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ここらが潮時。デザイナー16年目で廃業を決めた話

初めまして。漫画家・イラストレーターのきびのあやとらと申します。
この度約16年やってきたデザイン業を廃業することに決めましたので、その決断に至るエピソードなどをnoteに残すことにしました。

職歴ざっくり紹介

ギャルからはじまるマイキャリア

芸術短大時代バリバリのギャルで、アメ村をフラフラ歩いているところをストリートスナップされる。その時声をかけてきたライターさんのツテで、コギャルが編集長(と言うコンセプト)のギャル雑誌編集部でアルバイトすることに。
卒業後そのまま同編集部に就職するも3ヶ月後に会社が倒産→R社の媒体のDTP進行管理→編集プロダクション(この頃からイラストもフリーで受け始める)→派遣で広告代理店制作→広告制作会社のコピーライターを経て2005年、地元岡山へ。
デザイナーを名乗ることになったのはこの頃から。父のデザイン会社で2年学び、2007年結婚を機にブライダルペーパーアイテムのオーダーメイド事業をスタート。以来私の肩書きはずっとデザイナーで、産後ぼちぼちイラスト受注するようになってからも、本業はデザイナーで変わらなかった。子育てが落ち着いたらいつかブライダルを再開するぞ!と夢見ていた。


こじらせデザイナー

ところが娘が保育園に入っても幼稚園に入っても、なかなかブライダル再開に至らず(実際スケジュールがかなりシビアなので慎重にならざる得なかったけど)、たまにくるチラシや名刺のデザインをしながらサブ的に似顔絵の依頼をこなす日々。

多くはないけど何かしら途切れずあった依頼は少しずつ減り「流石にこれはまずいぞ」とロゴの公開コンペに出してみたりwebデザインのスクーリングを始めたり足掻いていた。

でも全然上手くいかない。
コンペに落ちるたび「10年以上デザイナーやってるのに入選もしないなんて…」と思い情けなくなる。
webデザインのスクールで最初に教わるのはデザインの基本とAdobeの基本操作。「高い受講料を払ってすでに知っていることを学ぶとは…。どうして私は10年以上やってて未だに教わる側なんだろう。どうして私はあっち側(オンライン授業の講師)に行けないんだろう」とまたもや惨めな気持ちになってくる。

今思えば、当時の私は思いっきりキャリアをこじらせていた。
アイアムこじらせデザイナー

ブライダル以外の実績は多くないにも関わらず、十数年デザインをやっていること。ただそれだけをよすがに、何かあるたびプライドのような何かをすり潰していたのだった。


ほんの少しで良いから浮きたい

もがく、こじらせデザイナー

そんなこじらせ期と不景気がシンクロした昨年はなかなかの地獄。
個人の方なので精一杯のサービス価格を提示したら「え…高…」と言われ、提案しても「強いて言うならBですかね」みたいな反応。直しに直しを重ねた挙句「やっぱりcanva使って自分で作ります」と言われたことも。色んなものをすり減らして得られるのは、印刷代を差し引くと1万円にも満たない報酬。

全ては私の不徳の致すところであって、もうちょっと上手くやることはできたと思う。それに新規顧客には恵まれなくても長年取引しているお客様には十分評価してもらえていたし、そこまで悲観しなくても良いのにと今になってみて思うのだけど、絶賛こじらせ中の私は「できないこと」「なれなかったもの」ばかり見ようとしていた。

10年以上やっているのに未だにこんな仕事しか出来ない。
10年以上やっているのに、何者にもなれなかった。


死ぬまで続けたいと思っていた仕事なのに、ストレスばかりが増えていく。
いつまでこんな低空飛行を続けていくんだろう。
ほんのちょっとで良い、浮き上がりたい。
クサクサすることばっかりじゃなくて、スカッと痛快な仕事がしたいんだ!

…それならもうやめちゃおうかな。
重荷でしかないキャリアならばいっそ、手放してしまおうか。
そう思った瞬間、わずかに体が軽くなったような気がした。

ある種の呪い

デザイナーをやめる。実はこれまで一度も考えなかったことだった。
でも、案外アリだな。幸いにも私にはデザインだけじゃなくイラストや漫画の仕事があり、最近はそっちの方が調子が良い。
ここらが潮時なのだと思う。

「好きなことを仕事にする」とか「私らしく働く」と言ったワードは、きびの世代(1980年生まれ)は嫌というほど刷り込まれていて、手に職をつけたら生涯食いっぱぐれることは無いともよく言われてきた。
もちろん全然そんなこと無くて、かつて「私らしさ」の象徴的に扱われていたクリエイティブ系はまんまと食いっぱぐれてるし、一生モノのスキルと言えるのは医療従事者や士業などごく一部というのが現実だ。

でもやっぱり「自分は違う。自分は賢くやれた方だ」って誰もが思いたいし、私もそうだ。何年もかけて取り組んできたものが正解だったと思いたい。数年間を無駄にしたくないと思うのは当たり前のことだ。「いつかはデザイナーとして名をあげる」ずっと願っていたことだ。

これもある種の呪いなのかなと思う。
「こうあるべき」「これが私の天職なはず」そう思いたくて、しがみついてしまう呪い。

それが違ったとしても、思った通りの未来で無かったとしても、無駄ではないのにね。バッドエンドじゃないと今は思える。

好きなことと目的は違う
デザインをすることは好き。漫画も、イラストも。だけどそれをするために働いているわけじゃない。イラストレーターさんの中には「描いてるだけで幸せ!」という方が多くいるけど、私はあまりそう思ったことは無くて、最近ではストレスがあるか無いかに重きを置いている。

これまで一番ストレスが多くてしんどかった仕事はダントツで編集プロダクション時代のライター業なのだが、今日取材行って明日原稿提出(しかも明日朝から別の取材)みたいなのザラで毎夜毎夜心臓を鷲掴みにされるようなとんでもないストレスの連発で元気溌溂な20代私の寿命をみるみる吸い上げてくれたものだった。でも面白かった。毎日がめちゃくちゃハードでおかしくなりそうだけど面白くて仕方なかった。もう今は絶対無理だし死んでもやりたくないけど、「面白おかしく生きていたい」という当時の目的を満たしてくれたからストレスなんて本当にどうでも良かったのだと思う。

そして時は経ち、今改めて私の目的を考えてみた。
やっぱりデザインをすることだったり、絵や漫画を描くことでは無さそう。それらはあくまで手段であって、目的では無い。

デザインすることは目的じゃない

突き詰めてみると「誰かの役に立ちたい」「喜んでもらいたい」「楽しんでもらいたい」と、外側に向けられたものばかりだった。

じゃあそれなら別に、デザインにこだわる必要は無いね、と。
私自身は歳のこともあるし、もうあまり無理せずストレスをためず、誰かの役に立つことをやれば良いのだ。


すーっと前へ


デザイナーを辞めようと決めた時、なぜか一輪車を買った。
小学生の頃みたいに乗れるように練習中。

そんなわけで。
厳密には開業日ではないのですが、今年秋の結婚記念日を目処に屋号と業種を変更する予定です。

(屋号何にしようかな…。)

ちなみに屋号と業種を変更する際は特に届出等は必要ないそうです。ちょっと意外でした。

ほとんどの方に知られずひっそりと、もうすぐ名前を消す屋号。
それとデザイナーとしての私。本当にお疲れ様。

誰も知らなくても、有名になれなくても。
この16年を誇りに思う。

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