不公平な五十歩百歩
50歩100歩って、まぁまぁ差がある気がするのは俺だけなんですかね。
みなさんご存じ、五十歩百歩です。「犬井も佐藤健も、顔面偏差値で言えば、五十歩百歩じゃん」なんて時に使う、あの五十歩百歩です。すいません。家族には手を出さないでください。
ほとんど違いがないと言う意味で使う五十歩百歩ですが、よくよく考えてみると、この二つ、まぁまぁ差があると思いませんか。何で五十歩と百歩を比べたんやろうって思いません?
歩数を比べてますから、何かから逃げようとしてたりするんやと思うんですね。その距離が五十歩でも百歩でも変わらないとか、そんなところから生まれた感じやと思うんです。「逃げたところで、五十歩も百歩も同罪」的な。
でも、マジで五十歩逃げてる奴と百歩逃げてる奴いたら、どっちもおんなじになりますかね。やっぱ百歩逃げてるやつのが、先逃げてるし必死そうやし、百歩の方が悪くなる気がするんすよね。
「逃げてると言う事実は変わらない」ってのはわかるんすけど、「五十歩も百歩も一緒」は飛び過ぎじゃないっすか?んなもん、晩飯のつまみ食いで、唐揚げ一個食ったやつと唐揚げ2キロ食ったデブが「つまみ食いをしてる事実は変わらない」って同じ裁きを受けてるってことですからね。
そんなん不公平極まりないやないですか。自分が唐揚げ一個側だったら「俺別に、言うて一個やん!」って誰しも思うでしょ。口が油でテッカテカになった、つまみ食いで唐揚げ2キロ食ったデブに半分隠れながら、苦渋の顔をするのが目に見てるじゃないですか。つまみ食いで唐揚げ2キロ食ったデブ?
だからやっぱり解せないんですよ。ことわざとしては最強クラスの五十歩百歩ですけど、流石にそれは言い過ぎじゃね、ってなんか腑に落ちない気持ちになっちゃうんですよね。
最後にひとつ、調べていて驚いた事なんすけど。
一寸法師って、一人じゃないんだ。
当たり前の様に、背比べさせられるんだ。
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