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【statement】「クバへ/クバから」_ステートメント

三野新「これは本当のことである、を再び引き受ける態度について」

 写真や映像を撮影することによって生まれるイメージは、「撮影者がイメージを写し出したことは事実である」ということが前提とされるので、逆に言うと、イメージそれ自体には、撮影者がその場所にいた、ということが鑑賞者に理解されてしまう。
 イメージがSNSを通じて大量に生成されている現代において、誰が、どこで、何を、と言う目的的な問いをイメージの鑑賞者は手に入れようとするし、「わかる」手がかりによってイメージを理解しようとすることが多い。そうすることで、なんとか大量に生成されるイメージ群を捌きつつ、処理していき、他者との関係性を紡ごうとする。イメージは、メディアであり、そのメディアは、他者との関係性のなかに織り込まれる変数である。
 しかし、イメージそのものにおいては、複数の「タグ」付けや言語的な示唆なしには、その所有者や場所への明示はされず、ただ写っているものがーーあっけらかんとーーある、と認識されることの方がイメージの領分としては大きい。と言うより、大きいがゆえに、イメージを考える際には取りこぼされてしまう領分でもある。
 そんな中、わたしは、イメージを変数として扱いつつ、イメージの領分の大きさを損なわない形で撮影行為を続けるために、舞台表現を扱うことが多いのである。今回のプロジェクトもその延長線上にあるものだ。
 本プロジェクトは、わたしが沖縄で撮影された複数枚のイメージを東京で展示しようとする際に引き起こされる心理的な障がいを懸念する個別的な状況に端を発する。そして、どのようなプロセスを経れば、撮影されたイメージを東京で展示できるようになるのか、を明らかにしてみたい、という目的によって企画されたものだ。
 これは、言い換えると、全く自分とは関係がなかった沖縄の風景に関して、イメージを撮影し、東京で展示することに対して、極めて搾取的な構造を感じてしまう、ということでもある。そして、そのような搾取的な構造を、どのようなプロセスや思考/試行によって変化させ、沖縄の風景と自分が対等である状態に近づけることができるのか、という問いでもある。
 一方で、あらゆる風景を撮影する自由は個人の権利として存在し、その発表を行う自由もまた保障されているはずである。そのために、わたしが感じた心理的な障がいは、良いか悪いかという断罪の話や、快不快という感覚的な問題ではなく、倫理的な問題として扱われるだろう。
 おそらく、自身の発表を躊躇う心理的な障がいは、沖縄のことを発表する、という時に感じる沖縄の特殊性と、自身の無知に起因すると同時に、切り取ったイメージに対して、撮影者である自分自身が、非当事者であることによって、あらかじめ表現をするための権利が剥奪されていると感じる心証から来ていると考えられる。つまり、よく知らん奴は黙っている方が良いのでは、という心証である。
 この感覚は表現全般に関しての前提となる話ではある。あらかじめ権利を剥奪されたままで表現を試みるには、まず現地へのリサーチやインタビューあるいは滞在制作を行い制作準備を長期的に行いそのプロセスもパブリックに表明する。その上でたとえ非当事者であっても当事者への真摯な態度を鑑賞者に感じさせるための一連の手つきが必要であるとされている。そして作品に発表の機会を与えることの可否は、制作者の一連の手つきによって生まれた実感を拠り所に判断される場合が多い。
 この制作者の実感とは一体なんなのか。
 現代において、その実感を得ることが表現の許可証となっていると私は感じている。言い換えると、当事者性を持つこと、あるいは当事者へ向けた真摯な態度の表明こそが芸術表現に関わることの「チケット」であり、その「チケット」の有無がコンセプトや審美性を超えて、作品評価の対象とされる状況。この状況には、かつて表現が当事者を蔑ろにしてしまっていた歴史への反省があるわけだが、一方で、では皆が皆、そのような「チケット」なしにはイメージを獲得し、表現し、展示することが阻まれる「何か」がある場合は、果たして自由で多様な表現を行うための社会的な基盤が十分であると言えるのか。あるいは、そもそもそのような「非当事者の怯え」が当事者のためになるのか、ということも疑問である。
 そのような表現のあり方から離れ、当事者性なしに表現を行いたいと作り手が考える場合はどうなるのか。芸術においてその行為がいかに非社会的あるいは非政治的に見えようが、そのように「見えさせる」ための身振りが社会や政治と切り離せない側面があるのも事実だとも言える。非社会的/非政治的に振舞おうとする際の政治性/社会性を置き去りにして、芸術作品が氾濫すること。これはこれとして自由な表現の保証と言えるのかもまた疑問である。
