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随筆(2020/8/13):嫌な人間関係は修行ではない。スパッと別れた方が精神衛生上良いですよ

先日あったお見合い、ダメでした。(最悪な挨拶)

ダメだこりゃ。次行ってみよう。

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まあ、分かっていたんですよ。「微妙に『合わない』人だな」って。

それでも二回目は会ったんですが、二回目までにも、二回目にも、いろいろあり、「やはり『合わない』な」となりました。

最終的には、

「結婚前に、自分のやりたいことを、悔いのないように、されたらいいと思いますよ」

とか

「三回目の可否についてはお互いの自由意志であり、その決断は誰にも妨げられない」

とか、まあ要するに

(一緒にやっていく気がないでしょ。じゃあもう好きにしたらいいんじゃないの)

ということを暗にお伝えし、うまく先方から

『三回目、お断りします。あんたとは『合わん』わ』

という言質を戴きました。あーよかった。これでお互い後腐れはない。

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まあ、

「合わん」

ということには、

「私のような正常な人間からしたら、あんたは異常者だし、しかるべき徳を有しない無能でもある」

という意味合いを含意する。

これをお伝えするのは、当然ふつう極めて危険なことなので、言い回しに途方もない配慮が要る。

んで、その辺文言を練っていたら、先方から「合わん」と言われちゃった次第なんです。

はっはっは。まーしゃーないな。

***

当たり前のことを言うが、異常者や無能扱いされるのは当然愉快ではない。

というか、メチャクチャ不愉快です。(だからこの記事書いてるんで)

だが、そういう「どう扱っても自由である、劣った者」を、演技として、やらざるを得ない。

これも当たり前で、お互いが「自分は悪くない。お前が悪い」と言ったらこじれるに決まってる。

どちらかが腹を出して降参した方が、はるかに早くスパッと終わる。

「悪者」扱いされてでも、人間関係を解消した方が楽なら、そりゃあ、私がやるよ。いくらでも。

***

こちらから断っても良かったんだが、まあ相手は自由を重んじる、自分でコントロールできないのが嫌そうな人だったし、断るのも相手に下駄を預けました。

まさかここで、

「相手を「悪者」扱いすることを、余儀なくされた、腹立たしい、やはり相手は「悪い」」

という、気持ちは分かるが対外的には最悪なことを考えちゃいまいな。

自由にやるのは自由だし、社交や処世で自由をやるのもまた自由だが、後者はどうしても応答責任が後からやってくるし、

「私に責任なんてものを負わせるやつは悪者」

みたいなことを思われたら(思ってなきゃいいんだが)、そりゃあ困りますよ。

それは、社交や処世と、自由が交じり合うと、ほぼ自動的にポップアップするものだ。誰かが負わせているような性質のものではない。

まして、相手を悪者扱いすることの疚しさを、さらに相手を悪者にすることで打ち消すの、

「一発目の打撃で物体の抵抗力を殺し、瞬時に2発目を打ち込むことで完全に破壊する」

『二重の極み』の術理の説明に酷似した、

「そうはならんやろ」

という理屈なのですが、まあ好きにされたらいかがでしょうか…

***

性格や価値観のズレが違いすぎる人と、辛抱強く付き合うのは、そういう修行でやるなら立派だが、そもそもやる謂れがない。

一回違和感を覚えたら、そこでスパッと離れる人も多く、それでいいんだよな。

嫌な人間関係は、修行ではない。スパッと別れた方が精神衛生上良いですよ。

***

あー終わった終わったー。

スッキリ。

また次の伝手を探そう。

やるぞー。

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