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【symposium】(Part.6)「クバへ/クバから」_第1回座談会(レクチャー1)上演記録「三野新の作歴とプロジェクト全体の基本構想をめぐって」

(Part.5はこちら

ポストプロダクションを抜けて

山本 少し話が戻るのですが、『A motorcycles goes to Alphaville』のなかには、明らかに合成のような写真も含まれていますよね。

三野 結構ありますね。

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出典:三野新『A motorcycle goes to Alphaville』 (2008-2010)

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出典:三野新『A motorcycle goes to Alphaville』 (2008-2010)

山本 単に写真を撮ってそれをまとめた、という感じではやはりない、と。
 全体を通して見たときの印象として、かなりノイズが多いというか、単に「『アルファビル』に似ているものを自分で撮った」というだけにも、またそもそも「写真を撮る」というだけにも収まらない要素や操作が、意識的に多く扱われているように感じます。

三野 当時は写真家の中で、今でいう「Photoshop」で作品をガシガシ編集して、みたいな、いわゆる「ポストプロダクション」の領域に属する写真の制作をしている作家が日本ではあまりいなかったんですよね。トーマス・ルフの「JPEG」がまだ新しい、みたいな雰囲気もあった。そうしたなかで批評行為を「写真言語」として考えようとするわけだから、ポストプロダクションとして、写真にそういった編集をしていくっていうのは結構自然な流れだったんですね。
 例えば僕と同じ回の「1_WALL」展に出展していた横田大輔さんは、今みたいなバリバリな「ポストプロダクションです!」っていう手つきよりも、何を撮っているのかにフォーカスしていた要素も大きく、写真を現像する手続きも含めた暗室的なポストプロダクションをやられていた。一方で、僕より少し下の世代、いぬのせなか座メンバーと同い年ぐらいだと思うんですけど、小林健太くんとか、永田康祐くんは、写真にソフトウェアベースでの編集を行う方向性に進んでいった。
 この時期、「カオス*ラウンジ」も隆興していて、ポストプロダクションとして写真に絵を描くことや、メディアアートの変形として、ソフトウェアとの関係のなかで写真を作る考え方が当たり前に出てきた。僕もちょうどその間の世代でもあって、当時一番最初に写真制作をやるときに、ポストプロダクションをどう考えるのか、写真があった上で、それをどう操作して見せるものにできるのかを考えることは、写真と鑑賞者だけの関係性だけではなく、編集によって生まれる撮影者と写真の関係性を考えるときの重要なテーマとしてあった。

 僕はその後、結局写真1枚にコストをかけてイメージの操作をしていくことよりも、写真同士の結びつきが生まれる関係性だったり、被写体とイメージとの関係性だったりに興味があるとわかったので、ポストプロダクション、写真と作家、写真と鑑賞者という焦点よりも、撮影のためのプロセス、プレプロダクションといった、いわば写真論のオールドスクールで粘ろうという選択をした。シャーロット・コットンの『Photography Is Magic』という、僕もかなり影響を受けた本があるんですけど、コットンの紹介するような写真には絶対しないぞ、という、なぜか確固とした意識もあって(笑)。
 そんなふうに、写真表現における同時代性の中で、写真に関しては「プレ」の方向に自分はだんだん焦点が移っていく感じになっていったのですが、一方で「ポスト」の部分は、演劇を考える方向に結実していった、という感じですね。

山本 写真一枚一枚を作品として完結したものとして発表するというより、自身がすでに撮ってしまったもの、言ってしまえば取り返しのつかない過去の表現を使って、新たな作品や問いをどのように作り、考えていくか。そうした問題が、写真表現を通してあらわれ、かつ、それこそが演劇という表現方法への道筋となっていったわけですね。

撮影者と被写体による演劇

三野 『A motorcycles goes to Alphaville』から1年後ぐらいの作品が、『平原』です。2011年の発表ですね。

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出典:三野新『平原』~play♯01~ (2010−2011)

 前作では、モデルの子も風景も、被写体として同列に扱っていたのですが――スナップ写真では当たり前なんですけど――人を撮る時の撮影者と被写体の関係性の歪さが、だんだんすごく気になりはじめた。どういう風にしたら、自分が撮影をすることと同じように、撮影をされる被写体の人達と同じ立場として表現に加担できるのか。撮影者がすごい強くって、非対称性であるという状態から、どう脱出できるかを、考えたわけです。
 そんな時に、演劇との出会いがあった。被写体と撮影者との関係性自体を演劇化しちゃうことによって、フラットな表現としての場をまず作り上げる。その上でアーカイブとして、結果的に「写真」が生み出されていく……そういう形式への意識から、「戯曲とは何か?」みたいな問いとの出会いにもつながるんだけど、以降、現在に至るまで、演劇的な問題を考えるようになった。その最初の作品が『平原』です。

