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辛さとか重さとか、渇きとか。そういうものを、ゴツゴツした不器用な両手で優しく掬い上げてくれる

地元の書店員・佐藤厚志氏が芥川賞を受賞した。あの日をテーマにした小説、荒地の家族。砂浜に埋もれたコンテナが印象的な表紙。ようやく読んだので、思ったことを書く。


これは今から12年前の、あの災厄を境に人生が変わってしまった沢山の家族、その内の一つの話。私たちの目に触れないだけで、こういう話は沢山あるんだろう。あの災厄の後で当事者たちがどう生きていくか、生をどう営んでいくか。その中に失ったものは、死は、どう爪痕を残しているか。そしてその爪痕と、どう向き合っていくか。そういうものが、真っ直ぐな言葉で綴られている。


当たり前だけど、私たちは生きている。人間としての社会生活を営んでいる。その中で遭遇する災厄。仕事でも家庭でも何でも。自分にとっての災い。その大小や対する想いは、当事者以外が決めてはいけない。私が自分にとって大きいと思えば、それはもう大きな災厄なのだ。そしてそれを実際は違う場合でも「自分のせいだ」と思ってしまうことは多々ある。


「私がこうだから、こんな目に遭った。私が全ていけないのだ。だからこれは罰だ」そう思ったことはありますか。私はある。今の現状は全て私の不得の致すところであり、私の周りの人にも迷惑をかけていると思うから。別に被害者ぶってるとか悲劇のヒロインぶってるとかじゃなくて、本当にそう思っている。私が我慢すればとか、私が未熟だったから、とただただ思う。そう考えざるを得なかったから、刷り込まれているのかも知れない。いい歳して情けない。本当、バカみたいだと思う。

誰かが「そんなことないよ」と優しくしてくれても、私の中で折り合いが付かない限り、私はその考えから逃れられないと思う。あの海の膨張のように、繰り返し繰り返し膨らんで、「もしかして違うかも知れない」という気持ちを黒く黒く飲み込んでいく。


正直、未だに夜も眠れなくなる時がある。そういう時は、ただ目を閉じる。自分がどこまでも沈んでいくことを考える。あの時に戻りたいと思いながら目を閉じる。でも、沈んでいく途中に色々なものに惑わされ、あの時が分からなくなる。途中で現れる色々なものは、私がこれからも背負っていかなければいけないものであり、重みであり辛さであり、それを下ろした世界への渇きである。それらと一緒に沈んでいく。
やっぱりバカみたいだと思う。そうしているうちに朝になる。

そんな夜を繰り返し、毎日とりあえず頑張って生活していたら、佐藤厚志氏が芥川賞を受賞した。その作品は、あの災厄について書いたものだと言う。
何かで見た"元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か"という一文が、静かに私の心を揺さぶった。私は読もうと思った。そして予約して購入し、本を開いた。



読んだあと、心のざわめきがスーッと引いていったような気持ちになった。主人公の生き方は、決して綺麗なものではなく、寧ろ泥臭いものだ。不器用なのかも知れない。働く、ただ働く。息子の手袋に穴が開いていることも、近所の人に言われなければ気付かない。それ程までに働く。がむしゃらに働くことが、自分のたった一つの役目だと言わんばかりに。土を掘り、枝を切り、草を刈り。そうしているうちに、失ったものがある。災厄の後に儚くなった妻。再婚相手と、新しい鼓動。そして友人は、自らの命をどこで終えるかを決めた。だが、その後の息子の手のひらと笑い声、ラストの一言の尊さよ。生きている人にしか、飯は食えない。これが、全てを物語っているのではないかと思った。

私は、眠れない夜をずっと繰り返すのだろうと思っていたし、多分これからもそうだと思う。だけど、そういうものを背負ったまま生きていてもいいし、別に下さなくてもいい。バカみたいで情けないと自分が思っている生き方を肯定してくれる。辛さとか重さとか、渇きとか。そういうものを、ゴツゴツした不器用な両手で優しく掬い上げてくれる。そういう本だった。


用事があって海岸に行くと、枝がまばらになった松の木が立っている。あれを見ると怖くなる。怖いけど、私は生きているのだから飯を食って、歩いていかなければならない。眠れなくても朝は来て、一日が始まる。頑張っても報われない一日が始まると思うこともある。だけど私は生きているので、飯を食って歩いていく。目の前がどんな荒地でも、どんなに苦しくても、飯を食って歩いていくしかない。眠れないならそれでもいいかと、少しだけ思えるようになった。やはり、文学はいい。


最後に、その芥川賞受賞作・荒地の家族のリンクを貼っておく。この本について、どう思うだろうか。あの日に直接関係あるかは別として。刺さるところはあるんじゃないかと思う。

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