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治療経過_20190818

GW明けに緊急入院となってから在院日数が100日を越えてしまいました。。。
更に直近1年の内、10ヶ月入院生活という。。。

この3ヶ月、また色々とありまして、、、なかなか『状況がこうだ』ということが言えなかったんですが、多少見通しがついてきましたので、忘れないうちにまとめておこうかなと思います。

=アドセトリス→c-mopp=

先般、アドセトリスという薬で時間を稼いで・・・という事を書きましたが、結果としてその直後3回目で効果が見られなくなりました。
予想以上に早かったので気落ちはしたものの、次の候補の治療がありましたので、切り替えて次に!

ということで6月6日c-mopp療法という抗がん剤投与を始めました。
血球の数値が低い為、ただでさえ弱い種類のものを最小限の量でということになってはしまいましたが、ABVD療法が主流になるまではよく使用されていたレジメンらしいので、ある程度の期待を持って臨みました。


・・・ほぼ効果なし!!!


効果測定を行う予定よりずっと早く腫瘍熱と思われる高熱を発しまして。
前倒しで各種検査を行いましたところ、ガッツリがんが拡がっており、更に骨髄浸潤までしておりました。。。

そして高熱に伴い、6月19日早朝、腰と背骨のあたりに呼吸も困難になるほどの激痛が。。

ちなみに血液内科では基本内臓への負担が大きい為、ロキソニンは使用せずカロナールという解熱鎮痛剤を使用します。
しかし、私はカロナールの練り物(?)にアレルギーがあるため、主成分でありますアセトアミノフェンの点滴のアセリオという薬を使用しておりました。

早朝7時~アセリオを落としてもらうも全く効いてこない。
2月に経験致しましたMRSAの時の恐怖が頭にありましたので、すぐに次の対処を看護師にお願いし、オキノームという強めの鎮痛剤を用意してもらい12時頃に投与。
しかしながら多少痛みは和らいだものの、痛い。。。
しかも4時間程度で完全に効果がなくなっておりました。

まぁ、14時のあたりで『これは治まらないだろう』とは思っていましたが(笑)
一応強い薬を使うのであれば経過観察と段階を踏まなければ処方が難しいのもわかっていましたので、夕方再度オキノームを投与。

予想通り効果は薄く、結果として21時頃に医療用麻薬PCA(モルヒネ)を使用。
24時間一定量が流れ続け、痛みの強い時には手元のボタンで増量ができるのですが、それが10分に1回。
時計を睨みながら10分置きにボタンを押し続けていました(笑)



呼吸をするのも困難な状態で何故か『こんな状態になることもなかなかないだろう』と思い撮った写真。
今考えると何をやっているのかと(笑)
薬で顔がパンパンな上に痛みで涙が出てますね(笑)

3日程でなんとか治まりました。
何故治まったか未だ不明なのが怖いですが。。。


=治療方針転換=

さて、アドセトリスも駄目。
c-moppも駄目。
ということで次をどうするかを決めなければなりません。

別の抗がん剤候補もあるにはあるもののc-mopp以上の効果はとても期待できない予想。
ニボルマブ(オプジーボ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%96
という薬が最有力となっておりました。

それに際して、実はだいぶ前から検討していたことではありまして、、、
c-moppが駄目であったら病院を替えようと。

血液内科の治療は外科などと違って医師の腕云々はあまり関係しない為、治療方針(使用する薬)が同様であればどこで治療を行っても基本大差ありません。
しかしながら、この時点で私は幹細胞移植後7ヶ月の段階であり、ニボルマブの投与は非常にリスクの高いものと考えられていました。
以前も書きましたが。。
過去の症例など参考にできるものがない為、本当に未知数ではあるのですが、移植後6ヶ月以内でのニボルマブ投与は自殺行為とも言われてしまうような状況で。
本来であれば1年は間を空けて免疫抑制の必要がなくなってから投与したいものでした。

更にあまり関連はしないとは思われるものの、肝臓がんで移植後8ヶ月でニボルマブを使用したケースで重篤な合併症が発症した報告が数件あり、それも不安を掻き立てるものでした。

本当にザックリとしたものですが、
●ニボルマブで効果が出る可能性5割
●効果の有る無し、関係なしに命に関わるものも含む合併症が発生する可能性5~6割
といった所。

