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八十七話 朝食

 翌朝、六時半に起床ラッパが鳴る。
 浅井は、隣の寺尾兵長に叩き起こされた。
 兵長を見習い、毛布を真四角に角がつくよう畳む。そうこうしている内に、田村班長がやって来て、点呼をとった。
 息つく暇がない。加平一等兵が、蛇のような目で睨んでいる。浅井ら三名新兵は、古兵たちが歯を磨いているのを尻目に、飯上げのため炊事場に向かった。

 加平に引率され、零下二十度の外に出る。他の新兵たちも、点在している半地下の建物から、教育係の二年兵に率いられ、炊事場に向かっている。
 あいつらも昨夜、ビンタの洗礼を受けたんだろうな――浅井がそう思いながら歩るいていると、加平がいきなり怒鳴った。

 「炊事場の食缶置場には、各中隊各班の飯が入った食缶が置かれている。もし、そこに飯が入った食缶がなくても、炊事係に交渉などするんじゃないぞ!近くにある食缶の中で、一番量が多いもの見つけてそれを持って班に戻れ!」
 そう心得を伝授した上で、「軍隊は要領を持って本分とすべし!」と訓示を述べる。
 浅井はこのとき、同じ連隊内でも生存競争があるのかと驚き、身内であっても一切油断できないなという加平の言葉に薄ら寒い思いがした。

 所定の場所に行くと、自分たちの班の食缶があった。
 食缶を開く。無事朝飯が入っている。浅井ら三名は速攻班内通路に持ち帰り、他の新兵二名が出したテーブルの上に食缶を置いた。
 
 浅井ら新兵がほっと一息ついていると、古兵たちがやって来た。各々、食缶から朝食を取り、席に着いて食べ始める。
 まだ、歯磨きも洗顔もしていない浅井。しかし、後片付けの任務があり、必ず古兵より先に食べ終わらなければならない。一寸たりともおちおちしておれず、席に着くや猛然と食べ始めた。
 
 朝飯はパサパサした高粱飯。高粱はもともと家畜の餌で、小さい小豆のようなもの。炊くと赤飯のようになるが、冷めるとコロコロして噛み切れず、全く美味しくない。
 しかし、是が非でも古兵たちより早く食べ終えなければならないため、飯を無理矢理味噌汁で流し込んだ。必然的に、飯が喉に詰まる。
 浅井は、飯が嚥下してゆくのを待った。が、じっと堪えるも、なかなか喉の奥から食道へ落ちてゆかない。飯はおろか出来損ないの味噌の固まりが、喉を塞いでいる気がする。
 周囲の古兵が、浅井の異変に気付き、チラチラ見ていた。浅井は食べてるフリをし、詰まっているものが喉の奥へと落ちてゆくのをひたすら待ったが、その兆候は微塵も見えず、焦り狂う。
 古兵たちは、食べたら新兵が食器を片付けるものと思っているから、そのまま置いて立ち去ってゆく。詰まった飯を吐き出すことも出来ない浅井は、窮地に陥っていた。
 もう食べているはない。喉に詰まっている状態で後片付けをしようと立ち上がると、嘘のようにストーンと固形物が食道に落ちた。しかし、時すでに遅し。大半の古兵が食べ終え、立ち去っていたので、朝食食うに及ばず。涙を飲んで、後片付けに取り掛かった。

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