 例えば、わたしには知的障がいを抱えた兄がおり、彼は抽象的な意味での「知的障がい者」であると同時に、具体的な意味において、わたしと兄との幼い頃からの関係性や個別的な歴史や文脈を持った「知的障がい者」でもある。表現において「知的障がい者」との関係を扱うテーマの作品をわたし自身が制作しようとする際、私は当事者性を有していると考えられる。そこで扱われる自身の経験や歴史は、作品が制作されるための具体性を担保していきつつ、作品が抽象的な意味での「知的障がい者」をテーマとして敷衍された内容となっていく……。なるほど、それは真っ当な芸術制作の方法かもしれない。しかし、私が「身体障がい者」との関係を扱おうとするとどうなるのか。自身と当事者性の距離が遠ざかっていくように思える。それが「移民」の関係を扱う、「戦争」の関係を扱う、「福島」の関係を……どんどんスライドする形でテーマ設定が生まれてくる場合、表現の当事者性はどんどん離れていってしまう。
 昨今の状況、コロナ禍の物理的な移動制限において、非当事者は具体的な移動ができず、常に物理的な距離が存在する状況の中で、しかし政治性を伴った制作活動に取り組みたい欲望を抱える自分がいる。その中で、非当事者の当事者性の問題を考え、非当事者であっても表現が可能となるためのプロセスを提示できることが、現在の状況の中において、イメージを扱う作家として取りうる制作行為なのではないか、と考えるようになった。写真家の長島有里枝は、そのような態度を「第三者の当事者性」と呼んでいる(長島有里枝+武田砂鉄「フェミニズムと『第三者の当事者性』」『すばる』2018年9月号)。
 それぞれが何に当事者性を感じており、全く異なる文脈である物事に対しても、鑑賞者が同じような当事者性を感じられるようにすること、考えられるようにすることの方が重要であるように思える。そうしないと、この状況が続く限り真の当事者以外は口をつぐむしかない。これは表現を取り巻く社会の状況として芳しくないとわたしは考えている。そして、そうであるならば、もっと表現者は勝手にすれば良いのではないか、と考えるようになった。
 しかし、リテラルに「勝手にする」ことでさまざまな弊害も存在していたことを、わたしたちは歴史を通じて知ってもいる。「勝手にする」ことで生まれる想像力の欠如、暴力性、ハラスメントや様々な分断、無知による差別……等々に繋がる重大な問題もあることは見逃せないはずである。武田砂鉄は『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版、2020年)の中で、そのような状況の中でさえも何かを表明したり表現することを「後ろめたさ」という言葉で表現しているが、「後ろめたさ」を抱えながら制作行為を行う姿勢を具体的に例示してみることはできないだろうか。
 そこでわたしはーー写真と舞台芸術をメディアとして制作をする作家であるためーー写真と舞台芸術が共通に持つ性質としての「分ける」ことで制作できる場所を作りたいと考えた。つまり、非当事者が当事者性を持っていないイメージを「勝手にする」ことをフィクショナルな条件で上演し、現実と分けられた場所で、沖縄の風景と自身が対等になるための道筋を考えること。無知や分断や暴力性を持つことを恐れず、倫理性を逸脱してしまう上演空間の中で、最終的に最も優しく、「倫理的」であるためのプロセスを例示できるための演劇を行いたい。
 「第三者の当事者」として作品発表ができるための道筋を現実として設定でき、かつフィクションとして制作してみたいと考えた結果、そこで作られる世界は、まさに現実であるとともに、オルタナティブかつフィクショナルな場となっていく。私はそれを現実と「分ける」ことで演劇としてアーカイブすることを試みたいと思う。結果として生まれる物語を見定めた上で、社会に提示し、非当事者という当事者(「第三者の当事者」)がイメージに対して搾取的ではなくできるだけ対等である形で展示を試みることを、このプロジェクトの「上演」を通じて、あるいは「上演」のアーカイブを読んだあらゆる人ができるようにする。その上演がなされるための場は、果たして現実そのものと何が違うのか、あるいは、現実よりももっと過酷な地獄のような空間となっていくのだろうか。
 この一連の「上演」(わたしたちはそれを「プロジェクト上演」と呼ぶ)を通じて、当初の目的が実現された時に、ぐるっと回って最初の地点に戻ってしまうこともあり得るかもしれない。結局はわたしたちが「当事者」の実感を得ること、あるいは、当事者へ向けた真摯な「態度」を獲得すること、になってしまう可能性はある。しかし、それは、最初と全く同じ地点に戻るのではないはずだ。その上演行為自体のアーカイブが「戯曲」として広く読まれるものとなった上で、私はそれを新たな意味での写真集と呼んでみたいのだ。イメージが、全く関係のない場所にも届くということは、絶望や地獄ではなく、希望であることをわたしは表明し続けたいのである。


