おじいちゃんとおばあちゃんが3セット

中学生ぐらいまで全く気付いてなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんが3セットいる事を…。

ワタシのお父さんは富山県出身でおじいちゃんの弟夫婦の養子だ。
昔の大お婆ちゃんが決めたことらしくて意見は絶対で逆らえなかったそうだ。
本家と弟夫婦の家は徒歩5分ご近所あった。
弟夫婦は2度の流産経験しており子供に恵まれなかった。

長女:智恵子
長男:守三
次男:登
三男:邦廣(ワタシのお父さんで兄弟からはクニと呼ばれている)
四男:勝信
五男:俊明

ワタシの姉の結婚式で次男の登おじさんと隣の席になった時に教えてくれた。
(これから三三九度するって時にw)
登おじさん:「次男のオレが養子に行けって言われたけどどうしても嫌で代わりにクニにいってもらったんやちゃ。だから一生クニのは頭が上がらない。」
初耳だった。

思い当たる節がたくさん出て来た。
子供の頃、夏休みに富山に帰省した時に母親から
「本家に帰省したよ〜って言いに行くよ〜」って言われても
お父さんが一緒に着いてこないの。散歩行くとか後で行くとか…。
そうすると四男の勝信おじさんが
「クニ〜来とるなら本家に顔出さんか〜‼︎」って呼びに来るの。
あれは弟夫婦に気を使っていたのかな。居場所がなかったのかな。

お父さんが亡くなってから四十九日か三周忌かの時、勝信おじさんから
「クニが弟夫婦家に養子に出された後、クニを取り返そうと思って兄弟で協力して弟夫婦の家からクニの勉強机を取り返しにみんなで運んだ…」
って言ってた。初めて聞いた兄弟愛。
富山では長男ことを“あんま”と呼ぶ。
あんまの言うことは絶対やちゃ‼︎と言いながらあんま中心に兄弟みんな仲が良かった。
勝信おじさんの奥さんもそう言ってたな。

きっと養子に出されたお父さん本人も
出さなきゃいけなかったおじいちゃんおばあちゃんも
見送った兄弟達もワタシには想像も出来ない辛い思いをしたのだろう。
近所なだけに「もらわれてきた子だ」と心無い言葉もあったとか。
しかし、弟夫婦に養子に入ったからこそ他の兄弟は高卒だがお父さんだけは大学に進学でき、金沢大学を卒業。お父さん、頭良いのよね。あれ⁉︎ワタシにその遺伝子どこ行ったw
そして三菱電気のミシン設計として就職し、お母さんと会って結婚したから今ワタシがいるわけで…もし次男の登おじさんが養子だったらいぬーぴーはこの世にいないね。
感慨深い。

大お婆ちゃん言うことは絶対だとか弟夫婦子供が恵まれなかったから養子にとか
今では信じられないような時代だな思いながらもこれってつい70年ぐらい前話。

長い歴史から見たらついこないだの出来事かもしれない。

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