見出し画像

もし君が総理大臣なら、医者をどうする?

・「医師を事業家にしませんか」
・「医療を産業にしませんか」
・「医学部教育で事業総論を題材にしませんか」
という問題提起が、この文章の主旨です。

初めまして。乾雅人と申します。
東大医学部を卒業し、現在は銀座で美容クリニックを経営しています。

冒頭の主張と、全く関係性が無さそうですね。
発言する資格があるのかも含めて、ご一読いただければ幸いです。

目次(ではなく、考えて頂きたいリストになりました)
・医師は誰のもの?
・医療は誰のもの?
・政治ではなく事業に拘るのは何故?

では、早速、本文です。


日本でも、海外でも、医師免許は国家資格です。
他ならぬ『命』を扱う訳ですから、一定の制限が必要なのは当然です。
その制限も各国各様で、専攻科目や勤務地が指定される国もあります。
日本では、専攻科目も、勤務地も、選択の自由があります。
代わりに、労働環境は不遇です。

昨年11月30日のこと。厚生労働省は、労働基準法の施行規則を改訂し、医師の残業上限時間を一般労働者の倍、1860時間(月155時間)に定めました。

当たり前ですが、医師も人間です。
過労になれば、疲弊、消耗し、集中力の低下、ひいては医療の質が低下します。
結果、一般の患者が不利益を被ることになります。

では、何故、この問題が変わらないのでしょうか。
いつになったら、この社会問題は解決に向かうのでしょうか。


私が学生時代の時。もう10年以上も前のことです。
「立ち去り方サボタージュ」「救急車のたらい回し問題」「大野事件」など、医療崩壊が声高に叫ばれていました。
それぞれ、医師の過労、医師不足や偏在、医療職と世間一般との認識のギャップ(刑事事件になるも無罪判決)、の代表的な事例です。
医療の社会問題化は、コロナ禍に始まったことではなく、常にそこにあって、何かが切っ掛けで露出しているだけです。

当時、大学の教授職だった父親に
「親父世代が、気付いていた社会問題を放置し続けたから、今の現状なんじゃないの?」
と嚙みついていました。

青く、現場も知らない、勝手な立場でした。

「君の言うことは正論かもしれない。でも、軽い。患者さんの命を救ってから、同じことを言いなさい。」

こうして、私の医師人生の序章は外科医として歩み始めることになりました。


物事を深く理解するためには、俯瞰することが重要です。
医療に対しても、例外なく。
天啓でしょうか。医師1年目に、山本雄士ゼミが初開催されます。
「あなたと医療とマネジメントと」の名の通り、日本人医師として初めてハーバードでMBAを取得した、山本雄士Dr.が主催するゼミです。

教材である『医療戦略の本質』(マイケル・E.ポーター 著、山本雄士 訳)では、医療のプレイヤーは四つと説きます。

①患者
②医療従事者
③製造者(製薬会社や医療機器メーカーなど)
④保険者(生命保険会社や共済組合など)

医療はこの四者間ビジネスであり、公的機関はその関係性の調整役。
この認識が前提にないと、医療政策や医業、ヘルスケア事業は、大きく間違う可能性があるわけです。
③④のビジネスエリートたちは、MBA取得などを通じ、その認識を持っています。
一方で、①②の人たちは?
これが、冒頭の問題提起に繋がる訳です。

①の患者さんの立場の方に。
「医師という社会資源を、もっと有効活用しませんか?」

②の医療従事者の立場の方に。
「当事者である私たちは、どうしたら、もっと社会の役に立てるのでしょう?」


この問題意識を抱えたまま、外科医としての修練が続きます。

初期臨床研修では、内科(外科と対比)を重点的に。
外科専門研修では、腹部外科(胸部外科と対比)を2年。
医師5年目にして、やっと本分である呼吸器外科を専攻します。
(肺移植領域は、欧米では心臓外科医が担当する領域です。)

意図的にこの対比を選択してきました。
多様な現場経験を有することで、より多様な背景の医師達と協同する為に。

比較の軸は、もう一つ。
・腫瘍外科(がんの手術など)
・感染症外科(盲腸の手術など)
・外傷外科(交通事故の際など)
・移植外科
と、手術も、その分類によって、戦略が異なります。

「肺移植領域」の選択は、美しいストーリーでした。
・家族が同業だった
・指導教官に恵まれた
・首都圏に肺移植の実施施設が乏しかった
(東京→関西に患者紹介していた。先進国の医療体制として、社会問題だと感じていた。)

