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はじまり

「犬丸さんって、本名なんですか?!」

もはやネタのように、初対面の方にはほぼ100%の確率で言われる。

そう。ちょうど50年前の今日の丑三つ時、犬丸満という人の長女としてこの世に出てきた。ちょうどその晩は、九州にはめずらしいほどの大雪で。病院で窓の外を眺めていた父が「美しい絵のようだ・・・」と。美絵と名付けてくれた。全く絵心とか芸術系に興味のない人なのにね。不思議。。と後日談で誰かに聞いた。

「犬丸」という名字がほしくて、両親を選んだのもあったんだろうなと今となっては思う。そして、高校の時芸術系を目指したけど反対され、理系大学から企業人へ、その後主婦時代を超え紆余曲折あったけど、結局のところ芸術系で生きている今。美絵という名前の通りにやはり人生は着地した。

この世に産んでくれて、犬丸美絵という名前をプレゼントしてくれた両親に、心の底から感謝をしている。

さて、わたしは九州のド田舎で小学生から28歳までを過ごした。どのくらい田舎というと、大学生になって初めてその地区に信号機ができたくらいの田舎だ(笑)ピチピチな女子大生の頃、夜道でこわいのは痴漢ではなく野犬だったっけ。

そんなところだから、当たり前のように犬は外で飼う生き物。放し飼いの犬がたくさん。野犬もいっぱい。避妊去勢なんて言う概念はほぼなかった。結果、春と秋にはよく似た仔犬がたくさん現れる。

小学校の帰り道は近所の狂暴なニワトリに無意味に追いかけられたり、繋がれている番犬たちに盛大に吠えられたり、放し飼いの大型犬に追いかけられたりして泣いて帰ることも多々。いまとなって思えば、犬たちは遊んでほしかったんだろうなと思うけど。(ニワトリは本気でけんか売ってたと思う)当時は本当にこわかった。

でも定期的にあらわれるふわふわでヨチヨチな雑種の子犬たちを見つけてはコロと名付け、給食のおばちゃんに頼んであまりものの牛乳やパンをもらって空き地で食べさせてかわいがっていた。その子たちが1,2週間後に爆走できるようになると、結局本気で追いかけられて甘噛みされてこわくてこわくて泣く羽目になるのだけど。(いまとなっては子犬なんだから当たり前の話である。)それでも毎シーズン同じことをしていた。

たまには慣れた子犬や子猫を家まで連れていき、夜中だけコッソリ子供部屋にあげて一緒に寝たりすることもあった。でもあっという間に母にバレ。学校に行っている間に山に棄てられるという日々。(といっても、車で五分位の人のいる山なのだけど)今考えるとありえないことを。。。と思うけど、当時その田舎ではそれが普通だった。

犬と猫はダメ。家に連れていくと山に離されて、かわいそうだしかなしい。母に根負け。犬を飼うことはあきらめた。

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