h「身振りと魂」

 三野さんの扱う問題のひとつに「身振りが似ていること」がある。それを「魂が近い」と呼んでいた。身振りは作ることができるし、なにかのまねをすることもできる。でもどこかで、それだけではない、なにかがあると思う。22才になったときから、出会う人が、あの人と同じだと思うようになる。あの人と、出会う人はまねしあっていない。知らない人どうしであると思う。顔は似ていない、まったく同じひと。そう感じるとき、すでに知っていた人と、初めて出会った人は魂がひじょうに近い。魂が近くなければ、どれほどまねをしても、同じになろうとしても、やはりどこか違う。魂の近いひとびとは、そのひとたちのしらない時間に、みじかい時間のあいだ、おなじひとでいてしまう。


笠井康平「上演のための7つのルール(Seven Rules for The Drama)」

 この上演でぼくは7つの役割を兼ねます。

 まず、それぞれの委員が思い描いたことを事業計画に落とし込む役割です。どのメンバーも正当な対価を得られるように「仕組む」こと、望まないリスクを負ったり、過大な負債を抱えないように「先立つ」こと、無益な困りごとが起きるのを「阻む」こと。言い換えれば、この上演を「退屈な」物語の枠に閉じ込める役目を担います。
 よこしまな期待の持ち主にとっては残念なことに、この上演では、主人公の生命と財産が危ぶまれることも、登場人物たちの人生が狂うことも、社会秩序が乱されることもないでしょう。救世主も大悪党も現れず、人間の生活がひたすら続くなかで、いくつかの「おもしろい戯曲」が書かれ、読まれ、演じられる。その土台となる「つまらない戯曲」をぼくは書き、折りにふれて書き換えるでしょう。

 何しろぼくもまたいぬのせなか座の一員で、メンバーシップを持つ者として、組織が不用意に危険を冒すのは避けたいと、ごく自然な成り行きで思うわけです(この心情こそ警戒すべきなんですけどね。家庭の幸福は諸悪の本ですから)。
 ともあれその事業計画は、ぼくを事務局長に起用します。事務局長は、組織の運営ほぼすべてに関わります。その役割は予算作成、組織開発、資金繰り、制度設計、会議編成、人事採用、企画統括、制作進行、広報戦略まで幅広く、しばしば絶大な権力を発揮します。とりわけ、組織の長が決定力を持たない押印マシンになっていて、合議のシステムが形骸化して機能不全を起こしている法人では。その専横が癒着や分断、抑圧の引き金になる例は、この国の政治経済史にあまりにもありふれている。「そうはならない」ために、ぼくには「何もしない」演技が要求されるでしょう。ゴドーを待つふたりにとっての木になること。
 ところが、事務局長はぼくに「契約」を求めます。制作・編集者のひとりとして、この上演で許され、義務づけられ、禁じられるふるまいとは何かを「じぶんで考えて」と言うわけです。「丸投げかよ」とぼく(制作)はぼく(運営)に思います。できあいの力関係に「言いなりになれ」と詰め寄られるよりマシですけど。「弁護士を頼むお金がないんだ」と言い訳するぼく(運営)に、ぼく(制作)はそこそこ分厚い文書案を示して、オンライン契約サービスで電子署名を迫りました(法人格は別なので)。

