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CoCo壱で初めて10辛を食べた時の話

あれは21歳の頃の話だ。

僕は小さな頃から辛い食べ物が好きで、麻婆豆腐や鶏肉の唐辛子炒めが好きだったし、タバスコを直で飲むこともできたし、暇な時に鷹の爪を齧って過ごすくらい辛いものが好きだった。

CoCo壱には何度か行ったことがあり、いつもは6辛を頼んでいた。CoCo壱に行ったことがある人なら分かると思うが、CoCo壱のカレーはかなり辛い。2辛とかでも充分辛く、甘口しか食べられないという人もいるほどである。

僕は6辛が一番好きだった。自分にとってギリギリ苦痛でなく、適度に汗をかき、料金も高すぎない。いつもほうれん草カレーや夏野菜カレーを6辛で頼んでいた。

ある時、辛さの限界に挑戦したくなった。6辛であれほど辛いカレーが、10辛だとどれくらい辛いんだろうかという好奇心が僕の中で膨れ上がって、抑えられなくなった。僕は意を決してCoCo壱に行き、10辛を注文した。

「ほうれん草カレーの10辛ください。」

「……かしこまりました。」

一瞬店員さんが躊躇するのを見逃さなかった。10辛を頼む人は滅多にいないのだろう。大学生とかがたまに悪ノリで頼みそうだけど……

「お待たせしました。」

しばらくして、カレーが僕の目の前に差し出された。匂いからしてもう違う。鼻腔の奥の方がツンとして、焼けるような感覚がするのが分かった。というか、目が痛い。本当に辛いものというのは、五感をフルに刺激するものなのだと学んだ。

一口目。僕は控えめにライスとカレーを口に運んだ。

はちゃめちゃに辛い。というか、痛い。口の中から食道のあたりまで焼けるように熱い。水を飲みたくなった。しかし、水は辛いものとは相性が悪く、余計に辛い感覚を増幅させてしまうことを知っていたので、飲まなかった。

二口目、三口目。どんどん口の中が痛くなる。鼻水と汗も止まらなくなった。しかし、途中で止まったら多分だめだ。勢いで食べ続けた方が結果的に楽だ。「おいしい」とかは全く思わなかった。味ではなく痛みが舌の上を支配している。これは拷問に近い。途中で何度も後悔した。7辛とかから段階を踏めば良かった。しかし、頼んでしまったからには完食しなければ。諦めたら自分の辛いもの好きとしてのプライドが汚されてしまう気がした。半分くらい食べたところで気合を入れ直して、勢いよくカレーを口に掻き込んだ。

最後の一口。口の中はボロボロだったが、やっとこれで終えることができる。カレーを口に入れるとやはり痛かったが、なんとも言えない達成感に満たされた。僕は10辛を完食したんだ。今度友達に自慢してみよう。そう思った。


カレーを完食してからしばらく経ち、皿の底に何かの模様があるのが分かった。目を凝らしてよく見ると、模様ではなかった。とても細かい字で、次のような文章が書かれていた。


「10辛の完食、誠におめでとうございます。

貴殿は資格を授与する権利を得ました。

◯◯月××日(土)、以下に記載する住所にいらっしゃってください。」


なんだこれは。何のメッセージだ。メッセージには日付と場所が記載されていた。CoCo壱からのプレゼントがあるのだろうか。何が貰えるのか単純に気になる。僕はそのメッセージの写真を撮り、会計を済ませ、店を出た。


