見出し画像

百五十三話 悪夢

  聯隊は、ついに支那最南の省、広東省に入った。北京から広東へ。大平原を越え、山岳地帯を越え、約二万キロメートルという、マルコポーロの母を訪ねて三千里どころではない、途方もない距離を踏破したのだ。しかも、死闘を続けながらである。
 
 しかし、まだ広州市は先である。部隊は、北江沿いの草原で、三日間大休止することになった。
 河南作戦以来、三度あった三日間の大休止。その三度ともふいにしていた浅井にとって、初めてその恩恵にあやかることが出来る。いかにこの時を渇望していたか・・・。しかも今回、戦闘後でもないので、街への外出も即自由。ビッグチャンスだった。
 
 ところがである。市街地まで遠いということがわかる。とてもでないが歩いて行ける距離ではない。さらに、おちおちしてると、広州の部隊から弾薬や食糧等の補給を受けるという話が聞こえ、その準備を手伝わされることになった。補給は生命線なので有難いことではあるが、これにより大休止が小休止か中休止になり、さらに遊ぶことも出来ず、兵隊達は早々外出を諦めた。浅井も二日か一日の露営地での休息のみとなる。

 この休止で、浅井は先のことに苦慮していた。先に捕虜を手放したため、今後の食生活を自力で賄うこととなる。悪夢再来だ。飯の確保は死活問題のため、悠長に事を構えて居られない。
 浅井は、米や大豆などの食糧とそれを運ぶロバの購入を考えた。見ると、そこらに地元の小孩しょうはいがいる。
 生きるか死ぬか。浅井は決断した。
 「法票やるからロバ一頭連れてォー!」
 浅井は手持ちの法票をポケットから出し、小孩たちに見せびらかして命令する。

 当時支那では、日本が後ろ盾する汪精衛政権が、儲備ちょび券を発行していた。しかし、この儲備券より、國府軍が発行する法票の方が格段に広まっていた。
 それを知った浅井は、過去の部下、窃盗団の捕虜から餞別代りに法票をもらっていたのだ。特に途中で逃げた二人は、逃亡する前夜、何故か浅井のところに法票を持って来た。翌朝、居なくなっていたことを思うと、法票やるから見逃してくれという合図だったのだろう。噂によると、彼らは運よく徴発した阿片を使い込み、その後理性が飛んだというから、あれが人間としての最後の行いだったのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?