スナップ写真の延長線上で、人も撮っていた。
人を撮る時に、なにかを指示したりするとき、その被写体との関係性は演出、役者の関係性と全く同じであることに気づき、そうであるならば、徹底的に演出に取り組まないと誠実ではないという確信から、写真家とモデルとの関係性を舞台化しようと試みた最初の作品。
それに加えて、写真展を行う意義として、わざわざ人に来てもらうのに報いるには、その場でしか経験できないような仕組みが必要であるとも考えていた。
テーマは、モデルのポーズをミニマルに構成していく実験を行うこと。
モデルは自分に求められた身振りを写真で常に確認しながら反復し、稽古する。そしてさらに写真に写される。
集まったこれら複数の写真を写真集のように構成し、モデルは舞台上で、写真を見ながら自分の身振りを確認しつつ、何度も反復し、次第に反復からズレていき、生身の身体に観客は注目してしまう、というものができた。

(出典:https://www.aratamino.com/project

 この辺も「写真集とは」とか「身振りとは」とか、指示書への興味という側面があります。
 この写真はまさに宮下公園の再開発でナイキパークにするのか、どうするのか、みたいな時に撮影されていますね。


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出典:三野新『平原』~play♯01~ (2010−2011)


鈴木 くださいこの写真。何かいいですね。

三野 出演者のドキュメンタリーでもあるし、被写体となった出演者自体が表現をする主体でもあるっていう二重の関係性があるんですね。これも「1_WALL」展で入賞して展示をしました。

鈴木 写っているのはどなたですか?

三野 大場みなみさんと、小笠原さんていう人ですね。当時の大学の同級生で、「ヒッピー部」を作ったのも彼女たちのお陰でした。

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出典:三野新『平原』~play♯01~ (2010−2011)

笠井 二重の関係性というのは、表現の被写体となる人にも何かを「してもらう/見せてもらう」ことを指している?

三野 うーん、どうなんだろう? 「勝手に行われていること」が、まず前提としてあるというか。現実として彼女たち、例えば出演者やスタッフだったりが「勝手にやる」、それに対して名前をつけていくみたいなプロセスでした。つまり結構ドキュメンタリー的に追いかけつつも、身振りややっていることに名前をつけていったりすることで、どんどんパフォーマンス化していく。それによって構成されていく、ある種の動きの蓄積がパフォーマンス作品として発表されるわけです。これらの写真は、その時の記録なんですけど、一方でパフォーマンスのアーカイブにもなっています。どちらかというと自分がさせている部分もあるけれども、させられている部分も当然あるという結構両義的な問題がある。面白がってやった側面がすごく強いんですが、一方で、ある程度のパフォーマンスとしての形にしないといけないから、かなり一緒に、お互い言う部分というか、こうしたらいいんじゃないかって干渉する部分もあったんですけど。

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出典:三野新『平原』~play♯01~ (2010−2011)

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出典:三野新『平原』~play♯01~ (2010−2011)

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出典:三野新『平原』~play♯01~ (2010−2011)

笠井 被写体となるひとが、名前と身振りを伴なって「起きつつあるもの」になるという関係もある、と。

三野 そうですね。それが制作の基本としてあった。一般に、撮影行為というのは、写真を記録するためのものとして存在する一方で、それを固着して名前を付けて、一つの流れとして固定させ、再現ができるようにしていくという二重性がある。それはテキストでもできることだけど、あえてイメージで行われていることが面白かった。もともと僕がそういう写真言語みたいなものから端を発していて、表現を進めているというところがあるから、その延長線上でやることになっていたんだと思います。もちろんここからテキストとの関係性みたいなことも、当然考えていくことにはなっていくんですけど。この時はテキストよりも、写真だけで考えていく、写真と身体で考えていくっていう意識のほうが強かった。

笠井 「写真言語」といっても、その被写体が持ちうる意味を操作するだけではなくて、経時的な流れを強く意識しているんですね。

(Part.7につづく

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