高揚感と共に、大学院に進学し、肺移植領域の研究に従事することになります。


大学院生時代の研究テーマは
『ラット肺移植モデルを用いた移植後肺慢性期管理のFDG-PETによる評価』
でした。

「学位の為の論文でなく、人類の役に立つ為の論文を書きたいです」と息巻いていました。事実、肺移植後の急性期管理は改善していても、慢性期管理は30年近くに渡って改善していなかったのですから。指導教官が世界外科学会のアワードを取得していたこともあり、自分が世界の最前線にいるかの様な錯覚を覚えていました。

ただ、生活は苦しかった。本当に。
自分が受けた教育を、自分の子供には提供出来ない、と感じていました。
自分の職場に、後輩を勧誘出来ないことが、本当に辛かった。
アメフト部に後輩を勧誘する時は「君たちの人生を預かる」等と豪語していたのですが。

(アルバイトで生計を立てることが知られていますが、胸部外科はそもそも、そのアルバイトすらも困難でした。患者急変の際に、即時的な対応が必要で、スタッフの人数も限定的でした。ましてや、移植などの特殊領域では。「大学病院で最も時給が高い職員はコンビニ店員ですよ」というジョークは、あながち嘘では無いのです。)

そもそもの出来が悪かったのですが、財源の不足、加えて、諸事情があり、研究の継続そのものを断念せざるを得なくなります。

そこに追い打ちをかける様に、父親のがんが発覚します。
余命半年の宣告でした。


当時、父親は現役の呼吸器外科医でした。
私以上に、手術を愛し、手術室、そしてチームを、何より、患者を愛する人でした。
発見時の診断は膵臓がんステージIV(合併症あり)。

「医は仁術」、「医師は清貧であれ」を地でいく人でした。
高級ワインを飲むこともなく、コンビニの安酒で上機嫌。
出来の良い兄は、素直で、父親と同じ道を志し、自己実現しています。
出来の悪い私は、不器用で、どうしたら自己実現(自己超越?)出来るのかが分かりませんでした。

私は、恐れていました。
怖かったのです。
最後に父親が自己否定をしないか、不安で不安で仕方がなかった。
父親が逝去するまでの半年は、私が己の浅ましさ、矮小な価値観と向き合う時間でした。

「もっと、美味しいお酒を飲みたかった」
「もっと、母さんと旅行に行きたかった」
「もっと、自分に素直になれば良かった」

終ぞ、その言葉はなく。

『見事』

その一言に尽きます。
「男子の本懐」を成した訳です。

翻って、私はどうか。

深く、深く、自己を内省した際に、それでも想うこと。

『医師にしか気付けない社会問題を解決したい』


外科医として、大事を成し遂げた訳ではありません。
それでも、あの時あの場で居合わせた、その患者にとっては、たった一人の主治医です。
ミゼラブル(悲惨)な経過を辿ろうとも、それでも、向き合ってきた矜持はある。

『大切なものを大切にしたいだけなのに』
『大切なものを大切にし続けたいだけなのに』

どうして、こんなにも、医療の現場は苦しいのだろう。
医師が善意に溢れ、有能であれば有るほどに、経済的に困窮するのは何故?
(直近では、コロナファイターのボーナスカット、等でしょうか。)


確実に言えることは、「努力の仕方が分からない」ということでした。
だからこそ、外部に答えを求めました。
自分が想像出来うる努力の範疇では、答えが出ないことだけが、分かっていました。
私が、自由診療である美容医療に関係することになった最大の理由が、これです。

同時期、NPO法人Ubdobeを知ります。
医療福祉エンタメ集団で、知人を介して代表の方を存じ上げていました。
『Social Funk』というイベントを、渋谷のクラブで主催します。
実情は、臓器医療に対する啓蒙活動でした。
脳髄が痺れた瞬間でした。

真面目な内容を、どんなに熱弁しても、伝わらなかった。
にも拘わらず、軽く見ていたクラブイベントが、自身の何百倍もの影響力を持って、社会に問題提起をしている。
一筋の光明を見出しました。

