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それはいつか、きっと月にさえ辿り着く

みんなは、本は好きだろうか。私は大好きだ。子どもの頃から、暇さえあれば本を読んでいた。今も、職場のお昼休みが10分しかなくても本を読む。そういう時、たまにおじいちゃん先生が近寄ってきて「あなたは本を読むのが本当に大好きだなぁ」なんて、しみじみと声を掛けてくる。本があればいいし、読んでさえいれば場所は関係ないので、何時でも何処でも楽しいと思える。だから別に「何か今日つまんないな」とか思ったりもしない。

だけど、そんなに沢山は読めない。年間100冊くらい読めたら御の字、という感じ。時間は有限だし、より多くの冊数を読むことに拘っていた時期もあったけど、自分のペースで読みたい本を読めばいいかと思うようになってからは、より楽しく、より本の世界に没頭している気がする。

本を読む人は経験があると思うけど、本を読んでいると「そんなに本を読んでどうするのか」と、よく聞かれる。別にどうもしない。特に何かを得たいと思って読んでいる訳じゃなくて、ただ本を読むことが大好きで、楽しくて読んでいるだけ。だから本当、別にどうもしない。そう思って、ふとツイートしたことがある。

何となくツイートしただけなのに、予想外の数の反応をもらった。ということは、みんなもそう思っているということだと思う(そうだよね)。

私が好きなのは、いわゆる純文学と呼ばれるもの。ミステリも好きだけど、気付くとつい純文学ばかり手に取っている。未読既読含めた約550冊の私の大切な本たち、その殆どが純文学。それが、本棚にみっちみちに詰まっている。それどころか、入りきらずに溢れている。それを見た帰省中の妹が「妖怪・純文学おばば…」と呟いたのは記憶に新しい。妖怪とは…


どこが好きかと聞かれると、具体的に答えるのは難しい。だって、ただ大好きで読んでいるだけだから、全部としか言い様がない。答えられっこない。強いて言うなら、これという正解がないところが好き。「何となく」みたいな、曖昧さを許してくれるところが好き。


そもそも純文学とは何かと思い調べてみた。どうやら、芸術性に重きを置いている文学らしい。何かよく分からない。要するに、Don't think, feel.ということでいいと思う。「この描写はどう」とか「ここはこれの暗喩では」などの考察や思考。それに限界はあるかも知れない。でも、感じる心は無限で、それはいつかきっと月にさえ辿り着ける、そういうことでいいと思う。そういうところが、私は大好き。

本を読んでいると、頭をぶん殴られる程の衝撃を受けることもある。動悸が止まらなくて、その熱量に負けそうになることもある。そういう本に出会った時は、読了ツイートをするのが物凄く大変。いっそのことタイトルと著者と出版社、あと「読んだ」だけでいいんじゃないかと思うこともある。


だけど、その本に対して感じたことを、私の外に出さないということが、その本と著者に対して申し訳ないと思ってしまう。そして、もしかしたら私のツイートを見て「読んでみたい」と思ってくれる人がいるかも知れない。そうしたら、本も嬉しいんじゃないかと思う。誰かの新しい読書のきっかけになるのなら、私もとても嬉しい。あなたも私もハッピー。それでオーケー。


今は、嫌な気持ちになる本を読んでいる。そういう本をピックアップして、他の本と併読しつつ何だかんだ1年くらい読んでいて、今は10作目の途中。このペースだとラインナップを全部読み切るのに、あと2ヶ月くらいか、それ以上かかるかも知れない。全て読み切ったら、それについても書いてみようかなと思う。感じたことは残しておきたい。存在の証明とか、そんな大それたことを言う訳じゃないけど、自分が何を思ったかを残しておきたい。そうしていつか、私の月に辿り着いたらいいなと思う。


※最後に、私の好きな純文学の本を2冊紹介しておく(決めきれなかった)。どちらも日本語がとても美しい。それこそ、夜半に眺める月のよう。

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