おひさしダンスバロー。

東京は朝から暑かった。
7月頭でこの暑さは正直舐めてた。
大阪でコンクリートジャングルの夏はちゃんと理解してたつもりだったけど秋田の涼しい生活に身体が慣れてしまっていたみたい。
7月末に朝から外でWSを東京でやるつもりだったけどこれは考え直さなければならない。

東京はいつも久しぶりの友達ばかり。
京都のど田舎出身の自分としては東京って冷たいイメージがあるけど蓋を開けてみればいつも東京に行く時は人に会いに行ってることが大半。
めちゃくちゃ人が多いけどそんな中でも優しい人たちばかりに出会えている。
有り難いことに東京の美味しいところばかり食べてる気がする。
みんな優しいけどそんな中でも目の奥がギラギラしてて自分という存在はナニモノか証明してやろうって人も多くてそんな人たちもあちちちって感じで良い。
どこにでもそんな人はいるんやろうけど東京に来るとそーゆー目をたくさんみる気がする。
人を認めた上でそれでも立身の気合いが見え隠れする。
それは一人一人の持つ尊厳であり他人に対しても自分に対してもリスペクトがある。
だから馴れ合いみたいなものはありつつも、
心の距離感が近過ぎなくて心地良い孤独が東京にはある。

友達にnoteを褒めてもらった。
文章を褒めてもらえるのはもしかしたら1番嬉しいことかもしれない。
踊りを褒めてもらうのもめちゃくちゃ嬉しいけどそれとこれとは別というか。
歌人でも詩人でも小説家でもコピーライターでもシンガーでも言葉を表現として扱うひとたちを人一倍尊敬しているからなのかもしれない。
自分は言葉にできないものを踊ってしまうから、
真っ向から言葉と向き合い言葉で向き合う人の覚悟を見習い踊りたい。
その友達から
「秋田での生活のこととか書いたらおもしろいんじゃない?」
と素敵なアイデアをいただいたからまた書いてみようと思う。
それを書く前に今回はひさしぶりにダンスバローに出てきて感じたことや思い出したことがあったから先にそっちを書く。
秋田生活のことより温度が高いうちに書いたほうが良さそうだから。

大学に入る直前にダンスに出逢って今年で7年。
先輩とガストで晩御飯を食べながらダンサーネームなるものをいただいてbboyになった僕はダンスバローが楽しくてめちゃくちゃたくさんバローに出ていた。
1番出てた時期は大学2回生から3回生の1年間で
「週一回は絶対出る」って自分でノルマを決めてその1年が終わったところで数えてみたら60個くらいバローに出場していた。
当時はコロナも無くて大阪とゆーか関西にはバトルイベントがめちゃくちゃあったから金土日はどこかでバトルに出ていたし、イベントをはしごすることもよくあった。

一度も勝てなかった。
イベントの大小もあるけど最高で準優勝。
最初は楽しくて出ていた。
次第に優勝というものをしてみたくなった。
やるからには勝ちたかった。
優勝以外意味がないと思った。
自分の踊りがあまり好きじゃなかった。
でも色んな出逢いやきっかけや葛藤の中で少しずつ自分の踊りを見つけれるようになった。
自分のことはずっと好きではないけど自分の踊りだけは許してあげれるようになった。
自分の信じるものや踊りに対しての考え方ができていった。
自分の踊りを愛せるようになった。
そうやって移ろいでいくと同時にダンスバローが楽しくなくなった。
バローイベントで色んな踊りをみても何も感じないことがほとんどになった。
ダンスっぽいものばっかりにみえた。
嘘くさかった。
全ての瞬間がそうってわけじゃないけど、僕が素通りしちゃう瞬間にまわりの人たちは声を出して盛り上がっていてなんだか場違いな気がした。
みんなはお芝居で役に没入して演じていて僕は客席から眺めているだけみたいな。
たまに呼ばれて舞台にあげてもらうけどみんなは最初から役があるみたいにそれをしっかりと演じていて、僕は台本をもらっていないからそのままでいるしかなかった。
どんどん捻くれた。
今思うと勝負の舞台に立つ資格が無かった。
「なんで何も感じないやつが何も感じないやつを選ぶとこに出てんのやろ」
って本気で思ってた。
そんなやつはそういう場に出るべきではないし出ることは無くなった。

踊りをもっともっと突き詰めようと思った。
即興をもっともっと突き詰めようと思った。
勝った負けた。あいつより。こうみられたい。人に感動を与えたい。上手くなりたい。かっこよくなりたい。
全部自分の踊りには不純物だと思った。
評価も他人も心底どうでもいい。
自分の心が踊っているだけでいい。

心の揺れを見て見ぬふりをしていないか。
毎日一生懸命生きているか。
踊るように生きているか。
答えはぜんぶ自分の中にある。
自分のために突き詰め続けたものがいつか誰かのためになると信じている。
誰かのためを先に考えるなら僕の表現はきっと死ぬ。
迷い躓くことだらけだけど、そんな時は迷い躓く踊りをする。
踊りは生きることと感じた。
生きることは踊ることと感じた。
誠実に生きたい。踊りたい。
大阪に住んでたけど秋田に心動いた。
だから身体も北に動かした。
そうやって生きると決めたから。
毎日考えたり考えなかったり感じたりして自分を踊りを掘っていた。
そこにダンスバローの、コンペティションの必要性を感じたことはなかった。

そんな時にpostdancismというイベントのフライヤーを見た。
今回が初めてのイベントってわけではない。
友達が主催しているイベントだし応援する気持ちはあったけど自分が出ようとは全然思ってもいなかったけど、なぜか心がザワザワザワっと波打った。
全く理解できなかった。
けど心が確かに動いている。
それを見て見ぬ振りは絶対しないと決めている。
すぐにエントリーして急遽東京に下った。
ずっとなんで心がざわついたのかわからなかったけど、予選のサークルで45秒踊り終わって身体が、心が理解した。
自分の中の我執がまだ残っていてそれが反応したのも多少はあるけれど、そんなことよりも自分の心が、細胞が、あの日あの時あの瞬間に踊りたかっただけなんだと思う。
結局なんでそうなのかは言葉ではわからないけど、そういうものなのだ。
カタチないものを、言外を信じて愛しく思うからこそ、理由なんかないのが理由なのだ。
心と細胞が7月9日に無意識に反応しただけ。
理由や原因を全部言えるならダンスじゃ無くて良い。
そんな風にはできないから僕には身体があるのだ。
心躍るから身体が踊るのだ。

自分の人生に誠実に生きようと決めてから踊るように生きているつもりでいたけど、訳もわからず急に東京行きを決めた少し前の自分を褒めてあげたい。
まだまだ未熟だし、元々生きることと踊りを切り離して考えていたけど、少しずつではあるけれど自分の人生を生きれている気がする。

久しぶりにダンスバローに出てみて昔のマインドとかを思い出したから記録として書いてみました。
思い出すとホンマに酷いマインドやからあの頃はやはりバローに出るべきではなかったなぁと改めて感じるけど、今は多少は穏やかになってるし2on2とかクルーとかは誘われたらむしろ嬉しいのでもし良かったら誰でも誘ってください笑
全てを恨んでいたし、今も聖人君子ではないからモヤモヤすることもあるけれど、本当の愛とリスペクトを少しずつ少しずつ学んでおります。
postdancismというイベントと様々なことを感じさせてくれて、自分が想像もしていなかった景色を踊りをみせてくれたこの世界に感謝する日々です。
いつもいつも有り難う。
これからもよろしく。

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