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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第25章

 第25章 落合が国賊扱いされたWBCへの中日選手不参加騒動~2009年~

 タイロン・ウッズ、川上憲伸、中村紀洋が抜け、中日へのBクラス予想が大勢を占める中、さらなる追い打ちが落合を襲う。

 2009年3月に開催となる第2回WBCである。

 2006年の第1回WBCで世界一を獲得した日本代表。2009年はディフェンディングチャンピオンとして望む大会だ。
 連続世界一を期待する国民の声は多く、日本代表監督選びから難航する。

 北京五輪前は、星野仙一が濃厚だった。しかし、北京五輪で不可解な采配が続き、メダルなしの4位に終わってから、世論は、星野外しの方へ動いていった。

 それでも、星野が参加するWBC体制検討会議では、星野をWBCの監督にして北京五輪のリベンジをさせようという動きとなった。

 これには、選手たちからも反発が出て、特にイチローの意見は大きく風向きを変えた。
 その結果、「WBC監督候補は、現役のプロ野球監督に」という動きが勢力を強めた。

 そして、日本一になった経験を持つ現役監督が次々と名前が挙がったのである。

 落合の名前は、マスコミの間で北京五輪後からずっと名前が上がっていた。しかし、落合は、先手を打つようにマスコミを通じて固辞の意向を表明する。

 落合のそれまでの監督生活を見ていれば自明ではあった。2月のキャンプから開幕に向けての調整がいかに大切か熟知している落合。
 巨人のような巨大戦力で押し切る野球をするわけではないだけに、選手たちをしっかり鍛え上げて、実力を見極めながら開幕後の戦略を練らなければならない。

 この時期に日本代表監督をするはずがなかった。

 そのため、有力候補として挙がったのは、2008年に西武で日本一を達成した渡辺久信だった。だが、渡辺は、まだ西武監督1年目。日本代表監督就任に消極的な意向を示した。

 そうなると、残るは2008年にリーグ2連覇を達成し、2002年には巨人を日本一にした原辰徳だった。原は、監督就任要請を受諾し、日本代表監督に決定した。

 その後、原は、第2回WBCの日本代表選手を選考。そこで最大の騒動が起きる。

 選ばれた中日の岩瀬仁紀・浅尾拓也・高橋聡文・森野将彦・和田一浩の5人がすべて辞退したのである。しかも、公式に辞退理由は表明せず。

 元々表明する必要はなかったが、全員が辞退しただけに、マスコミや世間は、中日がWBCをボイコットしたかのように騒ぎ立てた。
 そのため、中日の辞退選手は、辞退理由を公表させられる羽目になった。

 岩瀬・森野・和田は、体調が万全でないこと。浅尾は、年間通してまだ活躍したことがないこと。高橋は、調整面で不安があること。

 しかし、世間では、こんな憶測が流れていた。
「落合が選手たちに指示を出して辞退させたのではないか」

 根も葉もないデマではあったが、落合の考えをよく知らない者たちは、落合ならやりかねない、と思っていたのだろう。

 落合の国際大会に対する考え方は、一貫している。
 すべては選手の自己責任。出場して故障しても、球団やNPBは補償をしてくれない。活躍したり、優勝したりして称賛されるのを望むのであれば出場すれば良いし、故障したり、敗北したりして批判されるのを回避したいなら辞退すれば良い。

 落合にとっては、選手がペナントレースで中日の戦力として機能するかどうかが重要だった。

 その一方で、選手が国際大会に参加してさらなる進化を遂げたり、活躍して大リーガーへの飛躍につながる可能性があるだけに、道を閉ざすようなことはしない。

 だから、落合は、内心では国際大会に出てほしくない、と思っていながらも、国際大会辞退を指示はしないのだ。

 このように、球団や落合が主導でWBC日本代表を辞退させた事実は一切なかったが、マスコミや原は、中日球団を一方的に批判した。

 そして、落合が世間から批判された理由は、もう1つあった。
 実は、中日の全選手がWBC出場を辞退したわけではなく、台湾人のチェン・ウェインだけは、台湾代表としての出場を快諾していたためである。

 その事実は、世間の批判を加速させた。
「落合は、日本に協力せず、台湾に協力する国賊だ」と。

 その後、中日や落合にとっては不都合な結果が生まれる。日本代表が中日選手抜きでWBC2連覇を達成したからだ。

 WBCで活躍した選手たちを抱える球団が称賛される流れの中、シーズンが始まると、中日への風当たりは一層増すことになる。


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