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命に嫌われている。に何を学ぶか

前書き

この記事は2021年、紅白歌合戦に出場される「まふまふ」さんの歌う
「命に嫌われている。」について触れる。
恐縮ながらこの記事でもYouTubeに公開されている動画を掲載する。
ネタバレ回避を希望の方は年明けにでも記事をお読みいただきたい。

命に嫌われている。 (2017/08/06)
作詞作曲:カンザキイオリ
唄:まふまふ (原曲歌唱:初音ミク)

敬称略

概要

カンザキイオリさん代表曲のひとつ。
初音ミク歌唱のオリジナル版がYouTubeにて1800万回再生こえ、
上記動画、歌い手「まふまふ」さんによるカバーは1億再生をこえている。

冒頭でも触れたが、普段テレビの出演をされないまふまふさんが
今年、2021年の紅白歌合戦で歌唱すると発表され話題になっている。

曲について(以下ネタバレあり)

タイトルやサムネイルからも読み取れるように、「命」をテーマに、
前向きな言葉を羅列するなど邪道と言わんばかりに
聞き手に現実を突きつけていく内容になっている。

良くも悪くも「VOCALOID」というサブカルチャーならではの曲だと思う。
聞き手にたくさん聞いてもらうためというビジネス思考よりも、
聞き手が何を感じるのか心臓を抉るかの如く痛烈に問う内容だ。

再度聞いてみた感想

ボカロ好きの友人が今年の紅白でこの曲が流れると知ったとき、
『「少年がナイフを持って走った」はこの時代にどうなんだろう?
この間も電車内で人が刺されたというのに。』とそんな事を言っていた。
断っておくが、その友人も作品を十分にリスペクトしている。
故に複雑な心境なのだろう。

たしかにこの曲ではそういう歌詞が含まれる。
そしてこの曲は前述の通り、前向きな希望を与えるような言葉は
本当に一切含まれない。
最後の「生きろ」さえも、励ましという意図よりは「戒め」の色が滲む。

皆様も御存知の通り、このコロナ禍では様々な方がこの世を去っている。
感染症罹患によるもの、一向に戻らないかつての日々に絶望したもの、
孤独に苛まれ音もなく居なくなった者、数えればキリはない。

そしてこの時世だからこその格差や偏見に苦しむものも少なくない。
働き方の自由を得たものやそれを見つけられずにいるもの、
ワクチンの摂取についても、未だに供給が追いついていない国や
供給されても摂取体制が追いついていない国は少なくない。
皮肉にもそういった恵まれない国から変異種は発生し、
渡航さえ拒否されてしまう現実があるのは誰もが知る今日だ。
悪気はなけれど「渡航拒否は正義」という意見が多数であろう。

そういった情勢を見て筆者が疑問に思ったことがある。
「本当にこれだけの格差がある世の中に多様性など生まれるのか?」だ。

あれだけ「バラマキ」が指摘される中でも、
ばらまかない公約を出した党はない。
そして結局の所国民はバラマキの恩恵を望む。
バラマキを非難するものもばらまかれれば結局は受け取るだろう。
それを世の中のために使おう、納税しようとAmazonでも開くだろう。

このフェーズでどういうふうにお金を使うのかが個性だと、
そんなふうに思う人もいるだろう。
そして一度SNSに満面の笑みが投稿され、
その理由が自分の価値観と合わなければ「不謹慎」と言われる。


話を戻そう。
「この格差社会の中、多様性は生まれるのだろうか?」だ。
ありきたりな答えかもしれないが「解らない」が筆者の答えだ。

多様性と個性という言葉にどれだけの違いがあるかわからないが、
個性というものはこの世に存在している。

他人を羨ましがったりした経験は誰もが一度はあると思う。
それもまた他の個性に自分なりの価値を感じるからだろう。
本人がそれに価値を感じていなくても、他人にすれば
価値あるものかもしれない。

多様性と個性がある程度同意とするなら、その個性を認め合うことは
多様性を認めることにつながっていくかもしれないと思っている。

なら、どうやって他人の個性を認めればいいのか?
卑下することもなく、妬むこともなく、違う個性を持つ者を認めるには
どうすればいいのだろうか?が表題になるかもしれない。

一つの方法は「自他に共通する事実」を見つけることではないかと思う。
自分、家族、友人、赤の他人。その全ての人に共通することが何か。



もう気がついた読者もいると思う。


「必ず死ぬ」ということだ。
これだけはどうしようもない事実だ。

最愛の家族、飯を共にした友、仕事のできないあいつ、
自分を怒鳴りつける上司やイジメっ子だった憎い相手、
金メダルを射止めたアスリート、
泣き喚こうとも逃さない、非道な強姦魔も。
いつか、その魂はどこかへ旅立っていく。

とても悲しい現実ではあると思うが、
上辺で「気が合う」とか「趣味が合う」という共通点は
価値観が変わればいとも簡単に消え去ってしまうものだ。
それがわかっているからこそ、友を大事にしたいと思うのかもしれない。

そして、どんなに価値観が変わろうと変わらないヒトの共通点は
「死ぬ」ということにほかならない。

当たり前のことで知らない人は居ないが、考えたことはあまりない、
むしろそのことについて考える時間を避けるのが人の性だ。


希望を与えられることはない。
しかし、目をそらしている事実にしっかりと向き合える。

それがこの年の大晦日にふさわしいかどうかは解らない。
しかし、いつの日もしっかりと肝に銘じておくべきこのことを学ぶのに
今年というタイミングは好機なのかもしれない。

明日、そこには居ないかもしれない他人を
自分と同じヒトで有ることを知り、それを認めるための時間。

そしてある人にとっては、
最愛の家族や友と過ごす時間が
有限ではないことを知り、
しっかりとその幸せを噛みしめるきっかけになる時間。

そんな5分間を、僕たちは見ようとしている。


本当はそういう歌を
歌いたいのではないだろうか。


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