随筆(2020/8/13):嫌な人間関係は修行ではない。スパッと別れた方が精神衛生上良いですよ
先日あったお見合い、ダメでした。(最悪な挨拶)
ダメだこりゃ。次行ってみよう。
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まあ、分かっていたんですよ。「微妙に『合わない』人だな」って。
それでも二回目は会ったんですが、二回目までにも、二回目にも、いろいろあり、「やはり『合わない』な」となりました。
最終的には、
「結婚前に、自分のやりたいことを、悔いのないように、されたらいいと思いますよ」
とか
「三回目の可否についてはお互いの自由意志であり、その決断は誰にも妨げられない」
とか、まあ要するに
(一緒にやっていく気がないでしょ。じゃあもう好きにしたらいいんじゃないの)
ということを暗にお伝えし、うまく先方から
『三回目、お断りします。あんたとは『合わん』わ』
という言質を戴きました。あーよかった。これでお互い後腐れはない。
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まあ、
「合わん」
ということには、
「私のような正常な人間からしたら、あんたは異常者だし、しかるべき徳を有しない無能でもある」
という意味合いを含意する。
これをお伝えするのは、当然ふつう極めて危険なことなので、言い回しに途方もない配慮が要る。
んで、その辺文言を練っていたら、先方から「合わん」と言われちゃった次第なんです。
はっはっは。まーしゃーないな。
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当たり前のことを言うが、異常者や無能扱いされるのは当然愉快ではない。
というか、メチャクチャ不愉快です。(だからこの記事書いてるんで)
だが、そういう「どう扱っても自由である、劣った者」を、演技として、やらざるを得ない。
これも当たり前で、お互いが「自分は悪くない。お前が悪い」と言ったらこじれるに決まってる。
どちらかが腹を出して降参した方が、はるかに早くスパッと終わる。
「悪者」扱いされてでも、人間関係を解消した方が楽なら、そりゃあ、私がやるよ。いくらでも。
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こちらから断っても良かったんだが、まあ相手は自由を重んじる、自分でコントロールできないのが嫌そうな人だったし、断るのも相手に下駄を預けました。
まさかここで、
「相手を「悪者」扱いすることを、余儀なくされた、腹立たしい、やはり相手は「悪い」」
という、気持ちは分かるが対外的には最悪なことを考えちゃいまいな。
自由にやるのは自由だし、社交や処世で自由をやるのもまた自由だが、後者はどうしても応答責任が後からやってくるし、
「私に責任なんてものを負わせるやつは悪者」
みたいなことを思われたら(思ってなきゃいいんだが)、そりゃあ困りますよ。
それは、社交や処世と、自由が交じり合うと、ほぼ自動的にポップアップするものだ。誰かが負わせているような性質のものではない。
まして、相手を悪者扱いすることの疚しさを、さらに相手を悪者にすることで打ち消すの、
「一発目の打撃で物体の抵抗力を殺し、瞬時に2発目を打ち込むことで完全に破壊する」
『二重の極み』の術理の説明に酷似した、
「そうはならんやろ」
という理屈なのですが、まあ好きにされたらいかがでしょうか…
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性格や価値観のズレが違いすぎる人と、辛抱強く付き合うのは、そういう修行でやるなら立派だが、そもそもやる謂れがない。
一回違和感を覚えたら、そこでスパッと離れる人も多く、それでいいんだよな。
嫌な人間関係は、修行ではない。スパッと別れた方が精神衛生上良いですよ。
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あー終わった終わったー。
スッキリ。
また次の伝手を探そう。
やるぞー。
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