むいきな話。

踊らなくても生きていけるなら踊りたくない。
 
いつでもそんな風に思ってるわけではないけど
いつでも少しはそんな風に思ってる。

最初からそんな風だったわけではない。
踊りをはじめたキッカケは高1のとき野球部の1個上の先輩が文化祭で突然の流れから舞台でブレイクダンスをしてるのを見たから。
「これを絶対やりたい」
と思った。
先輩が引退した後近くの体育館を借りて夜な夜なダンスの練習をしてると聞いて
「僕も行っていいですか!」
と連絡してたまに行かせてもらうようになった。
YouTubeでブレイクダンス講座もめっちゃ観た。
あと「頼むから重力に従ってくれ」ってタイトルの
IBEの大会のトレーラーもめっちゃ観た。
チェアーが出来るようになったのがめっちゃ嬉しかった。

大阪の大学に進学が決まった。
大学に入ったら絶対ダンスサークルに入ると決めて入学前からサークルのアカウントにDMしたりしてた。
そこでブレイクダンスの先輩や同期ができて他のジャンルの先輩達も同期も優しくてカッコよくてサークルが好きになったしダンス頑張ろう!てなった。
ブレイクダンスをする人はbboyって言うのを知った。
あとブレイクダンスはbboyingって言うらしい。
hiphopの音楽を初めて聴いた。
当時のうちのサークルは90年代の音楽が大好きで今思うと渋い曲がいっぱいかかってた。
それまでjpop かjrock、洋楽もpopsかrockしか聞かなかったから、初めて触れたいわゆるブラックミュージックとかにめちゃくちゃ感動したのを覚えてる。

bboyは高校までの野球部の延長とゆーか部活みたいな感じで練習してた。
「いっぱい練習してカッコよくなりたい。」
「バトルで優勝したい。」
と思ってたくさん練習してたくさんバトルに出ていた。
でもどんだけ練習しても自分の踊りはカッコ良くならないし優勝には程遠かった。
自分の踊りがあんまり好きではなかった。

そんな時にあるバトルで見かけたbboyに目が釘付けになった。
上手いこと言えないけど
「初めてダンスを観た!!」
って思った。
それまでも何十、何百の踊りを見てるはずなのに。
当時は上手い人とかカッコいい人に話しかけるのが怖かったから話しかけれないままだったけど、
1年後、別のバトルでたまたま会ったその人に声をかけて、レッスンを受けさせてもらうことになった。
結局その人のレッスンはWSを合わせても3回くらいしか受けてないけど、その人の話してくれたダンスに対する考え方が今の自分の土台になった。
だから今もその人は師匠と思ってる。
そこは詳しくは書かないけど、そこをベースに自分の踊りに対する考え方を掘り下げて掘り下げて、
自分にとっての踊りをめちゃくちゃ端的に表すと、
踊りとは「魂の躍動」だと言う現時点での結論に至った。

「魂」と言うと胡散臭いから「心」と置き換えても良い。

簡単な例を挙げると、
・クラブで好きな音楽が流れて飛び跳ねてしまう足。
・悔しくて握り締める拳。
・緊張で震える声。
・驚いた時に見開く目。
・悲しい時に流れる涙。

こーゆーのが踊りの根源じゃないかと思う。
嘘がなくて純粋で愛おしい。
誰から習ったわけでも無いのに心が動いたこで自然と身体も反応してしまうこと。

そして身体が動いてなくても良いと思う。
心のあるがままに、感動していれば、それだけで豊かな踊りだと思う。そうなると「踊り」なんてちっぽけな言葉で表すのも無粋だ。

そーやって考えていくと、今までのダンスは自分の踊りとは言えない気がした。
毎日練習したステップやフットワークをバトルやサークルで上手に出す。
楽しい日も苦しい日も怠い日も関係なく。
それってスポーツで良いんじゃない?

『楽しい』『苦しい』なんて言葉じゃ到底表せないその感情を。
魂の躍動を心で身体で表現することこそ踊ることの本質ではないのか。
そのカタチが見たことのないものでも、それこそが本来の自分の姿なんじゃないのか。
裸の自分を踊れるようになってから自分の踊りを愛することができた。
音楽に対しても純粋に触れれるようになった。
自分の感覚と言うものが以前より明確になっていった。
そうなってからbboyは自分にとって身体を動かすことではあっても踊りとはまた違ったものになっていった。
後でも先でもない『今』の心をそのままに表出していくことに徹底した。
今もそれは大きくは変わらない。
踊ることには無数の感覚があってその中の1つにしか過ぎないけど、大事な1つ。

楽しくて踊る。
悲しくて踊る。
退屈で踊る。
何も考えず。感じて。

そうしていくといつしか『感情』の先の部分に心が到達するようになった。
ただの感覚でしかないけど。
今までの『楽しい』とか『悲しい』を飛び越えてくる
言葉にできない『楽しさ』や『悲しさ』に直面するようになった。
そうなるといつも以上に踊らなければどうしようもなくなる。
どう表現して良いかわからないから。
でも僕には踊りという表現がある。
だから踊る。

踊りがあって生まれた感情のせいで。

辛くて悲しくてどうしようもない時がある。

命さえ粗末にしたくなるような。

どうしようもなくてそれを踊りで出す。

そしてそれは美しい。

踊ることが生きていくことになってしまった。
出逢ってしまった。
知らないふりをしては生きていけない。
でも。
踊りに出逢ってなかったらこんなに苦しい感情と出逢うことも無かったかもしれない。

踊りがなかったら生まれてない感情に殺されそうになってでもそれを踊るのは美しくて。
踊ることで生かされてる実感もある。

単純に「ダンスが大好き」と言える人が羨ましい。
純粋で輝いて見える。
心から尊敬できる。
そんな人がカッコいいダンサーやと思う。
音楽に合わせて踊っちゃう子どもも。
あなたたちこそが誰よりダンサーやって思う。
上手い下手じゃない絶対。

でも自分も持ってたはず。
「チェアーできて嬉しい!」
てなったあの瞬間は誰より純粋に心踊ってたはず。
そこの自分をいつしか手放して。
「バトルに勝ちたい。カッコよくなりたい。」
見せかけのカタチを欲した。
どこかで手放した。
遠回りをした。
しすぎて奥底の純粋な部分を手に取るのが難しくなった。
でも裸の部分を見つけだせた。
そしたら待ってたのは知らなかった苦しみ。
後戻りはできない。

どうすれば良かったかはわからない。
でも踊る。だから踊る。
心の真ん中が教えてくれる。
きっと。
踊るように生きてみるしかない。
ダンサーやから。
死ぬまで死ぬほど生きるだけ。
生きてるから。

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