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『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第40章』

第40章「自分から右打ちなんてするな」

和田一浩は、2008年にFAで中日に移籍して、落合に打撃指導を請い、その結果として2010年に38歳という高齢でシーズンMVPを獲得した。

その後、さらなる打撃指導を受けて高みを目指したが、飛ばない統一球の影響もあって、2011年は逆に成績を落としてしまう。

それでも2012年以降もまずまずの成績を残し、2015年には79試合出場ながら打率.298、5本塁打の成績を最後に43歳で現役を引退。

その引退を言い渡したのが当時GMだった落合である。
落合の打撃理論を最も深く理解し、最も打撃指導を受けて師弟関係と言える立場にあった和田。
私は、そんな和田が翌年もまだ活躍できそうな成績を残しながら、なぜ戦力外を言い渡されたか、気になっていた。

おそらく、その答えとも言える落合の理論を綴っているのが、『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著)の第8章「和田一浩 逃げ場のない地獄」だ。

和田は、ある試合でノーアウト2塁から定石の右打ちをした後、落合に呼び出され、そこで衝撃を受ける。
こんな言葉をかけられたからだ。

「いいか、自分から右打ちなんてするな。やれという時にはこっちが指示する。それがない限り、お前はホームランを打つこと、自分の数字を上げることだけを考えろ。チームのことなんて考えなくていい。勝たせるのはこっちの仕事だ」

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著)

普通なら称賛される定石のチームプレーを生まれて初めて叱責された和田は、その後、次々と常識を覆していく落合を目の当たりにする。

そして、ある試合で投手が失点を重ねたとき、落合は、不動の正捕手谷繁をベンチに下げる。
そのとき、和田は、落合が勝ち続ける理由について、ひとつの結論に達するのだ。

どれだけ勝利に貢献してきたかではなく、いま目の前のゲームに必要なピースであるかどうか。それだけを落合は見ていた。それが勝てる理由であり、同時に和田を畏れさせているものの正体だった。

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著)

一切の情を排して、理だけで判断し続ける落合。

和田があの成績を残しながら引退してしまったのは、『嫌われた監督』から類推すれば、こういうことだ。

2015年、43歳という年齢で打撃技術は保持しているものの、守備や走力、体力の衰えにより、全盛期の半分以下の打席にしか立てなくなった。本塁打も前年の16本から5本に落ちた。そんな和田を、落合は必要としなくなった。

落合から必要とされなくなったら、引退すると決めていた和田は、戦力外通告を受けて、即座に引退を決断した。

きっと、すべては、論理的に動いていたのだ。

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