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持ってる安部公房全部読む ー方舟さくら丸ー

2022年10月。 Twitterのタイムライン上に夕木春央の”方舟”という本が多々流れてくるのを見た。あまりにも沢山流れてくる上に、非常に面白いらしいと目にして読んでみたくなった。だが話題の本だけあり、行ける範囲の書店は軒並み品切れだった。それなら手持ちの方舟を読もうと思い、安部公房の”方舟さくら丸”を読むことにした。読了後、折角だからこのまま本棚にある安部公房を全部読もうと思った。それが、この10ヶ月に及ぶ”持ってる安部公房全部読む”の始まりだった。


非常に烏滸がましいのだけど、これをきっかけに色んな人が安部公房を読んでくれたら、そして誰かの本との新しい出会いになれば嬉しいので、全20冊について備忘録も兼ねて簡単に書きたいと思う。あくまで個人の解釈である上に好き勝手に書くが、暫しお付き合い願いたい。なお2023年8月現在、きっかけとなった”方舟"は未だ手に取っていないことを報告しておく。

2022年10月16日、方舟さくら丸を読了。何度読んでも面白い。地下採石場跡の洞窟に核シェルターを作り上げた男《モグラ》が主人公で、彼の他に3人の男女が加わり共同生活が始まるが、侵入者が現れてからモグラの計画はあらぬ方向へと進んでいく、という話だ。私は安部公房文学の醍醐味の一つとして、湿度高めのねっとり感が挙げられると思うのだが、これも例に漏れず湿度高めねっとり文学である。その淀んだ空気の中で繰り広げられる、ハイスピード安部公房ギャグの数々。読者はそのスピード感に置き去りにされそうになる。謎の虫・ユープケッチャに始まり、スカートに包まれた尻がどうとか、何でも流せる巨大な便器がどうとか。「手を握ってくれないか。寒気がする。どこかに触らせてもらえないかな。おっぱいでもいいし、お尻でもいい……」とか。"でもいい"ってなんだ。どちらも駄目に決まってるだろう、この上なく図々しい。そしてひとしきり笑った後にその波が引いたとき、ふと「これは笑っても良かったのだろうか」と思わせるブラックジョークたち。挙げ句の果てに、モグラはその巨大便器に片足を吸い込まれてしまい、身動きが取れなくなる。モグラには大変申し訳ないが、これはもう笑うしかない。


谷崎いぬ的・この物語のキモは、自分は選ぶ側だと思っていたのに、いつの間にか選ばれる側になり、いずれ淘汰されていくことへの潜在的恐怖、なのではと思う。そしてその選ぶ・選ばれるという選別の意識が、他者を排除し始める第一歩への足掛かりになるのだろう。
私たちは社会生活を営む人間である以上、どんな形であっても他人と関わらずには生きていけない。他人の間で生きることにおいて、何かを選別をすることは大事なことである。不必要なものを排除して淘汰して生きていかなければならない。全てのものを大切にすることは出来ないから。ただ何かを選ぶ以上は、いつでも逆の立場になり得ることを忘れてはならない。


先に出たユープケッチャ。この虫は、自分の糞を餌にして半永久的に生き続ける、自己完結した生態を持っている。 ユープケッチャは糞を食べ続ける限り、その自己完結の環から出ることはない。他者を排除し、自分だけで完結した世界は嘸かし生きやすいだろう。だって他人に煩わせられるような面倒なことがないのだから。一見すると楽で理想的に思えるかも知れないが、そこには新しいものも進化もなく、ずっと同じことを繰り返すしかない。そういう生き方をユープケッチャは選んだのだ。だがユープケッチャなる虫は、実際には存在しない贋物の虫である。ということは、その自己完結の上に成り立つ、自分にとって理想的な世界など存在しない、ということになるのではと思う。



モグラは自分にとっての理想の世界を夢見て、方舟さくら丸を作り上げた。そして自分が選んだ好きな仲間と、その理想の世界を作ろうとした。だが計画が崩れ、彼は下船せざるを得なくなる。その結末は彼が選んだものではない。理想の世界に選ばれなかった自分。だからこそ街も人も、もしかしたら自分も透き通っていると感じたラストに繋がるんだろう。透き通っているということは、実体がないということとほぼ同義と考えていいと思う。だから理想の世界から淘汰されてしまった彼は「もしかしたら自分も透明なのかも知れない」と感じたのだろうかと私は思う。彼は、また新しい方舟を作ることを選ぶのか。それとも……安部公房ギャグと読後の不思議な解放感がクセになる1冊だった。



方舟さくら丸/安部公房(新潮文庫)

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