『伝える内容も大事だけど、伝え方も大事』

今となっては、当たり前に感じることですが、当時は目から鱗でした。


努力の仕方を知りました。
努力の方向性を知りました。
本格的に、事業家を志し始めました。

今、思うこと。

『医療業界にはプロ経営者が必要だ』
『医療業界からプロ経営者が育つ必要がある』

保険診療クリニックの経営再建やM&A仲介、生命保険会社や四大会計事務所の医療コンサルティング、等の実務経験を積みました。

しかしながら、どこまでいっても、保険診療は保護産業です。
経営の最も神聖な「値決め(プライシング)」が、Out of Controlなのです。

自由診療領での武者修行が必要と感じていました。

究極的に、私は、医師という属性集団を動かしたいのです。
(『医療戦略の本質』で記載した、②の医療従事者へのアプローチ。)

一部の尖がった医者がベンチャースピリットを発揮するのではなく。
普通の町医者(開業医)が、普通の勤務医が、当たり前の様に、事業を通じた社会貢献をする世界を夢見ています。
そうであってこそ、身近な天才の閃き(往々にして、当の本人は自身の天才性に無自覚)を、育み、育て、加速させることが出来ると思うのです。
ひいては、より良い社会の実現に繋がると信じています。
圧倒的『凡人』の私に出来たことだから。
普通の医師の方々に、「私にも出来る筈」と思って欲しいのです。


これ以上、医師が善意で協力するのではなく。自己犠牲を伴うのではなく。
自身の仕事に誇りを持ち、後輩を勧誘することに躊躇いのない世界であって欲しい。
全ては、この国の医療体制に『継続性』を担保する為に。

手段として、私は、
・医師が事業家になる
・医療を産業にする
・医学部教育で事業を講義する
ことが必要だと考えています。


随分と、エキセントリックな医者ですね。
私は、あまりにも社会の恩恵に浴してきました。
特別な経験があります。特別な投資をされてきました。
なればこそ、通常の恩返しで留まっては、コストパフォーマンスが悪いのです。
与えられたプレミアに応じた、プレミアなリターンを社会に還元しなくてはならない。
私も、『男子の本懐』を達成して、死にたいのです。


中高の母校、洛南の校訓は以下の通りです。
弘法大師に由来する学校であり、密教(真言宗)の教えそのものです。
・帰依仏=自己を尊重せよ
・帰依法=真理を探究せよ
・帰依僧=社会に献身せよ
三帰(三帰依文)を現代語訳したものです。

答えの出ない問いと向きあう時。
家訓の無い私は、母校の校訓に縋(すが)りました。


国立大学である東京大学は、私に答えをくれませんでした。
答えに至る手段として、部活動(東大医学部アメフト部)よりbetterな手段はありませんでした。
思想を、哲学を、三帰を、自身の細胞一つ一つに刻み込む時間でした。

東大総長の言葉は何れも痺れる言葉でした。
それでも、社会背景、国家の事情、が反映されます。
100年先の東大生は、今の東大生と違うことを第一義とするでしょう。

一方で、私学はどうか。
創設者の理念が最上位です。
賛否両論あれ、どんな形であれ。
一貫性があります。


日常で、こんなことを思う方は少数でしょう。
それこそが、この日本が未だに恵まれている証左です。

本当に、生きる意味に飢えた時。
ヒトは、答えを渇望するものです。

そんな、理念だなんだと、小難しいことを考えずとも。
政治に無関心だとしても。
政治なんかに頼らなくても。

生きていけるのが、日本という国です。
私は、日本という国が好きです。

だからこそ。

『健全なる社会が、末代まで続きますように』

という祈りがあります。

どうすれば、この『祈り』は叶うのでしょうか。


日本国の歳入、歳出を見てみます。
社会保障費はざっくり130兆。そのうち、医療費は40兆。
『医療費亡国論』なる主張が取りざたされたのも、無理はありません。
必要ですけどね。

人口ボーナスの期間(現在は人口オーナス。オーナス=負担、重荷の意味。国家が先進国になる過程で、一度だけ訪れるチャンス。先進国で人口が増え続けているのは米国だけです。主に、移民によります。)は、他産業が納税し、その税金の『分配』が議題の中心でした。

一方で、現在は、財源が不足しています。
「医療は神聖だ」
の声は、他の財源を奪うことを意味します。

善意にあふれ、医療に邁進すればするほど。
少子化対策の財源は限られ、電気ガス水道などのインフラ整備の予算を奪い。
国防費用も制限されます。

『無い袖は触れない』

当たり前の事実です。


そろそろ、諸外国の事例に学んでも良いのではないでしょうか。
世界各国では、株式会社(営利企業)が医療機関を経営するのが普通です。
結果、日本国民よりも良い医療を提供されている事例もあります。