数日後、約束の場所に一人で行った。薄暗い路地裏であった。そこに、黒いスーツとサングラスを着用した長身の男が立っていた。

「あの、CoCo壱の件で……」

「お待ちしておりました。10辛の完食、誠におめでとうございます。」

男は礼儀正しくお辞儀をした。

「10辛を完食したお客様に対して、弊社ではこちらを授与する規定となっております。」

男は胸元から、一枚の紙を取り出して僕に差し出した。その紙には、僕には読めない、しかし、僕の知る限りどの国の言語でもない文字で、何かが書かれていた。

「あの……これは」

「困惑されるのも無理はございません。こちらは、『ヴァーダ』の称号でございます。」

「ヴァーダ?」

男は咳払いをして、話を続けた。

「10辛を完食されたお客様には、『ヴァーダ』という称号を授与することになっております。言わば、爵位のようなものです。どうか、お受け取りを。」

恐る恐る、僕はその紙を受け取った。

その瞬間、全身に今まで経験したことがないような痺れが走った。しかし、決して不快ではなく、どこか心地の良い痺れだった。

「今この瞬間、あなたはヴァーダとなりました。」

僕は呆然としながら男の話を聞いた。

「ヴァーダとなった者は、他人の前で『自分がヴァーダであること』を表明すると、あなたを見ている全ての人間の記憶を消すことができます。」

どういうことなのか理解できなかった。しかし、男はそのまま話を続けた。

「ヴァーダは、他人の記憶を消すことができるということです。貴殿は、その力を自由に使用しても良いという権利を得たのです。」

とんでもない能力だ。

「しかし、充分に注意してください。ヴァーダの能力には一つだけ欠点がございます。他人の前で『自らがヴァーダであること』を表明した時、仮にそれを他のヴァーダに聞かれていた場合、他人の記憶を消すことができず、代わりに自分の記憶が消えてしまうのです。」

現実感がなかったが、どうやらリスクのある能力らしかった。

「ヴァーダとなったあなたは、この力を自由に使用し、他人をある程度支配することができるようになるでしょう。しかし、忘れないでください。決して他のヴァーダの前で名乗ってはいけないと言うことを……


それでは、私はこのあたりで失礼いたします。あなたの今後の人生に幸があらんことを。」

男は去ってしまった。

どうやら、僕は「ヴァーダ」という、特殊な能力を持つ人間になってしまったらしい。いや待て。そんなことが現実にあるものか。CoCo壱も悪趣味なことをするものだ。その時僕はヴァーダの能力を全く信じていなかった。


それから数ヶ月が経った。ある日、ヨドバシカメラでヘッドフォンを選んでいた時、騒動が起こった。

「万引きだ!!!」

「捕まえてくれ!!」

どうやら商品を盗もうとした人がいるらしい。振り返ると、30代後半くらいの男が小型の加湿器を持って走り回っており、それを店員と何人かのお客さんが追いかけていた。

僕は追いかけなかったが、逃げる男と、追いかける店員たちを見ていた。

しばらく経って、万引き犯は息切れしたようで、店員と複数のお客さんに捕らえられた。僕は少しほっとした。なんでそんなことをしようとしたんだろう。小型の加湿器くらい数千円で買えるだろうに。

しかし次の瞬間、万引き犯は予想だにしない言葉を大声で叫んだ。

「おれは、おれはヴァーダなんだぁぁあああ!!!」

はっとした。それまで僕は、CoCo壱で10辛を食べてからヴァーダの称号を授与されたことをすっかり忘れていたのだが、男の叫び声で全てを思い出した。

ヴァーダは他人の記憶を消すことができる。あの万引き犯は、店員たちの記憶を消して難を逃れるつもりなんだ。


しかし、おかしなことが起こった。

万引き犯が微動だにしなくなってしまったのだ。

万引き犯は焦点の合っていない、うつろな目で地面のあたりを見据えており、口からは唾液が垂れ流しの状態になっていた。体には何の力も入っていないようで、だらんと脱力したまま店の床にへたり込んでいた。

その時僕は気が付いた。彼は失敗したのだ。

彼は周囲の人間の記憶を消すことにより万引き犯の疑いを晴らし逃げる予定だったのだが、意に反して、僕という他のヴァーダの前で名乗ってしまったのだ。そのせいで彼は、他人の記憶を消すことができず、自分の記憶を消してしまった。

