ド素人なりに仏教について調べてみた①
とある仏教絵画が見たくて色々調べていると、自分でも驚くほど仏教について無知なことがわかりました。
小さい頃から泣き叫ぶほど勉強が大嫌いで全くやる気がなかったので、今になってそのツケが回ってきたかー!と、なっています(笑)
せめて日本史くらいちゃんと授業聞いておけばよかったー・・・うん。
そこで自分なりに“仏教とは?”を調べてみたので、これから順番にまとめようと思います。
今回は第一弾と称し、仏教の興りから奈良時代の仏教までを見てゆきましょう。
どうぞものすごーく暇なときにでも読んでいただければ幸いです。
1.仏教の興り
紀元前約5世紀ごろに釈迦という方が悟りを開いて興したのが始まりです。
釈迦(サンスクリット語でゴータマ・シッダールタ)は、紀元前463年ごろにインドで生まれた実在した人物で、釈迦族(シャーキャ族)の皇子です。
『目覚めた人(仏陀)』『釈尊(釈迦牟尼の略名で釈迦族の尊者という意味)』ともいわれています。
八正道を説いたことから始まり、それが仏教の基本的な教えとなります。
その教えは、人々の日常生活に密着したもので、
『すべての人が苦しみから解放される可能性を秘めており、修行や実践を重視すること』
が特徴で、衆生からとても支持されるものとなりました。
そして釈迦は『釈迦如来』と呼ばれ、地上で唯一悟りを開いています。
1-1.大乗仏教と小乗仏教
釈迦の入滅後は、その教えの解釈により分派してゆきます。
のちにインドから南方面を経由し、中国や朝鮮半島を経て日本に伝わったのが大乗仏教です。
※仏教伝来のルートについては、何通りもありましたがここでは割愛。
中国でも風土に合わせて変容したため、日本に伝わった仏教は発祥地インドのものではなく、中国的なものになりました。
①大乗仏教
大乗仏教とは、あらゆる人間や生き物の救済が目的で、
「自分が幸せになれば他人も幸せになる」
「他人のために教えを守り、他人のためになることは自分のためになる」
という『自利利他』の教えからなるもの。
また、大乗仏教には菩薩(悟りを開く人)は修行をするだけではなく、悟りを求める人は誰でも菩薩になれるという考えがあります。
②小乗仏教
一方、小乗仏教とは個人の救済が中心で、
「それまでの決まり事や伝統を守る一派のこと」
「自分自身のために教えを守り、修行した人だけが救われる」
といったものです。
※『小乗仏教』とは大乗仏教が蔑んだ名称で、正しくは『上座部仏教』といいます。
大乗仏教の国
日本、ネパール、ベトナム、ブータン、中国、朝鮮(半島) など
小乗仏教の国
ミャンマー、タイ、スリランカ、カンボジア、ラオス など
1-2.仏教の伝来
仏教が日本へ公式に伝来したのは538年(または522年頃)ですが、渡来系として公式より前に日本へ伝わっています。
百済の聖明王が当時、欽明天皇に釈迦像や仏典を送りました。
しかし、当時の日本には神道が存在していたので、仏教は外国の教え(未知の教え)と考えられていました。
そういった中、仏教反対派の物部氏と、仏教推進派の蘇我氏の間で争いが起こります。
結果、蘇我氏が勝ち、仏教を国家プロジェクトとして推進してゆくことになりました。
蘇我氏は、仏教を「中国からの文化の一つ」と捉えて様々な美術や大陸文化を積極的に取り入れるようになりました。
また、蘇我氏が仏教を推進することで、588年ごろの用明天皇が仏教に帰依。そしてその子供の聖徳太子が仏教を政治に取り入れて、法隆寺や四天王寺を建立することとなりました。
これが 奈良仏教の始まり となります。
2.奈良時代の仏教
奈良仏教は大きく4つの宗派にわかれます。
①法相宗(倶舎宗は法相宗に吸収される)
②華厳宗
③律宗
④三論宗(成実宗は三論宗に吸収される)
上記①から④までに挙げられた宗派を『南都六宗』といい、のちに三論宗は衰退して①から③が現存しています。
①法相宗
日本の開祖:道照(629年~700年) ※道昭ともいう
主な寺には
興福寺、薬師寺、法隆寺、京都の清水寺
が、あります
当時、奈良の僧侶が一番ここにおり、もっとも栄えたとされます。
法相宗は玄奘三蔵(三蔵法師)がインドから中国に伝えたもので、三蔵の弟子だった道照が日本に伝えたものです。
②華厳宗
日本の開祖:良弁(689年~774年)
4世紀ごろに中国西部で成立し、華厳経の思想に基づいた宗派です。
聖武天皇が深く関心を持ち、のちに東大寺の大仏を建立しました。
ちなみに、東大寺の大仏は正式名称『銅造盧舎那仏坐像』といい、国宝に指定されています。奈良の大仏さんで人気ですね。
③律宗
日本の開祖:鑑真(688年~763年)
当時中国で栄えていた『戒律』を研究する宗派です。
「戒」・・・自発的に誓いを立てる僧侶としてのあるべき姿
「律」・・・集団生活の中での僧侶として守るべき倫理基準
正式に僧になるためには、目上の僧からこの戒律を授からなければなりませんでした。これを『授戒制度』といいます。
しかし、この授戒制度を用いるにしても、仏教伝来からわずか百数十年ほどしか経っていないため、日本には高僧がいませんでした。
そこで聖武天皇が唐から鑑真を迎えて、東大寺に戒壇院をつくることとなります。
そしてのちに、鑑真が東大寺から離れて建立したのが唐招提寺です。
※鑑真が日本へ渡ってきたのは753年12月7日の屋久島とされており、それまでに5回日本へ渡るのを失敗しています。
3.奈良仏教の特徴
奈良時代の仏教は、政治的な色合いが濃ゆく、律令制度のもとでの国民統治(国家的宗教プロジェクト)の役割をはたしていました。
これを『鎮護国家思想』といいます。
仏教はこの時代の特権階級の人々の学問で、一般大衆への布教は禁止されていました。
仏教そのものが日本へ伝来してまだ百数十年ほどと未知であったため、東大寺や法隆寺は仏教を研究するための大学のようなものだったのです。
また、一般大衆へ布教されなかったので、奈良時代の仏教には檀家もお墓もありませんでした。
まとめ
今回は奈良仏教までをまとめてみました。
こうして文字化すると「なるほどそうだったのかぁー、知らなかった!」ということが多いなという印象です(主に私だけかな笑)
仏教がどれほど日本の文化に影響を与えることとなったのかがわかります。
次回は②「平安時代の仏教」についてまとめるので、どうかごゆっくりお待ちくださいませ。
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