 その文書案は業務委託基本契約書(全29条)、業務仕様書(全20項目)、個人情報取扱特記事項(全10条)、プロジェクト参加規約(全14条)から成ります。多くの先行例から学んだ、権力を制御するためのツールキットです(内容解説と参考文献の紹介は「note」定期購読マガジンでやります)。
 もちろん、所詮は素人の手作り。思わぬ見落としがないか心配です。とくに第15条(表現の自由)が気がかり。でも、小規模チームが入念なリーガルチェックを受けるコストを負担できるはずもなく、契約自由の原則に身をゆだねるほかありません。おまけに契約書には著作権が生じないとする見解もあって、「みんなとの契約にも使おうかな」というぼく(運営)に、ぼく(制作)はかなり複雑な気持ちを抱いています。「対等な合意とは?」
 言わずもがな、たいていの表現は被写体のプライバシーに対する侵襲を伴ないます。表現による便益と代償を天秤にかけて、ありうべき均衡点を探らないと、表現者と被写体の関係は非対称のままです。ありていに言って、前者がもっとも大きく、後者がもっとも小さくなればいい。もちろん、だれに便益が与えられ、代償を払うのはだれかも問われます。等価交換は理想状態を述べるに過ぎません。対価または罰金さえ払えばいい「とは限らない」ことには注意すべきでしょう。表現の対象、範囲、期間、目的、効果を表示して、被写体による明白な同意を得たほうがいい。主体の免責と客体の尊重のために。

 この上演で委員は調査員と執筆者と出演者を兼ねます。ぼくは3役にそれぞれの手枷を着けて登壇します。まずは調査員として。本名ではデータ流通産業のために働くぼくにとって、リサーチデザインは調査員の誠実さを示す「面倒な場面」です。入念な下準備の要請は、ただでさえ低予算のこの上演から、表現に注ぎうる体力を奪いかねません。一方で、調査設計をせずに手を動かすと迷子になって、疲れるだけ。ぼくの内面に棲みついた厳しいレビュアーの人格を、ぼくは穏便に手懐けなければならないでしょう。
 もうひとつは執筆者として。ぼくは2024年まで自由な表現ができません。自業自得の自己検閲なんですけどね。近しいお題で何ごとかを語るべき出番は、その言葉が規制に抵触しないか、公表して差し支えないかを熟慮し、即断するべき「厄介な場面」です。この上演が終わるまでは、じぶんにまだ何が書けるのかを慎重に探る、本来の意味での自粛がつづくでしょう。もう何年もずっとそうだったように。
 そして出演者として、というより被写体として。ぼくは「撮られること」が苦手です。動画はもうあきらめがついたものの、静止画にはまだ抵抗があって、監視カメラの画像認識による性年代推定アルゴリズムがぼくの顔写真を解析したあと、特徴量以外の情報をちゃんと捨てているのか心配で、導入事例の多い観光地や商店街、百貨店にはなるべく近寄りたくないと思うほど。これまで多くの仕事で不義理を重ねてきました。ちなみに限局性恐怖症の治療は曝露療法による馴化が王道だそうで、モデルとしての能力も役者としての技術も持たないぼくにとって、この上演は「大変な場面」の連続となるでしょう。慣れたい。

 面倒で、厄介で、大変な場面。「なのにどうして」と不思議がるひともいることでしょう。「そんな場面に立とうとするの?」本当ですよね。ぼくもそう思います。どうしてだろう……いつものことだしな……。


