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「教員として、ちょっと悔しいなって」

今の学校は本当に小さいことを相談で拾うことが多い。小さいこととは言いながらも、当事者にとっては一大事なわけで、中には人生を左右するような超重大なアクシデントだと認識して相談室に来る生徒が大半を占める。内容は勉強に集中できない、友達に無視されているような気がする、友達のことが許せない、無気力で嫌になる等々、今すぐ世界が終ってしまうような話は少ないのだが、うちの生徒がすごいなと思うのは、こういうことにも「ちょっと聴いてくれ」と手を挙げられる生徒の多いところだ。普通、抱えて抱えて抱えきれなくなり始めて担任なりに打ち明ける。そのころには結構事態も大きくなっていたりするので、「もやもやは小さいうちに相談室に捨てに来たらいい。それなりの大きさのごみ箱を用意している」なんてことを言うようにしている。
果たしてこれがSSWが動く相談なの?担任がやりゃいいんじゃないの?と思われる方も多いと思う。もちろんその通りだが、子どもからしてみたら、相談する相手だって選べていいはずで、その選択肢が少なかったことのほうが、これまでの課題だったのではないかと考えている。

タイトルの言葉は、うちの校長の話にあった。
「僕らのころは、担任が小さい問題などは拾ってよく聞いていたのだけど、それが今の先生たちにやれているのかと。教員が拾ってもいい内容のものは多くありそうだけど、そういう意味で、ちょっと悔しいと思うね」

誰かが聴けりゃいいんだよ旦那!

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