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小説を面白くする方法を『パンク侍、斬られて候』を例に解説する

小説を面白くする方法について、町田康『パンク侍、斬られて候』を例に解説します。町田康ファン以外も楽しめるように書いたので、読んでもらえると嬉しいです。

まずは、代表作『パンク侍、斬られて候』の引用から見てみましょう。

問われた十之進はしかし涼しげである。衣服も涼しげ目元も涼しげ、全身これ涼しげであった。そして、この、涼しげな感じ、の本然はつまり、これから採用試験に臨む者に特有の演出された涼しさでつまり採用する側が、お? なかなか爽やかな若者ではないか。と思って採用してくるかも知らん、という思惑のもとに人工的に作られた爽やかさで、まあだいたいこういう爽やかさ・涼しげな感じは嘘であると考えた方がよく、例えば、ときおり…(以下略)

「どうしてこんな文章を書くのだろう?」

町田康を読んだ方なら、かならず一回は考える問いですよね。この答えに至るためには、「人間が面白いと感じるメカニズム」を知るのが近道になります。

人間が面白いと感じるメカニズム

桂枝雀さんの「緊張と緩和」という理論があります。要約すると、笑う=面白いと感じるには、緊張と緩和の両方が必要という内容です。

※下記の要約記事が分かりやすかったので、読んでみてください。

読みましたか?それでは一つ重要なことを言います。

面白いと思うタイミングは、必ず「緩和」のときです。

これは、人間の歩んできた歴史を考えると分かります。私たち現代人には、原子時代の名残があります。原始時代での「緊張」とは、狩りでマンモスと戦っているときなどです。

そんなときに「緩和」して、バカ笑いしていたらどうなるでしょう?あっという間に殺されますよね。だから「緊張」のときに、面白いと感じることはありません。

また、緊張と緩和は基本的にセットです。ずっと緊張したままでは、緊張していることにも気づかない。緩和もまた同じです。

で、「緊張と緩和」は落語家が考えた理論ですが、じつは他の分野でも同じようなことが言われています。

たとえば、映画です。『SAVE THE CATの法則』『ハリウッド脚本術』など、映画脚本のバイブルでも、緊張と緩和のバランスの大切さが書かれています。

もちろん「緊張と緩和」という言葉が、そのまま出てくるわけではありません。「緊張と緩和」と同じような考えが、書かれているということです。

小説の話をする前に、もう少し映画の話をさせてください。

映画のシナリオ作りでは、ポジティブな展開とネガティブな展開のバランスが大切になります。

映画でいちばんポジティブな展開はクライマックスですが、ハリウッドでは、クライマックスの前に大きな挫折=いちばんネガティブな展開を配置するのがセオリーです。

なぜなら、大きな挫折を味わってクライマックスを迎えれば、その分だけ大きな感情の高まりが生まれるからです。

ここで先程の「緊張と緩和」を、クライマックスと挫折に置き換えてみてください。

どうでしょう?けっこう似ていると思いませんか?

つまり、ハリウッド映画が面白いのは、「緊張と緩和」をストーリー展開に添って上手く配置することで、感情の高まりをコントロールしているからです。

そして、このことは小説にも応用できます。宮部みゆきや伊坂幸太郎などの一流の作家は、みんなこの「緊張と緩和」を扱うのがとても上手なのです。

話が繋がったところで、ようやく小説の話に戻ります。

町田康はハリウッドのセオリーをぶち壊した

町田康作品が面白い理由はいったい何なのか?

ヒントは「緊張と緩和」のバランスにあります。

一般的な小説や映画では、緊張よりも緩和の方が多いです。緊張:緩和=7:3くらいでしょうか。

アクション映画でも、カーチェイス(緊張)はここぞという場面でしかやりませんよね。ハリウッドの脚本セオリーは、長いあいだプロが磨き上げてきた技術です。そのすごさは、ハリウッド映画の面白さからして明らかです。

ただ、欠点がないわけではありません。たくさん作品を観た人には、どうしても展開が読めてしまいます。「お、でかい挫折が来たな。そろそろクライマックスか」と予測が立ちやすい。

ところが、町田康作品ではこういう予測がまったく通用しません。

ハリウッド映画のセオリーをぶち壊しにしているからです。

町田康作品では、緊張と緩和がストーリー展開に添っていないのです。先ほどのアクション映画の例でいえば、町田康作品では、いつカーチェイスが起こるか分からない状態にあります。

このことは、町田康作品を読んだ方なら納得できるはずです。

町田康作品では、何でもない日常シーンへの、とつぜん無茶苦茶な言葉づかい(冒頭でお見せしたようなやつです)の挿入や、奇妙な人物の出現などがよく起こります。まともな要素の方が少ない作品も珍しくはありません。

こういった異常事態(緊張)が、町田康作品では、ストーリー展開と関係なく起こるのです。

だから、読者はいつ「緊張と緩和」が起こるのか、まったく予想ができません。不意に来る「緊張と緩和」に引きこまれ、爆笑しながら、ページをめくることになるのです。

町田康が文体を完成させた経緯

もっとも、町田先生ご本人によると、あの文章はリアリズムを追求した結果だそうです。

村上春樹を引き合いに出して、新しい文体を作りたかったと言っていたこともあります。(当該記事が見当たらないので、見つけたらどなたか教えて下さい)

また、ぼくが町田康さんのトークショーに行った際には、「近代文学の日本語の小説は嘘くさい。ふだん使わない言葉の使い方をするから」という趣旨のことも話していました。

今日はここまで。

また気が向いたら、改めて書いてみたいと思います。


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