鈴木一平「目が眩むほどの倫理が」

 本プロジェクトにおいて特権的な意味を持つ語として、「当事者(性)」が挙げられる。だれもがなにかに対する当事者である、という言い方がある。たとえば、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行は、《非被災地が存在しないような仕方での災害》(江川隆男)であり、その意味でいえば、だれもが「コロナ禍」を生きる当事者であるといえる。自らの生活において、自らがその当事者であるという事態は、おそらくこれまでもそうだったし、これからもそうであるだろう。しかし、その認識を持って生活を見返すことは、そうでない場合とは大きく異なる質感がある。
「当事者」という言葉が用いられるとき、そこにはある種の倫理性が付帯している。それは、(ハラスメントなどの)加害・被害の関係が想定される状況においては、とくに顕著な傾向だろう。「だれもがなにかに対する当事者である」という言い方は、ここで両義的な意味を持つように感じる。たとえばそれは、自らを非当事者と認識する人間に対して、問題意識の共有や連帯を促す言葉である一方で、こう言ってよければ、「本当の当事者」への過剰な干渉や、ひどく一般化された理解(あるいは歪曲された理解)が生じる可能性がある。それに対しては、常に注意を払っておきたい。
 ところで、自らの生に倫理的な何事かを担わせるという行為は、それを表現する場(その場は自らの生活が営まれる現場であってもよい)が与えられているとき、抗いがたい快感を伴う。そのとき、表現行為は「語るべきなにかを語る」という形式を持つ必要はない。口を閉ざして語るべき言葉を探し、行き惑う身ぶりを示すこともまた、容易に答えが出ない問いを前に取りうる(あるいは「取るべき」)態度のひとつではあるのだろう。
 しかし、自らの生に目が眩むほどの倫理が賭けられようとするとき、そこには人間の寿命が限界を持つこと、すべての問題に対して十分なリソースを割くことがほとんど不可能であるという問題があることを、私は強く意識してしまう。そして、担うべきであると判断される倫理的態度が複数ありえること、自ら選び取ったそれが背負うに値する確信を与えてくれる根拠が複数ありえることも、念頭に入れておく必要があるとおもう。とはいえ、だからこそ、賭けるという行為に価値が生まれることはいうまでもない。私は、そのようなかたちで自らの行為を価値付けることへの戸惑いから、自らの「当事者性」を引き受けたいと考える。そこでは、たとえば自らの無意識的な加害性を自覚して、ナイーブに反省するタイプの身ぶりへの批判的な検討が重要になるだろう。あるいは、対立するふたつの視点に対してどちらにも自らの賭けるべき倫理が存在することそのものについて考えること、いわば、「どっちつかず」に向けて可能な態度を模索すること、そこにこそ賭けるべき倫理があると信じたい。
 本プロジェクトを通して、私はメンバーとのあいだで交わされた議論を、絶えず自らの生活に送り返し、自らの「当事者性」を駆使しつつ、べつのかたちで表現することを試みたいとおもう。それは、本プロジェクトにおける私の役割からは半ば逸脱した位置であり、本プロジェクトにおける「上演」を、プロジェクトの外部において成立させるための道筋を探ることを意味するだろう。


なまけ「手がかり」

 たとえば岸政彦は、沖縄での取材のさいに乗ったタクシー運転手の「おじい」たちのさまざまなエピソード(仕事中に紙ナプキンを撚ってつくったバレリーナや折り紙でつくった犬や猫や恐竜を乗客にプレゼントしてくれたり、車内いっぱいに枝を伸ばしたブーゲンビリアを育てていたり、乗客をのせていても自分が仕事を終わらせたいとおもったときに乗客を降ろしてほかのタクシー運転手の友だちと飲みにいってしまったり、など)を引きながら、次のように言う。

「沖縄的なもの、沖縄らしさとは何か。世間でよく言われるそういうものには、フィクションやただの「お話」のものも多いが、私が特に感じることのひとつに、このタクシーのおじいたちが体現しているような、あるひとつの感覚がある。ここではそれを、とりあえず「自治の感覚」と呼ぼう。」
――岸政彦『はじめての沖縄』、二〇一八年、新曜社

 日本やアメリカから受けてきた扱いのなかで沖縄のひとびとのあいだでこのような感覚が培われてきたのではないか、という〈見立て〉で沖縄らしさを名指しながらも、この名指しが、ウチナンチュ/ナイチャーという境界(岸自身はナイチャーである)を根拠に成立している(自身がナイチャーであると言えるのもまたこの境界によってである)として、自身の〈見立て〉を覆う、さらに上位の〈見立て〉が存在していると指摘する。

