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MBAってぶっちゃけ元取れるんですか

受験期によく頭を巡っていたこの質問について書いてみる。「元を取る」の定義にもよるけど、私の答えは、
「合理的な判断をすれば、簡単に取れると思うよ」
です。
むしろこれ以上のお金の使い方があの時点での人生の延長上にあったのだろうか?と思えるくらいに、そう言えます。

元を取る、その経験においてかけたリソースとイコール、もしくはそれ以上のリターンがあった場合のことを指しているとして、どんなリソースをかけたか。そして、どんなリターンがあったか。

かけたもの(抜け漏れとかあるだろうけど、まぁまぁゆるっとざっくりと)
時間
受験含め準備に費やしたのはざっくり1年弱、本腰入れて集中してたのは半年くらい。確かにたくさんの飲み会を断ったり、有給使って試験勉強したり、朝も夜も気が狂ったように、もしくは図書館に家賃を払って住んでいるかのように勉強やエッセイ書いていた時もあった。ハロウィンも、クリスマスも、バレンタインデーも、はしゃぐ人たちを横目に図書館に通っていた時は、辛かった。でも、年末年始は海外旅行行ったりもした。あと、受験期の英語の勉強内容は当時の仕事にも役立っていたし、必ずしもとっても時間が経ってから全てのリターンがあるわけでもないのかも。
向こうにいたのは1年半ー2年、時間は日本だろうとスペインだろうと平等に過ぎる。
お金
学費:学校にもよるけど数百万円以上は確実。他の学位については知らないけれど、どう考えてもめちゃくちゃ高い。怯んで当然。怯むからこそ一生懸命学生生活送れるかもしれない。
受験や渡航等準備費用:なんだかんだで数十万ー百万円弱くらいになるのかもしれない。
生活費:基本日本より家賃は安い。生活費自体も外食とかを頻繁にしなければ抑えられる。ただ、旅行や就活、学校行事等で他国とかに行ったりするので結局色々お金がかかる。
稼げない機会費用:仮に年収2000万円の人が1年半、2年稼げないと多額のロスになる。年収が高ければ高いほどここで悩むかもしれないです。
いろんな機会費用(日本で得られていた経験や人脈とか?)
そのまま日本に居て、同じ会社に居たかもしれない、転職していたかもしれない。お金持ちと結婚していたかもしれない。でも、実はそのまま似たような生活をしていたかもしれない。たらればの世界になってしまう。こう言う機会費用の類の価値をどう見積もるかは、結局自分次第。