医療は、他産業に「おんぶにだっこ」でした。
他産業が納税し、その税金を分配した結果が、従来の医療でした。
今度は、他産業を救う為に、医療が納税をしませんか。
40兆産業である『医療』のオピニオンリーダーである医師が、社会に無関心であることが意味すること。
日本最大の産業であるTOYOTAの幹部連中が「日本国の景気とか社会とか、どうでもいい」と発言しているのと、同義です。

日本の医療が素晴らしいのは、医療従事者の献身によるところが大きいです。
抉って言えば、自己犠牲を伴っているのです。

同時に、誰かが用意してくれた財源の『分配』を声高に叫ぶだけで、財源の『捻出』にコミットしないのは恥ずかしい状況です。

そこに『継続性』があるとは、到底、信じきれないのです。


こうして、私が経営する銀座アイグラッドクリニック(ginza-iglad.com)の理念は定まります。
・顧客中心主義
・人的資産価値の向上
・社会への情報発信
の三つです。
(あくまでも武者修行中ですが、だからこそ、全身全霊を掛けて取り組んでいます。)

マーケティングやブランディングに詳しい方ほど、思うことでしょう。

「こいつ、アホか?」

と。

その通りです。小難しい理念や、行動指針を記載すればするほどに、PVやCVRは低下します。

それでも、私には、必要なことなのです。自尊心を保つために。

『誰か(顧客)の問題解決をした範疇で、正当な報酬を頂戴する』

ビジネスの本質はこれだけです。
この文脈の中で生きる限り、多く稼いだ=多くの価値貢献をした、です。

①は、顧客=患者と捉えた時。
②は、顧客=スタッフと捉えた時。
③は、顧客=社会と捉えた時。

この三軸が矛盾する時、私はクリニックを潰します。
『医師にしか気づけない社会問題を解決する』
という『男子の本懐』から逸脱するわけですから。


今の私は、事業家というよりも、思想家(社会彫刻家)なのでしょう。
自身が儲からないことばかりを、患者に提案しています。
それでも経営が成り立っているのは、摩訶不思議です。
何故だか、スタッフの忠誠心(Loyalty)も増しています。
良い時代に生まれたものです。

美容医療には、ガイドラインが存在しません。
大学病院で保険診療に馴染みのある感覚では、意味不明でした。

全うな医療では、手術の適応は、
・医者がしたい
・月間目標売上の到達
・手術件数が公的機関の規定を満たす
等とは、無縁で決まります。
全ては、患者の状況(顧客=患者の事情)だけで決まります。

この文脈を、美容医療業界にも持ち込みたいのです。
哲学も思想もない、過度な商業主義で消費されてはいけないのです。
この世界に、救いが無さすぎる。。。


社会に価値貢献する為に。
保険診療の医者と、自由診療の医者と、争っている場合ではないのです。
広く、社会への価値提供を考える際に、お互いが手と手を取り合って、共同することで、一層の社会貢献が可能となります。

・社会の要請を聞け
・時代の要望を聞け
・患者の魂の叫びを聞け

こういう講義が、医学生教育には必要なのではないでしょうか。
他大学はいざ知らず、東京大学卒の医者は、2年間の教養学部教育がある訳ですから。
医学部を目指し、税金が投入される東大医学部生にとって、リベラルアーツの一丁目一番地だと思っています。

もし仮に、医学というサイエンスが人類を不幸にするのならば。
(原子力爆弾など。新型コロナウイルス感染症もでしょうか。)
それに「待った」を掛けるのは、東大医学部卒の医者の社会的使命です。
日本国内の医者で、唯一、教養学部を経て医学部に編入されるのですから。

(※他大学は、医学部6年制です。東京大学は教養学部理科III類の名前の通り、2年の教養学部、4年の医学部、というカリキュラムです。)

驕りでしょうか。
誹りを受けようとも、私は叫びます。
何度でも、何度でも。


今、医学生には閉塞感が漂っていると聞きます。
将来に希望が持てず、金銭的な報酬しか信じきれない。
一理あります。
格差社会がうたわれ、逃げ切りを目指すことは否定できません。
だからこそ、希望が必要だと感じています。
私が、圧倒的な『キレイゴト』を情報発信し、それが、報われる過程を実況中継することは、社会の役に立つと感じています。


次回は、私の人生の歯車が大きく動く内容を投稿します。続編を記載するモチベーションの為に、興味を示して頂いた方は、シェアや良いねを頂戴出来ますと幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?