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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第36章

監督1年目と監督最終年が全く同じ結果だった落合の凄み

 2011年のクライマックスシリーズファイナルステージは、セリーグ優勝の中日がセリーグ2位のヤクルトをアドバンテージを含めて4勝2敗で勝ち抜け、日本シリーズに進出する。
 落合にとって、監督8年間で5度目の日本シリーズである。
 過去4度の日本シリーズは、1度日本一に輝き、3度敗れている。

 短期決戦は、波に乗った選手の活躍が結果を左右する。緻密な戦略を冷静に駆使する落合は、短期決戦を苦手としていた。

 2011年の日本シリーズの相手は、ソフトバンク。シーズン88勝46敗で貯金42。2位に17.5ゲーム差をつけてリーグ優勝を果たしている。
 豊富な資金力を背景に、総合力で圧倒する最強チームだった。
 世間の下馬評は、もちろんソフトバンク有利。

 一方、投手を中心とする守りの野球で、豊富な資金力の巨人、阪神を倒してきた中日。勝ち目があるとすれば、僅差の接戦を勝ち抜くしかなかった。

 日本シリーズ第1戦と第2戦は、まさに落合野球の真骨頂であった。
 ビジターで、しかも相手投手は、日本を代表する左腕エース和田毅、杉内俊哉。
 ほぼ勝ち目がない状況で中日は、2試合とも1-1で延長戦に持ち込み、延長10回表に決勝点を奪って2-1で連勝する。

 第2戦の3回裏には、内川聖一の打席で落合が内川のバットのグリップに何か入っていると指摘し、試合を中断して確認が行われる事態が起きた。スポンジ状のものが入っていたようで、問題なしとの判断ではあったが、内川はこの打席から9打席連続で凡退している。
 第2戦までは心理戦も仕掛けた落合の思惑どおりの結果が出たのだ。

 しかし、第3戦と第4戦は、ホームのナゴヤドームであるにもかかわらず、中日らしからぬミスが続き、連敗。
 第5戦は打線が沈黙し、完封負けを喫する。

 それでも、2勝3敗で迎えた第6戦は、3度目となる2-1で勝利する。中日は、クライマックスシリーズでも勝った3試合中2試合を2-1で勝利していた。つまり、ポストシーズンの6勝中5勝を2-1で勝ったのだ。
 まさに投手を中心とする守りの野球の集大成である。

 そして、迎えた第7戦は、2007年の日本シリーズで8回完全投球を見せた山井大介。あのときの再現に期待がかかるも、3回裏に安打2本と四球で無死満塁のピンチを招き降板。リリーフした小林正人が押し出し四球を与え、先制点を許すと、その後も救援陣が4回と7回に失点し、0-3で敗れた。

 リーグ優勝を果たしながら、日本シリーズは最後の最後で敗れ、3勝4敗。
 この結果は、驚くべきことに落合が監督1年目で残した成績と全く同じであった。
 これまで、監督1年目と監督最終年で全く同じ好成績を残した者はいなかった。常識ではありえない成績。それが監督落合を象徴していた。
 おそらく今後も、そんな監督は現れないだろう。

 日本シリーズ終戦から2日後の2011年11月22日、落合は、監督退任会見を開く。
 このとき、落合が後継者に指名したのは、谷繁だった。振り返ってみれば、8年間、投攻守の3方面から落合野球を実践してきたのは、谷繁ただ1人である。
 落合や森繁和の意図を素早く汲み取り、ダイヤモンドの中でチームを動かしてきたのは、まぎれもなく谷繁だ。それゆえに、落合政権の8年間が終わったとき、谷繁は、チームの浮沈を左右する存在となっていた。

 逆に言えば、谷繁が元気であれば、チーム成績が大きく崩れる心配はなかった。それに、落合が8年間鍛え上げた選手たちがそろうだけに、年が明けただけで一気に弱体化してしまうことも考えにくかった。

 2011年に打撃陣が苦しんだ統一球への対応さえ、上手くいけば、打線も、2010年以前の勝負強さを取り戻すだろう。
 2010年がチーム打率.259、2011年が打率.228と3分以上も落ち込んだのは、過度に統一球を意識しすぎて各選手が打撃を大きく崩してしまったのが原因だった。

 特に和田は、2011年に腰への負担軽減と理想のフォーム追求に向けてオープンスタンスからスクエアスタンスに変えるという打撃改造を行っていた。それが統一球導入と重なったことで、和田は、長いトンネルに入り込んでしまったのである。不運な不調であった。

 落合は、2011年中日打撃陣が統一球に苦しんだ理由を「統一球を意識しすぎて、ボールを振りすぎ」と指摘している。これは、おそらく落合が中日に言い残した最後の指導発言である。中日の打撃陣が本来の姿に戻るためには、統一球への対応だけが課題だった。

 打線は、2011年よりは良くなる。落合も、予測していたように、2012年には統一球にそれなりに対応できることは目に見えていた。
 また、大島、平田、堂上兄弟、野本ら、若手野手も、順調に成長してきており、今後に期待が持てた。

 投手陣も、左のエースだったチェンが大リーグ移籍のために抜けることになったが、代わりに大リーグに移籍していたかつてのエース川上憲伸が中日に復帰した。そして、大リーグで通算44勝を挙げた投手ソーサも、入団テストで獲得した。
 そのうえ、若手投手の山内、岩田、大野らが順調に成長しており、上手くいけば2011年以上の強力投手陣となる。
 それぞれの投手が実力通りの働きをしてくれれば、投手陣は万全である。

 むしろ不安の種は、ほとんどが入れ替わった中日首脳陣にあった。前回監督時にリーグ優勝の経験がない高木守道監督と、73歳の権藤博投手コーチ。そして、中日OBで固められたその他コーチ陣である。リーグ連覇を達成した首脳陣を一掃して、あくまで観客減を防ぎ、「Join us ファンと共に」というキャッチフレーズで観客動員増を目的とした布陣である。

 そんな中日にとって、例年以上に脅威となるのが巨人だった。巨人は、2011年の日本シリーズ前日にお家騒動とまで言われた清武代表の電撃辞任があった。これにより、巨人は、育成によるチーム作りから、かつての資金力を生かした大型補強によるチーム作りへと転換を図る。

 そして、日本一となったソフトバンクからエースの杉内俊哉、最多勝のホールトンを獲得し、横浜から不動の四番打者村田修一を獲得したのである。さらに、高年齢のラミレスを放出して、大リーガーの外野手ボウカーを獲得し、MAX163キロの剛腕投手マシソンも獲得する。
 獲得した選手たちが実力通りの働きをすれば、かなり手強い。

 リーグ3連覇を狙う中日と、それを阻止するために大型補強をした巨人。その2球団を中心にペナントレースが進み、2011年2位のヤクルト、4位の阪神がその隙をうかがう。この4チームのいずれかがリーグ優勝する可能性は高かった。

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