得たもの(同上記)
お金
日本に帰って働いて3年半、至って普通の会社に就職、コーポレートラダーは駆け上がっていない、そんな私でも少なくとも借金分は余裕で完済できる。稼げていなかった機会費用分を回収するにはまだかかるけど。でも、仮に同じ会社に居たとした時と、今の会社では年収で数百万の差があるし、時給換算しても決してコキ使われて過重労働の環境でもない。転職したとしても数百万を上げることってもしかしたら難しいかな?とも思うので、全部回収しきれていなくても、満足している。そもそも自分は青天井に収入に固執するタイプではなくてどちらかというと時給が高い、もしくは人の幸せのサポートができているなって実感がある方が満足するので、これくらいでいいのかな、とも思ったりする。でもお金は大事、超大事。満足するくらい稼げない自分はアイデンティティの喪失とすら思う。
周りへの感謝
留学前から、物理的に、相談に乗っていただいたり、出願準備をサポートしていただいたり、愚痴に付き合ってくれたり、金銭面や見えないいろんな面のサポートに対しての感謝がある。それだけでなくて、学生時代の留学の時も思ったけれど、異国に居て、一人なんとなく見えていたような人生のルート、軌道みたいなものから外れたようにも感じる生活をしていると、日本に居たときの当たり前の生活、「普通」を形作っていてくれていた周りの人への感謝が生まれる。とにかく、留学前も、留学最中も、戻って来てからも、ひたすら周りに感謝する機会が多くなる。人って「当たり前」に慣れちゃうから「有難い」に気づきにくくなるんだけど、当たり前を外れると、「ありがとう」が浮かび上がるんだよねきっと。
かけがえのない友人が世界中にいるということ
私の行っていた学校も、かなり多国籍、多様なバックグラウンドの人が集まったところでした。全員と仲良くなることは無理だけど、でも、ちょっとのきっかけで、今まで自分の頭の中、自分の世界になかったその人の国のことが自分の世界に存在するようになる。すごく面白いなって思う。その国のニュースを目にすると、見過ごすことができなかったり。世界がとっても広くなり、そして身近になった。コロナの前は、いろんな国からクラスメイトが日本に遊びに来たり、仕事に来たりして、留学中はそんなに仲良くなかったとかでも、日本で会うと思いのほか仲良くなったり。私はとてもとても恵まれていると思うけど、国籍だとか育ってきた環境を超えて、本当に心から大事だなと思える友達ができた。その子達の国には特別思い入れがあるし、いつか行ってみたいと思う。時々生きていく意味を見失ったような気がして悲しくなったりするけれど、またこの子達に会いたいなっていう思い、希望を思い出して、やっぱりまだまだ生きていかなくっちゃって勇気づけられたりする。
働くことへのコミットメントや新しい発想
私がMBAにいった理由の一つで「一生面白く働き続ける」があったけれど、むしろそれよりも一種のNobles Obligeみたいな発想が自分の中に生まれて、社会に還元したい、自分より若い世代に還元したいと思うようになった。20代前半の自分は、とにかくなんちゃらマネージャーに早くなって、偉くなりたい、稼ぎたい、ばかり考えていた。でも、自分よりも世界や社会を見るようになった。
仕事
ありがたいことに、やりたい分野の仕事にとっても近づいた。というかやりたいことど真ん中の仕事をいくつか経験できた。ラッキーすぎてびっくりするくらいに。(暗黒期と隣り合わせではあるけど)どう考えても留学していなかったら、今やその経験はない。今の仕事に至るまでの経緯は結構特殊なので、本当にバルセロナに縁があったのかもしれない、とも思う。サードドアをこじ開けることができました。
異国、住んでみたかったところに住む経験
単純に豊かな経験をしたとも思うし、やってみたいことができた満足感・充足感。本当にバルセロナは文化的にも、街的にも刺激的、エネルギッシュ、美しくて、住んでて毎日幸せだった。ちょっとランニングしたらサグラダファミリアがあって、鐘の音が聞こえてきた時とか、このまま死んでもいいって思うくらいの多幸感だった。自然があって、街全体がアートみたいで、ご飯も美味しくて気候もいい。最高じゃん。日本も好きだけど、数年くらい離れたって全然問題ない。
たくさんの旅行
もともとヨーロッパには旅行で結構行っていたけれど、それでも行く機会のなかった国にも行けたりで、お金は無くなったけど、後悔はない。特にポルトガルは、なぜかずっと憧れていて、でもとにかく日本から遠い。だから、ポルトガルには行けて本当によかった。行ってみて、スペインと比べるとちょっとくすんだ感じだけど、タイルばりの建物とか坂が多い街並みとか本当に美しい。人もちょっとなんとなく日本人みたいな「キュッとした」雰囲気を纏ってるような。スペイン(バルセロナ)の人はどちらかというと、もうちょっと開いた和やかな感じだと思う。(私の感覚だけど、南米やイタリアの人に比べると、スペイン、特にバルセロナの人は、日本人が思うよりも「陽気で騒がしいザ・ラテン」とはちょっと違う。もっと静かで実はシャイだったりする。)ポルトガルとスペイン、似てるけどご飯やデザートも結構違ったりする。デザートやパンは圧倒的にポルトガルの方が日本人好みだと思う。カステラみたいな素朴なものがたくさんあって、私はパン・デ・ローが三本の指に入るくらい大好きです。長くなってしまった。あとはルクセンブルクとかギリシャとか。いろんな思い出がいっぱい。イタリア、フランス、イギリス、ドイツ等のメジャーどころは、観光ではなく学校の用事等で行ったり。もちろんスペイン国内もかなりの都市を観光しました。ちょちょっとLCCで飛んじゃえばすぐ国を越えられるところがヨーロッパに住んでる大きな醍醐味だと思います。

リターンについては、自分の欲しいもの、自分の価値観において重視するものが得られるか、っていうかなり主観的なところだと思います。例えば、絶対にジョブチェンジ、業界変える転職がしたいんだ、って思っていたら、それが達成されれば「元を取る」になるかもしれない。だから「合理的な判断をすれば」簡単に元を取れます。だって、欲しいものがあって、それを達成できるように行動する、その結果それが達成されたら、合理的な行動なはずだし、その時点では満足する結果になっているはず。

多分上記のリソースもリターンも不十分なところがあるかもしれないけれど、どれだけ書いてもリターンの割合が大きいことは自明だし変わらない。だから、元取れる?って聞かれたら、余裕で取れるよ! って言いたい。
何回も書いているけど、留学していない自分はもう居ないから正直たらればな部分もあるけれど、私の場合、私の価値観において十分過ぎるくらいに元を取ったし、これから何年先も留学した経験や事実は無くならないし、その経験の価値が落ちることは決してないと思う。

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