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子宮体がん3_藪医者を選んでしまったことについて

最初婦人科は、女性器を診察されることへの羞恥から同性の女医さんを選んでいた。
30代で通った婦人科クリニックでは退任なさった男性の先生(60代後半から70代前半くらいだったかと)が助っ人で診察に入ることがあり、たまたまその先生に当たったことがあった。
おじいさんとはいえ男性…『わざわざ女医さんを選んだ意味なくない⁉』と思いながらそのまま診察を受けた。
『あれ!?痛くない!!』なんと表現したらいいのか、女医さんに比べて繊細な内診で基材の使い方も丁寧で、婦人科診察によるストレスがほぼなかったのに驚いた。
 
その後も、病院を変えて赤十字病院に通ったことがあるが、その時は男女こちらで選ぶことができず、女医さんの診察の方が荒々しく痛い!ことが多かった。
そんな経験を経て思ったのは、女医さんの場合、自分にもある臓器である女性器に想像力働かせることを省いてしまうのでは?ということだった。男性の先生には自分にはない臓器に対しての敬意というか想像力が働いて大切に扱ってくれているような気がした。
もちろん、これは性差の問題ではなく人間性の問題なのだと今は思っているが…。
 
こんな経験を積んだ後で、結局藪医者にたどり着いたのは…「運命」のせいだった…。
 

50歳の健康診断で貧血の結果が出て受診した婦人科、エコーで子宮内膜の確認をしたときに筋腫もあるので子宮体がん検査をすると言われた。
先生は「体がん検査はかなりの激痛があり、人によっては失神する人もいるので、痛いときは我慢せず言ってください、その際は検査はやめますので」と言ってから検査に取り掛かった。
確かに、本当に、驚くほど痛くて「痛い!です!!」と叫び、検査はすぐに止められた。
検査が出来なかったので、今後どうすればよいのか聞くと…。

先生は「まあ、子宮体がんの検査は麻酔をして検査することができますが、場合によっては子宮を摘出するとかですかね…」と結構な内容を軽く言うのだった。
『ハァ⁉なに言ってんの⁉子宮摘出ってなんじゃそれ!』

『イヤイヤ、閉経間近の更年期のホルモンの乱れによる生理頻発とかじゃないんかい!なんで子宮摘出やねん!』と激しいツッコミを心の中でして、その医師への不信感を募らせたのだった。

先生にとってはあまりに日常のことだから「もしも子宮体がんであるならば」と言う説明を端折ったのだろうが、当時の私は混乱し医師への不信感を募らせたのだった。
そんなことがあって、他の病院をHPを検索したり、口コミをチェックしたりして探していた。
色々探してみても、どこがいい病院なのか?さっぱり分からない。そんな時、知人三人でお昼ご飯を食べる機会があった。
 
食後のおしゃべりで婦人科通いをしている話が出た。すると、その二人が同じクリニックに通っていることが判明したのだ。二人ともネットで調べて選んだようだった。
三人集まって、近所というわけではない二人がたまたま同じクリニックに通っているということは「これは運命!」、病院を探したい私への神さまからのメッセージなのではないか!と思ってしまった。
 
神のお告げに喜ぶ私に一人がすかさず電話番号を教えてくれた。
一方、もう一人は「でもね、この間子宮体がん検査を‘いきなり’されて、それがスッゴク痛くて、こんな痛い検査をするなんて、ちゃんと説明してからにしてください!って私泣いて抗議したんですよ~」と話し出したのだ。
私としては、子宮体がん検査は痛いものだと思っていたし、その彼女がとても痛がりで出産も無痛分娩にしたことを知っていたので『彼女は痛さに弱いからな…』くらいにししか受け取らなかった。
 
実は、神様の声はここにあった!と思ったのは後の祭りだが…
これこそが『この病院は行ってはいけないよ!』というのが天の声だったのだと今は思う。
それなのに『三人集まって二人が偶然にも同じクリニックに通っていたなんて!私の求めていた答えが届いた!』と感動した私は、すぐにその病院の予約を取ったのだった。
 
この女医さんは高齢だった。それは経験があるではなく、技術も器具も古い最悪な医者ということを意味した。

子宮体がん検査をその後大きな病院で行った時は、子宮内部を繊細な細い針で引っかかれるという痛さだった。
でも、この高齢の女医による施術は、直径20mmの棒をグイグイと膣に押し込むような(あくまで想像/それくらい痛いという意味)痛さがあり、凶暴で激痛の伴うものだった。
 
結局、叫び声を上げそうな痛さに「もうやめてください!」と抗議して途中で断念するのだ。
恐怖と痛みで、全身に力が入る、このストレスは想像以上なダメージを体に与えた。検査後は一日中だるくて生活に支障のある状態になった。
 これを藪医者と言わず誰を藪医者というのだろう・・・。

痛さや恐怖の伴う診察は絶対我慢してはいけない!抗議する権利は患者側にある。
「運命」や「天の声」を聞き分ける術を身に着けるのは難しい。
凡人の私達ができることは、『この先生/病院、なんかおかしい?』と感じたらその感覚にすぐに従って病院を変えること。これは誰にでもできる。
 


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