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楽しみの源泉

まず、前提として。ここから下は、あくまで私の考えである。それを念頭において欲しい。



「いま、幸せですか」と聞かれたとして。「はい」と答えられる人はどれ位いるのだろうか。多分、ノータイムで答えられる人はそうそういないんじゃないかなって思う。それって、幸せについて自分の中でハッキリとした考えを持っている人が少ないからなんじゃないかと思う。


何で急にこんなことを言い出したか。最近、noteで色々書いていて、それを読んでくれた人に「いぬの幸福論が聞きたい」と言われた。なのでちょっと考えてみるか〜と思った次第である。

ぶっちゃけると、私はあんまり「幸せだな」と思ったことがない。かと言って「不幸だな」と思ったこともない。寧ろ「幸せって何?」状態である。ただ「楽しい」と思ったことはある。だから「幸せだな」とも「不幸だな」とも思ったことがない。
幸せだなと思わなくても、楽しいと感じる余裕があること、それ自体が幸せなのでは?と思う人もいるかも知れない。でも、それなら楽しいと幸せは同じ言葉になるのではないだろうか。わざわざ別の言葉で表現する必要がないと思う。



じゃあ、幸せってなんだ。辞書的には「心が満ち足りていること」だと思う。そして、私は「楽しい」は爆発的且つ瞬間的な心の状態であり「幸せ」はそれらが積み重なった先の、心が満ち足りた時が持続している状態が「幸せ」だと私は思う。




例えば誰かと遊んでいて「うわー!今めっちゃ楽しい!!」と思っても、それはその瞬間の爆発的な心の動きであり、その時の「楽しい!」がずっと持続するかと言えば、そうではないと思う。「めっちゃ楽しい」瞬間がマックスだとすると、そこから時間の経過と共に少しずつ下がっていく。だから、後に思い出した時に「楽しかった」と感じることはあるが、100%その時と同じ「楽しい」ではない。よって「楽しい」は爆発的であり瞬間的であると私は思う。
そして、そういう"100%ではない"けれど「楽しかった」とかのプラスの心の動き(「楽しかった」だけじゃなくて「嬉しかった」「美味しかった」とかもアリ)が積み重なっていくと、段々と幸せメーターが溜まっていき、心が満ち足りていく。それが続いた状態が「幸せ」なのではと思う。


簡単に言えば、「楽しい」はガッとくるもので「幸せ」はボヤ〜っと感じるもの、といぬは考えているんだな、くらいに思ってくれたらいい。



その定義から言えば、私は冒頭の問いに対して「はい」とは答えられない。楽しい時はあるけれど「心が満ち足りている」と言うことが出来ないから。人間誰しも、毎日何かしら、ちょっとしたことでも嫌なことってあると思う。だから、せっかく何かいいことがあっても、そのせいで心が擦り減っていく。幸せメーターが減っていく。



でも、それを限りなく100%に近付けていくことは出来る。楽しいとか、そういうプラスな気持ちを積み重ねれば、いつか心が満ち足りた状態、即ち幸せ(或いはそれに近い状態)になるのではないか。マイナスがあることは仕方がない。それを無くすことが出来ないのなら、その分プラスになるようなことをすればいいんじゃないかと思う。



じゃあ何すればいいのと言う話だが、今まで意識してやったことはない。だってそういうの考えたことがないんだから。ただ、これまで私がやってきたこと等で、いくつか当て嵌まりそうなことがある。



まず、温かいご飯を食べること。これは温度的な意味ではなく、人の手を感じるということ。例えば、おにぎりを作ってお弁当に持っていくだけでもいい、そういう小さいことでも気持ち的に違う気がする。何となくだけど。メンタルがしんどい時に冷たいご飯を食べると、もっとしんどくなる気がする。だから私は、どんなに朝が忙しくてもテキトーに握ったおにぎりを持っていくことにしている。この際おかずはなくて良い。

