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犬山翔太
2021年12月30日 11:42
第4章 抑えに岩瀬を抜擢した落合博満~2004年~ 私が特筆したい2つ目のサプライズは、岩瀬の抑え転向である。 2003年の中日は、前半がギャラード、後半には大塚晶則が主に抑えを務めていた。しかし、ギャラードは、首脳陣との確執から2003年中盤に横浜に移籍、大塚も2003年オフに大リーグ移籍が決まり、抑えを務める投手がいなくなった。 絶対的な抑えギャラードがいた中日が近鉄の抑えだった大塚
2021年12月28日 20:53
第3章 落合博満が繰り出したサプライズ~2004年~ 「サプライズ」という言葉が流行したのは、2004年である。小泉純一郎首相が武部勤を幹事長に起用し、田中真紀子を大臣に起用した人事などが「サプライズ」と話題を呼んだ。 「サプライズ」は、競馬のCMにも使われ、さらには、いろんな人々が日常生活で使うようになって、全国に浸透。流行語となった。 そんな中、落合監督の開幕投手川崎憲次郎起用もまた
2021年12月26日 17:42
第2章 落合博満がコーチ経験なしでいきなり中日監督に就任~2004年~ 落合が指導者になる瞬間は、大きな衝撃とともにやってきた。 2003年10月8日、くしくもあの伝説の10.8決戦と同じ日に中日監督への就任が発表になったのである。落合が選手として中日をFA宣言で出てから10年がたっていた。 なぜ落合を監督にするのか。一匹狼のイメージがあまりに強いため、当時の中日ファンの間では動揺が広が
2021年12月25日 17:36
第1章 落合博満は、引退後、どの球団で指導者をするか~2003年以前~ 1998年、落合博満は、この年限りで20年間に及ぶ現役生活を終えた。 まだ代打の切り札なら充分に戦力となる。 私は、そう確信していた。 だが、そういう役割で落合を獲得する球団はついには現れなかった。 落合も、正式な引退表明をしなかった。自由契約選手として獲得球団を待ったのだ。 しかし、どの球団も獲得の意向を示さ
2021年12月24日 21:48
序章 落合の監督退任からの10年は物足りなかった 今『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平著(文藝春秋)が話題だ。 ネットニュースで頻繁に見かけるから、無性に読みたくなる。 この本は、日刊スポーツの記者から見た監督落合博満を描いているようだ。実際に8年間、落合に多数取材してきた記者が書いたノンフィクション。 それだけに、監督落合の実像が鮮明に浮かび上がっているであろう