読書記録
「私たちの世代は」 瀬尾まいこ
「そしてバトンは渡された」もそうだったけど、どうしてこんなに泣けるんだろう。私はコロナの期間を社会人として過ごしたけど、いとこがまだ大学生で、コロナの間の学校生活みたいなのを少し聞いたり、MBAの後輩でコロナの期間に留学してた人の話を聞いたりして、正直申し訳ないけど、可哀想だな、、、と思ったりしていた。私が多分、人と会ったりどこかへ出かけるのが好きなタイプだから、そういうのがガッツリ制限されていた頃に学生生活を送っていたら、発狂していたかもしれない。ただ、そういう人だけではなくて、あんまり学校に行くのは得意じゃなくて、一人で黙々と本を読んでいたいとか、自分の創作に打ち込みたい、みたいな人は、外に出ることをよしとされないあの頃がとても暮らしやすかったのかもしれない。あの3、4年間は人生の間の本当に特殊な期間だったと思う。よく覚えているのが、外に出てはいけません、みたいな時に、どうせフルリモートで働くなら実家帰っちゃえってことで、3ヶ月ほど実家に戻ってた。その時に、普段は行かない地元の観光地に行ってみたら、人が文字通り誰もいなくて、ただただ美しい街並みが佇んでいた。あの世界に触れられたことが、コロナの中で良かったことだと思う。今は、観光客が溢れかえって、私が生活していた頃の街ではないし、雰囲気が変わってしまった。ひっそり地味で、でも美しい街だったのにな。外部からの大人数、国籍も問わず、老若男女押しかけてくるのを受け止めるキャパはないと正直思う。静謐な美しさを、観光客の人たちは知らないまま帰っていくんだな、と思ったり。
外れちゃった。
以降ネタバレになるかもな本の内容含みます。
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冴ちゃんとお母さんの会話。
私が大事なものができたのは、大人になってから。母よりも大事なものにきっと出会える。輪廻みたいなものを勝手に思い浮かべ。未来なんてわからない。私が、今の家族より大事な存在に出会えるか、なんてわからない。わからないからこそ、信じたいし、でもなんとなく怖い、と思った。
引きこもりになっちゃったハルちゃんが、決心するところ。
いつ外に出るのか、何をするのか、自分で決めなければ、永遠にタイミングは来ない。動くのだ。今日と明日の区別がつかない毎日から抜け出すのは、今かもしれない。何かこの焦りのような焦燥感、とてもエネルギーを感じた。変わりたい、でも変われない、心に決めて、そして動くことが、どれだけ難しく、でもどれだけ大切か。サナギから蝶々になるみたいで、なんだか美しくすら感じた。今日と明日の区別がつかない、ってなんと言い得て妙なんだ。毎日違う毎日だけど、そう思えないほど変化がないなら、変化を作るのも、作れるのも自分だけ。
なりたいものになるのに回り道ばかりしてられない。一人でいろんなことを考えてきたからこそ、言える言葉、発想、行動がある。ステレオタイプや偏見や、1面だけを見て、物事を決めつけたくない。自分が一番嫌いな、ラベルやレッテルを貼られるということを、自分もいとも簡単にやってしまいそうになる。多数派に迎合されるのも嫌だ。多面的に考え、捉え、自分の中で解釈し、たとえ少数派であったとしても、その意見や考え方をストレートに発していきたい。自分は、子供の時にはこれが割とできていたと思う。今はどうだろう。なぁなぁでいろんなことを見過ごしているかもしれない。戦う時は、戦いたいし、守るべき存在は全力で守りたい。
自分にも、自分以外の人のために何かができるって、嬉しかった。人間の根源ってこういうところなのかな。人間だけじゃないけれど。誰かが喜んでくれることは、自分が嬉しいこと以上に嬉しいこと。歳を重ねるにつれ、そういう思いをもっともっと増やしていきたい。特に、私はMBAでこの発想を自分に強く刻みつけてきたのに、それが薄れてきてるようにも感じるから、改めて、そうそう、、、、と思えて本当によかった。
愛も幸せも形はない。だけど、それが見える瞬間は本当にある。
私がお母さんを思う以上に、愛するものに絶対出会えると教えてくれた。
大冒険談とかではないのに、人生における大切な何かとは、に気付かされる小説。そんな感じ。
何度だって会いにいけばいい。何もかもが、一度きりしかない、チャンスは一度なわけじゃない。思いが強ければ、その行動の回数は増えていくかもしれない。諦めなければ、どこかでチャンスがあるかもしれない。自分の思い、意思が、人生を彩り、作っていく。
こういう小説が生まれるのも、とても面白いけれど、コロナの時の生活は、もう味わいたくないけどね。自由に人と話せて、会えて、知らないところに行ける。当たり前が当たり前じゃなかったあの頃は、当たり前の大切さを教えてくれたけど、そんなの、人生で1回で十分です。
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