるだけのサービスを作り上げるのは極めて困難だということである。

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