ですので、少しでもニボルマブの治療実績のある病院で加療を受けたいという気持ちと、また、万一の再移植に備えて、という意図で転院をしようと思っておりました。


=転院=

6月24日
現在の主治医よりインフォームドコンセントを受けた上で転院希望を伝えました。
第一希望は【国立がん研究センター】
第二希望は【ガン研究会有明病院】
一応第三候補として【虎の門病院】
を検討しており、主治医に紹介状を用意してもらい、順番に話を聞きに行きました。
(私自身は動けない為、家族が代理で)

結果としては国立がん研究センター、ガン研有明ともに受け入れ不可。。。
理由はそれぞれ異なり、説明が複雑になる為、割愛致しますが、まぁ納得せざるを得ないもので致し方ないかと。。。

そこまでで転院意思を固めてから約2週間弱。
第三候補の虎の門へ打診をという選択肢もありましたが、そうこうしているうちにもドンドンとガン細胞が活発に動いております。
当然事前に想定はしておりましたが、いつまでも病院探しをしている時間的余裕はなく。。。

血液データや自身の体調を踏まえて熟考した上で、7月3日の時点で主治医へ転院を諦め、ここでニボルマブによる加療を希望する旨を伝えました。

ガンが増悪しただけの無駄な時間を使ったと思われる方もいるかもしれませんが、個人的には全くそうは思っていません。
何をしたら正解というような状況ではないので、如何に自分が納得できるか、自分がその時最善と思えるかというのが一番大事と思って、確固たる意志の元判断しておりましたので。


=ニボルマブ=

7月5日
ニボルマブ投与を開始。
実際、ガンや身体の状態はその時点で投与できるギリギリの状態で。
遅れていたら加療を諦めなければならない所まで来ておりました。


そして投与後、、、
腫瘍による発熱が徐々に治まり、一週間程度した段階で既に主だった腫瘍部分が明らかに縮小している様子(触ってわかるくらいに)

身体の方もすこぶる調子がよく、副作用の気配もない。
血液データも良好。
主治医が『奇跡的』と口を滑らすほど。


まぁ、嬉しかったですね(笑)
本当に。。

ガンの進行状況から、もしニボルマブが効いていなかったら再移植もできないような状態でした。
つまりはその場合は、治療選択肢がなくなり、出てくるかどうかもわからない新薬の治験情報を待ちながら残る余命をどう生きるかという、所謂ターミナルケア(終末医療)しか残っていませんでした。。。

本当に効いてくれてよかったと。。。


=副作用=

ということで治療自体は良い方向に。

ただ、この約3ヶ月、体調や身体機能はまぁゴチャゴチャで(笑)
高熱
激しい咳
硬直性痙攣
副鼻腔炎
肝炎
貧血
食欲不振
味覚不全
膨満感
浮腫み
腹痛
嘔吐
アナフィラキシーショック
末しょう神経障害
全身の痺れ
運動ニューロパチー
出血性膀胱炎
糖尿病
骨髄痛
Etc.

ざっと思い出すだけで上記のような症状が代わる代わる、または常に(笑)
治療のために必要なものと割り切っておりますし、後に残るような重篤なものがないだけ幸いと思わなければいけませんね。

なので現状、自立歩行もできませんし、文字を書いたり箸も持つのも苦労するような身体状況です。
このまま治療が上手く進めば通院治療に切り替えられるのですが、、、まぁ当面は要介護者ですよね(笑)
介護用ベッドや車椅子、室内のバリアフリー化など諸々の準備をしないとトイレすら行けません(笑)

また、薬であるとか人間の身体って凄いなと思わされたところで体重の変化があります。
6月下旬 64㎏前後

7月上旬 約2週間で76㎏に(12㎏増)

8月頭 約3週間で58㎏に(18㎏減)

一ヶ月ちょいで±30㎏変化をしております(笑)
病気をする前は88㎏ほどありましたので、そこからトータルでも30㎏落ちてはいるのですが。。。



こんなにパンパンに腫れていた足が、、、


こんなにスッキリすびまして、、、歩けなくなりました(笑)


=前進=

まぁ、ちょっと時間が経ってしまいまして、細かいところはすっ飛ばしております。

3歩進んで2歩下がったと思ったら、更に5歩下げられ。
ふと気づいたら10歩進んでいたり。
更に右に行ったり左に行ったりと私のゴルフの腕のようですが(笑)

正直ですね、先の見通しはまったくわかりません。
ガン治療ですと3年後、5年後の生存率などありますが、実際1年後生きているか死んでいるかすらわかりません。

ですが、10歩下げられようが20歩下げられようが一歩一歩前進することを大事にしていきたいと思っております。
まずは8月内退院を目指して!

退院できたら、とりあえずとんこつラーメン食べに行きます(笑)


                     2019年8月18日 井上誠士


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