シェア
犬山翔太
2022年5月30日 20:10
監督1年目と監督最終年が全く同じ結果だった落合の凄み 2011年のクライマックスシリーズファイナルステージは、セリーグ優勝の中日がセリーグ2位のヤクルトをアドバンテージを含めて4勝2敗で勝ち抜け、日本シリーズに進出する。 落合にとって、監督8年間で5度目の日本シリーズである。 過去4度の日本シリーズは、1度日本一に輝き、3度敗れている。 短期決戦は、波に乗った選手の活躍が結果を左右する
2022年5月23日 21:22
第35章 落合解任への陰謀に屈せず、逆転優勝で球団史上初の2連覇~2011年~ 2011年10月18日、球団史上最大の10ゲーム差を逆転して、球団史上初のリーグ連覇を成し遂げた中日。しかし、優勝後、次々と明らかになってくる事実は、まるで映画のような衝撃的裏事情だった。 数々のメディアで流れた情報を時系列の順に並べると以下のようになる。 3月25日、中日球団社長に坂井克彦が就任し、球団代表
2022年5月16日 22:32
第34章 先を見越した真夏のデーゲーム廃止と快進撃~2011年~ 2011年の前半戦終了時、中日は、2位ながら借金2と苦しんでいた。通例であれば、落合が次の年も監督続投なら、前半戦終了時に白井オーナーから続投要請がある。 しかし、2011年は、それがなかった。白井文吾オーナーは、続投について「決めかねている」との発言をしていた。 後から考えれば、当時、落合監督続投を求める白井オーナーと、落
2022年5月10日 21:18
第33章 2011年の落合コメントから見る驚愕の予言計算 2011年の中日は、東日本大震災の影響で4月12日開幕となったビジターでの横浜3連戦で負け越し。 4月19日からの神宮でのヤクルト3連戦は、貧打にあえいでまさかの3連敗。 この年に導入された飛ばない統一球に中日の打者たちは苦しんでいた。職人気質の繊細な打者が多いだけに、なかなか新しいボールに適応できなかったのだ。 前年のリーグ優
2022年5月3日 23:56
第32章 2011年の激動にも動じない、先を見越した戦略 2011年は、落合監督の3年契約最終年である。 もしかしたらこの年限りで契約終了となるのではないか。私にはそんな懸念があった。3月25日に西川順之助球団社長が退任したからだ。 落合の能力を高く買ってくれる社長がいなくなり、エンターテイメントとしてのファンサービスをしない落合を快く思っていない勢力が台頭すれば、落合の続投はないかもしれ