随筆(2019/12/17):『副次的な箇所に惹かれるという感性』1(主題)、2(事前準備)

主題:性欲は有性生殖由来なのに、直感的に有性生殖と関係のない性欲の在り方がたくさんある。なぜか?

(注:この記事は若干えげつないです)
「性欲は有性生殖由来なのに、直感的に有性生殖と関係のない性欲の在り方がたくさんある。なぜか?」という問いかけがあります。

事前準備:何ズカズカと人の私秘的なところに踏み入ってデリカシーのないことを他人に訊いてやがんだ。〇すぞ

この問いかけは、文字の上では価値中立的ですが、この問いかけを人に投げることには、投げられる側から極めて猛烈な抵抗があると思って下さい。
そもそも価値中立的なものというのにも二種類あって、本当に価値中立的なものと、価値的なものをマスクしているものがあります。
なぜ後者みたいなことをしなきゃならんのか? 当たり前でしょう。その価値を受け入れてない人に、その価値の話をしたら、そりゃあトラブルになるよ。ならないのは単に相手に我慢を強いているからです。
「その何が悪いのか分からない」じゃあないんだよ。社交達者のくせにそんなバカ丸出しなこと言わないでほしいんですよ。
***
例えば、
「性欲そのものは社交や処世においては否定されるから、私秘的なものにならざるを得ない」
と思っている人に、
「性欲について質問して責任ある応答を期待する」
こと自体、
「応答責任の名において他人の自由を脅かしてよいと思ってやがる」
という話にならざるを得ない。
応答責任というのはもちろんある程度はそういうものだ。嘘をつく自由なんて認めていたら応答責任なんて成り立たない。
だが、自由を破っていい応答責任というのにも条件がある。自由だけでは出来ないことがあって、応答責任のメリットの大切さが、自由を上回ると判断された場合に限り、応答責任というのが大切だと認められるわけだ。
そうでないなら応答責任なんて認められるわけがなく、そんな状況下で応答責任を盾に自由を制限する人、「本当にバカなんではなかろうか」という話にしかならない。
***
まあ、つまり、何が言いたいかというと、価値的なものをマスクしているということは、それは実は価値的なものを人に飲み込ませるためのオブラートだということです。
もちろん、飲まされる側は当然そんなことにはすぐ気づく。百も承知だ。
だが、それによって得られる相手の反応、「毒をオブラートに包んで飲ませようとしているのは偉い」ではないことに注意した方がいい。
まずは、「そもそもの話として、オブラートに包もうが何だろうが、要するに毒を飲ませる奴、何一つ許せなくないか」だ。当然そうなる。
「は? 努力しているのに何だ。ふざけんな」という気持ちはまあ分かるよ。
でも、やはりこれもそもそもの話として、要するに毒を飲ませようとしているんだから、「自分は毒を飲ませようとしている。基本飲まれなくても何一つやむを得ない」という罪悪感があって当たり前なんですよ。
そもそもそんな発想が全くない人、山上たつひこ『イボグリくん』と同等には「生きてると周囲が〇ぬレベルで迷惑だからとにかく直ちに〇んでいて欲しい」レベルの人でしかない。
罪悪感がないってのは、自分が退屈しのぎで面白半分にダイナマイトを投げて、それでいざ人が〇んだら嘆いてみせるという、『イボグリくん』と同じレベルの迷惑な話ですよ。そりゃそうなる。

漫画_イボグリくん_201605190050395dc

***
さて、つまりは、「今から書く記事によって、俺は非常に大きなリスクを負っている、でもやる、俺は『イボグリくん』と同等の邪悪生物だ、疚しさがある」ということです。

(うわっ。言い訳のような前文を書いているだけで、朝飯の時間になってしまった。朝飯前とはいかなかった。本題は翌日にします。ごめんなさい)

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。