どうしても「そんな余裕すらない」と言うなら、コンビニで味噌汁を買う。炊いた米はタッパーに入れて持っていけ。人の手を感じるのが難しいなら、物理的な温度を感じて身体を温める。冷えたメンタルに冷えた身体は避けたい。どちらかが温かければ、まず何とかなるだろと思ってる。あと、何で味噌汁かというと「茄子の味噌汁が嫌い〜」とか、具材の好き嫌いはあるけど、味噌汁そのものが嫌いな人って聞いたことがないから(いぬ調べ)。味噌汁を飲んだ時のあの、ほっとする感じ。みんな、好きなんじゃないのかな。


あと、疲れたら自分のために花を買うこと。テキトーに2500円分くらい買ってきて、水切りして花瓶にバンって挿すだけでいい、見るといい気持ちになる。2500円あれば、結構な本数の花が買える。花瓶がなければ、小分けにしてグラスに挿して、家のあちこちに置くでもオーケー。家の至るところで、綺麗で可愛くて素敵なお花が見られるので嬉しい。私は100均で買ってきたテキトーなグラスに入れて、家中にバンバン置いたりする。

花って人から貰うことの方が多いと思うけど、自分のために買う花って凄く良い。だって人から貰う時って、何かのイベントでしょ。イベント以外で花貰っちゃいけないとか買っちゃいけないとかはないし、誰だっていつだって自分のために買っていいんだよ。普段、花買わない人は最初ちょっと気恥ずかしいかも知れないけど、家に花あるのって本当にいい。何もない日は勿論、疲れた時にも花を飾ろう。


そして、お気に入りの本を読むこと。時間は有限だから、本好きとしては未読本を読みたいところだけど、元気がない時は既読のお気に入り本を読む。手っ取り早く短いのを読む。児童書でも絵本でも良い。私がよくやるのは、お気に入りの短編集をパッとテキトーに開いて読む。読んだらあれこれ考えずに「面白かった〜」で、閉じる。続きが読みたければそのまま読めばいいし、満足したなら終わりにすれば良い。
そして、当たり前だけど既読ということは一度は読んでいるということだから、いい意味で"初読の時のドキドキ"を感じなくて済むのも良い。疲れてる時は、ドキドキなど要らぬ。心の回復に努めたい。



まぁ、あーだのこーだの言ったけど、人間って欲張りな生き物だから、幸せになりたいと突き詰めればキリがない。有名なあの歌じゃないけど、何でもないようなこと自体が幸せだったり、幸せになるための手かがりだったりするんだろう。その時に気付けないだけで。


あの時ああすればよかったと、色々思うこともある。でも、そう思ったって今更どうにも出来ない。それに、そういうことの積み重ねで日々は出来ているし、そうやって少しずつ幸せに近づいていくんじゃないかと思う。だから毎日のちょっとしたことから、今後の幸せに繋がるようなこと、人生楽しく生きられるようなヒントが見つかればいいなと思っている。



今回、幸せについて考える時。学生時代に読んだショーペンハウアーの幸福論を、ざっとだけど再読した。当時はよく分からなかったけれど、今なら彼が作中で言った「自分の中に見出す楽しみの源泉が多ければ多いほどそれだけ幸福になる。」というのが何となく分かる気がする。まぁ、こういうことだろうな、みたいにボヤ〜っとだけど。



何を「幸せ」だと感じるかは人それぞれ違うけど、人が「幸せ」だと思う気持ち、それは同じだと思う。だから、みんなも一緒に楽しいことをしよう。そして明日も、1秒でもいいから笑って過ごそう。みんなの明日が、そしてこれからが、あたたかいものでありますように。






※最後に、私がよく読むお気に入りの本を2冊紹介する。
いいことも悪いこともある。私たちの日々は、それの積み重ねで出来ている。そんな毎日に、そっと寄り添ってくれる本。


大人になった今、忘れてしまったあの時の純粋な「楽しい」を思い出せる本。とても暖かい気持ちになれる本。

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