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私に学歴の話をしないで【前半】

学歴の話は苦しい。

大学1年生の秋の時期なのに、
高校生の時に受けた模試で〇〇大学がA判定だったとか
従妹の〇〇が指定校推薦で〇〇大学受かったとか

全部、全部、やめてください。

私は頑張れなかった、高校受験も大学受験も



小学校中学年のとき、
お兄ちゃんが高校受験のために
近所の大手塾に通い始めた。

お兄ちゃんは小学校の頃は勉強が好きではなかったため
苦しそうだった。

お兄ちゃんが壊れていくのを間近でみた。
毎日、発狂して頭を壁に打ち付けて大声出して
よく分からない歌を歌っていた。

それが物凄く怖かった。

その行動にお父さんが怒って
今まで私たちは殴られっぱなしだったけど
お兄ちゃんは靴下に小銭を入れて振り回していた。

怖かった、痛かった。

タブレットと3DSを真っ二つに割られていた。
良い成績取らずに遊んでいたから?

なんでそんなことするのか分からなかった。

でも、私が中学生になったら
私に順番が回ってくるのだと怯えていた。

中学校にあがるのが怖かった。



父と母は私たちに県内で1番目のトップ高校に行って住んでいる地方の
旧帝大に受かることを望んでいた。

私は怖かった、受からなかったときどうしようって。
お父さんとお母さんに見放されるんだ、
お兄ちゃんにしていたように
私もため息をつかれて 殴られるんだ。

不安になって小学生の頃から何度も母に聞いた

「私、お母さんが望む△△高校に受かって○○大学に受かるかな」

お母さんはその度にこう言った。

「受かる未来しか見えないから大丈夫だよ」

私にはその言葉が呪いとなった。


ある時、父にパソコンの前に呼ばれた。

その画面に映っていたのは、
大学の偏差値表だった。


「いいかい、お見舞いちゃん
@@大学より下の大学には行く価値がないからね」

その言葉が今もなお、脳裏に浮かぶ。
呪いとなった。



中学にあがって最初のテストがあった、中間考査。

県内1の高校に受かるためには、
5教科で450点を取ることが目安らしい。

ほどほどに頑張った。
私はお兄ちゃんとは違い勉強が苦ではなかった

自分で計画を立ててやれていたので
塾には通わなかった。

テストが返ってきた、私は440点台だった。

母に言われた

「あんだけ頑張ってこれ?」

見捨てないで、もっと頑張るから。

私は母に聞いた。

「頑張るから期待してくれる?」

「するわけないじゃん。お兄ちゃんに期待しても
ダメだったのに」


なんで、お兄ちゃんは頑張って
ママとパパのために頑張って
望む高校に受かったよ、なのにダメなんだ。

期待して、まま。
私、頑張るから。ちゃんとままとぱぱが望むように。


次のテストでは、次は

褒めてもらわなきゃ、ままに認めてもらわなきゃ

不安で不安で
苦しくて苦しくて

耳元で声が聞こえるようになった

「こんなんじゃまた悪い点数になるよ」

「まだまだ努力が足りない」

「△△高校にはお前は受からない」

小学校からあった希死念慮がひどくなった

テストでいい点数とれないんだったら

△△高校に受からないんだったら

死んだ方がマシだと思った。
恥ずかしく思えた、生きていることが
テストでいい点数をとれないくせに


この頃からリストカットを始めた
それまではお兄ちゃんの真似をして
壁に頭を打ち付けていた。

でも、うるさいと怒られて殴られるから
私は近所のスーパーに売っている99円のカッターを
貯めていたお年玉から買った。

教科書は血まみれになった
それでも頑張った。でも無理だった。

頭が重い、体がだるい、

死にたい死にたい死にたい死にたい

文字と数字が認識できない。


弱かったわたしはネットに頼ることもあった。
そのせいで悩みが増えることもあった。

夜は眠れなくて朝は起きれなくて。


中学三年生になった。
私はまだ、塾には通っていなかった。

夏になり、兄が通っていた進学塾の夏期講習に行かされた。
私は嫌だった、学校も嫌いで放課後まで制服なんて着たくなくて
学校の人に会いたくなくて
私の、私だけで勉強はやりたかったのに。