「しかし、そうした物語を「物語」にしているのは、他ならないその境界線自体である。その境界線がまず存在し、ふたつの人びとの歴史的経験や日常的な生活世界を規定し、出会いや葛藤を演出しているのだ。」
――同上

 同時に、境界を押しつけている側の人びとが境界を乗り越えていく物語をかたるべきではない、と言って、先の本のなかでは、境界を無視するのでも破壊するのでもなく、境界のこちら側にとどまりつづけて書きたい、としている。複数の〈見立て〉をいくつも試しながら、ひとつの〈見立て〉、ひとつの境界による力=関係においてではないかたちで、身動きがとれるようになりたいとおもう。

「口承の時代が終わって記載の時代がやってくる、といった古代文学史の見取り図から解放されなければならなくなってこよう。文字の使用によって、神話・歴史は口承のそれを取り込み、書かれる文学として成立する。(……)そこには「排除」(「亡滅」と言いかえよう)によって「神話」「歴史」が打ち立てられる独特のプロセスである。口承は口承として生き続ける。記載は口承と二元化し、口承にさまざまに影響を与えて行くが、それでも口承が自律的な運動文学体として現代にまであることは言うまでもない。」
――藤井貞和『古日本文学発生論 増補新装版』、一九九二年、思潮社

 このように書いて、リニアな文学史ではなく、いっぽうがもういっぽうの前代へと位置づけられないような、複数の古代、複数の文学史があるとして、沖縄の文学にも関心を寄せる藤井貞和が示した、次の〈見立て〉。

「袁祁と志毘とが実際に争ったことの記録が『古事記』に書きとどめられていると見るのは誤りである。歌垣の場所で、袁祁と志毘とに扮した二人の若者がやりとりした所作の記録だ、と見るべきだろう。そのような演技とか、伝承歌謡(伝承をともなう歌謡のこと)とかは容易に史実化されて『古事記』などの“歴史書”にあたかも史実であるかのごとく書きとどめられる。」
――藤井貞和『甦る詩学「古日本文学発生論」続・南島集成』、二〇〇七年、まろうど社

 テキストを、テキスト化された演劇=儀式であるとする〈見立て〉。また、テキストの背後にある、そこにそれを書きつける主体の生(活)の感覚のこと。

山本浩貴「所信と関心」

 私の思う、プロジェクトの狙いや可能性に関しては、「synopsis」の山本名義のテクスト(「発端と目的」「いぬのせなか座による介入」「長期間にわたる「上演」とその運営」など)や、第一回座談会の発言にて――制作実行委員会副委員長、あるいはいぬのせなか座主宰という立場を背負いつつだが――その大半をあらわしたので、ここでは多くは語らない。本プロジェクトが、三野新という作家にとって、いぬのせなか座というグループにとって、またプロジェクトに関わる/関わらない世界の様々な領域・生物にとって、今後あり続ける/生き続ける/表現し続ける上でなにかしらの有効な手がかりとなり、かつ、それが残され使われていくよう、自分は尽力すべきだ、というのが、現時点での基本的な「所信」である。
 その上で、幾つかの私的関心を開示しておくなら、「三野新という表現者をいかに自分は真に受け、使えるか」「三野を通して間接的にではあるが沖縄に接するとき、自分は表現においてどのような「形式」を選択するのか」「本プロジェクトのような試みはどのような経済状況に最終的に至るのか」「本プロジェクトにおいて「恐怖」とはどのようなものとして露呈するのか」「自分は「上演」という概念にどこまで自身を託すことができるのか」「「戯曲」あるいは「運命」によって強いられる「役柄」と、「私」は、本当に向き合えるのか。と、いう問いに、このプロジェクトはどこまで「助け」となるのか」……などだろうか。いずれもその結果を明晰に外部へ開示することになるかどうかはわからない。が、私の死までの態度においていずれもが滲み出もするのだろうとは考えている。



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写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…

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