しばらくして、警察がやってきて、男に手錠をかけて連行して行った。僕は恐ろしくなった。ヴァーダの能力は実在したのだ。そして、失敗した時にどんな風になってしまったのかを見てしまった。こんな能力、僕にはとても恐ろしくて使えない……そう思った。

家に帰って、様々なことを妄想した。馬鹿げた話だが、仮に僕が女湯を覗いてばれたとしても、ヴァーダであることを表明すれば周りの人たちはそのことを忘れてくれる。どんな犯罪でも犯せてしまう。しかし、僕はヨドバシカメラで見た万引き犯のうつろな表情を忘れることができず、全く能力を使う気にはなれなかった。

しかし、一方で僕は好奇心が抑えられなかった。誰かに対してヴァーダの能力を試してみたい。そう思うようになっていた。僕は当時大学生だったので、少し苦手な大学の先生をターゲットにすることにした。

その先生の講義のテストで、僕はわざとE判定ギリギリの点数になる回答を提出した。後日、先生からメールがあり、再試験の案内をされた。

再試験の会場に行くと、運良く他の学生はおらず、僕と先生の二人きりだった。能力を試すなら今しかない、と思った。再試験を解き始めてからおよそ5分後、僕は意を決して立ち上がった。

「先生。」

「J さん、どうしたのですか?」

「バーカ。アバズレのクソババア。ゲロ以下の存在め。ミミズに生まれた方が幸せだったんじゃない?」

考えられる限りの悪口を先生に対して言い放った。先生は最初きょとんとしていたが、次第に表情が変わった。顔を真っ赤にして、僕の元に歩いて来た。

「J さん。いくら学生だからといって、このような無礼を看過することは…………」

今だ。と思った。

「僕はヴァーダなんですよ。」

その瞬間、視界がぐるぐると回転し始めた。何が起こったのか分からない。僕の視界は回転しながら徐々に暗くなって行った。そこで僕は意識を失った。


目が覚めると、僕は異様な空間にいた。

真っ暗な空間で、周囲を無数の白色の柱のような何かが取り囲んでいる。ここはどこだ。

いや待て、僕って何だ。僕は誰だ?

今まで何をしていた?記憶が物凄く遠い。なぜなのか分からないが、何も思い出すことができない。

僕は、周囲に立っている白色の柱のうちの一本に手をかけた。表面がざらざらとしていて、てのひらに白くて細かい粒が付着した。それが何の物質なのか分からなかったが、とりあえず僕はそれを舐めてみた。

辛い。昔どこかで口にしたことがあるような辛さ。しかし、どこで口にしたのか、それがどのような種類の辛さなのか、全くわからなかった。

「フフフフフフフフフフ」

突然、上の方から不気味な笑い声が聞こえた。

振り返ると、見たことのない生物がそこに立っていた。

全身が真っ白な毛で覆われ、僕と同じように二本足で立っていたが、身長は僕の3倍程度はあった。顔は鼻筋が縦に伸びていて、横顔を見ると眼球を確認することができた。その生物の眼球の虹彩は不気味にも横方向に伸びており、目が合うと背筋が凍るような感覚に襲われた。また、その生物の頭部には、婉曲した二本の突起が耳の上のあたりから生えており、顎の下にはさらさらとした白くて長い毛が生えていた。

僕は何も考えられなくなっていた。目の前の二本足で立つ生物が何なのかは分からない。しかし、その生物はゆっくりとこちらへと歩んできた。不気味な笑みを横顔に浮かべながら。

僕の目の前に来ると、その生物はこう言った。


「evil......」


その瞬間、視界が真っ暗になり、意識が遠ざかるのが分かった。自分が何者で何という名前を持っていたのか、目の前の生物はなんだったのか、何も分からなかった。しかし、自分は今ここで死ぬんだ、ということだけが何故かはっきりと分かっていた。

















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