行きたくないと言ったけれど
母は約束したじゃんと怒った


勉強が本格的に嫌いになった。
毎日のテストの結果で席順が決まって
それによるカーストみたいなものもあって

先生からは
「中二のときから変わったね、
△△高校には受からないよ」

「今のままじゃどこにも受からないよ」

と嘲笑われた。


不安は増える一方で苦しくて辛くて
前が見えなかった。


塾に行きたくなくて泣いていたら、
父からゴルフバットで殴られた。

殺してはもらえなかった。


結局、その塾は私があまりにもやる気がなかったので
塾のほうから夏期講習後は来なくてもいいと言われた。

安心した。

△△高校は諦めることにして
私立のトップ高校を目指すことにした。

私立の雰囲気や校舎の方が自分には
合っていると思ったからだ。

そのために秋頃から違う塾に通うことになった。

いろいろ言いたいことは山積みだが受験1週間まえに
「うちでは面倒がみきれない」
と電話がかかってきた。

強制退塾だった。

私は理由を聞いてはいないから
憶測でしかないけれど原因は2つあると思う

1つめは携帯電話使用禁止なのに触ったこと

なぜ私がスマホを触ってしまったのかというと
ストーカー君の行動が怖かったからである。

クラスメイトに、
「ストーカー君がお見舞いちゃんと付き合っていて
3回浮気されたとLINEで言っていたけど本当?」
と聞きそのスクショをすぐに見たかった。

ストーカー君の話を簡単にしよう。

私には、夏ごろからクラスメイトに
ストーカー君がいた。

詳しく話すと長くなるが
昇降口の前で
「ハグしよ」と腕を広げて待ち伏せされていたり

帰るときに後ろからついてきたり
家の前で待ち伏せされていたり…

よくあるストーカーで。

高校はストーカー君は違う高校に進学するはずだったが
私と一緒の高校に進学すると言ってきた。

バレないように嘘までついたのに
願書を書くときに見つかって

放課後に私が書いた願書が配膳台にあるーと思って
見るとストーカー君のものだったときは
顔が青ざめた。

初めて“恐怖”という感情で吐いた。

保健室の先生と女の先生を交えて
私とは一切関わらないと話をした。

担任の男の先生には
「付き合っちゃえばいいのに」と言われた。

マジで死ねよ、あの担任。

先ほどの話に戻り

クラスメイトに、
「ストーカー君がお見舞いちゃんと付き合っていて
3回浮気されたとLINEで言っていたけど本当?」と言われた

もう関わらないようにと約束したのに?
やっといじめが落ち着いてきたと思ったのに
結局、また変な噂を流されて…と恐怖に苛まれた。

不安で、確認したくて
携帯を確認してしまった。

2つめはリストカットがバレたから。

これはもう簡単で、
そりゃあリストカットしている生徒なんて
お荷物でしかないから納得だ。

その当時、殴り書きしたメモがあるので
載っけておこうと思う。


私立の受験会場には、
もちろんストーカー君にストーカーされていて
トイレに行っても待ち伏せされていて

こんなのは全て言い訳ですね。
ストーカー君は受かって私は落ちました。

でも、専願入試だったから強制的に
ストーカー君とは離れることが出来ました。

縁切り神社に行ったおかげかな。

いいえ、私の実力不足。

結局、そこから私はどうすることも出来ないまま
三番手の公立高校に進学しました。

結局、なにも頑張らず
努力もせず
責任を他人と環境と過去に擦り付けて
私は逃げました。


大学受験の話は気が向いたら書きます。
ほぼ似たような話だけれど。

最後に。

今、親から言われた進路に関する言葉で悩んでいる人に届けたい。

いつか、その呪縛が解ける日が必ずくる。
私たちは私たちの人生をともに歩みましょう。

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