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支援ってなんだ?

おはようございます。

タカシです。

先日の娘の話しから頭の中がぐちゃぐちゃしています。

あの問題は今の学校教育&福祉業界そして世間の空気の悪いところが顕著に出た例だと思います。

本当に教育学者でもなく現場の人間でもなく引きこもりトレーナーがどうこう考える事でもないのですが。。。

1つのことに縛られると頭の中でその問題がグルグルします。。。

答えもなく、考えたからって変わることもないのですが。。。

本日はそんな頭の中のお話です。

僕が現場にいた時から根本問題は何も変わっていないように感じます。

そしてその問題に立ち向かう能力も勇気もなく自分の心を守った自己保身の逃げタカシが外から騒いでいるだけです。

「現場で戦ってみろよ!!」

「うちらは必死に戦ってるんや!!」

「ぐちぐち言いやがって!!」

ってキレられると思いますがよろしくお付き合いください。

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ーあの事件の裁判報道からー

すごく残酷で許せない事件の裁判が始まりました。

障碍者施設に乗り込み多くの命を奪った事件です。

この報道があった時ショックを受けました。

自分に。。。

そしてこの意見を書くと炎上するんだろうなぁ。。。とも思います。

「犯人の気持ち少しわかる。。。」

「え?」

「わかったらあかんやん!!」

大きなショックでした。

この犯人の心内はわかりません。

でも、犯人も今の教育(人間教育)の被害者なような気がするんです。

娘のクラスで起きている問題を同列で考えてはいけないような気がしますが、こういう小さなことの積み重ねが犯人の間違った方向にもっていったんだと思います。

そして、今の報道や社会の流れが「わけのわからない、頭のおかしい妄想に取りつかれた異常者」のように言って議論の余地すら与えない世間があるような気がします。

「犯人の気持ちがわかる」

この一言をここに書くだけで僕はすごく勇気がいります

でも、書きます。

そして聞きます。

「本当に少しもわからないですか?健常者と言われる人たち。」

僕の心には犯人と同じ薄ら黒い感情があります。

犯人ほど強く持ってはいませんが確実にあります。

もし被害者のような方を街で見つけたら「ああ、かわいそうやな。。。」「守らなきゃ」「俺は健常域でよかった」「ああじゃなくってよかった」って思う汚い心があります。

その心を封印していただけです。

あの事件は世間一般の人の中の封印された汚い心を形として見えた事件のような気がします。

そう考えだすと、「犯人は異常者だ!!」「許すな!!」報道は自分たちの汚い心を出された事への過敏反応のような気がします。

自分の心の中にある汚い部分を否定する、封印するための作業のような気がします。

汚い心に向き合う勇気がないんです。。。

少し話がそれますが僕がトレーニングのお話をする時、「本当に叩いて止めなければいけない問題が出たら叩かなければいけません!!」「ただし叩いた後に何処かスッとした自分を認めてください!!」と伝える事があります。

人間って他者をコントロールしたいし自分の安全や力を誇示したい生き物だと思います。

「そんな!!叩いて自分がスッとすることなんかない!!」って人は虐待者に代わると僕は思っています。

自分の中にある汚い心向き合えなければ自分の行動を正当化し自分の理解の外は異常として隔離するしかないんです。

「この子のためにした!!」って大義名分を自分に与えて暴力を正当化すればあの犯人と思考回路は一緒ですよね?

そう思って仕方ないんです。

ー学校での問題ー

話しがそれまくってわけわからないので章を変えます。

娘とあの後話をすると。

「先生が甘やかすから!!」

「なんであいつだけ許されて俺らは?」

「早く支援に行けばいいのに!!」

って意見がクラス内であるみたいです。

表立ってではなくで。

これ、どうとりますか?

子どもって残酷ですか?

正直ですか?

僕は今の学校なら当たり前の反応だと思います。

子どもたちは我慢しています。

先生や親は「みんな違ってみんないい」「認め合いの心が大事」と口で言います。

そんなことわかってるんです。

でも、口先だけともわかっているんです。

娘の話しだけを出すと、娘は入学当初腕に大きなひっかき傷をつけて帰ってきました。

「どうしたの?」と聞くと。

「支援クラスの○○ちゃんに引っかかれた」と言いました。

僕は○○ちゃんに腹は立ちません。

言って聞かそうとした自分が嫌いです。

参観で見た○○ちゃんは言語発達が少しゆっくりでした。

感情のコントロールも苦手なようでした。

「○○ちゃんは何か言いたかったんやと思う。『なあ、お話聞いて』がひっかく行動になったんやと思う」と言ってしまいました。

そうなんだと思いますよ。

でも娘に「引っかかれても我慢しなさい!!理解しなさい!!」我慢させたんです。

そして我慢が出来る娘はその後何度も○○ちゃんの隣の席になりました。

引っかかれても我慢が出来るから。

もし喧嘩したら学級経営に響くから。

じゃあ、おとなしい(優しい)子の横に座らせとこ。

教師の考えも見えます。

そして教師との関係が無意味だと思ったことは、あれだけ大きなひっかき傷がついているのに僕に報告しなかったことです。

問題にしたくなかったのか、授業中引っかかれている事に気づかなかったのか。。。

どっちも大問題です。

そんな担任信じれますか?

誰かの我慢の先にある「みんな違ってみんないい」が信じれますか?

そんな我慢を強いられて、支援級の子に怒れば「優しくできないの!!」って指導される。

じゃあ、隔離してしまえ!!

普通に思いますよね?

僕が勤めていた中学校でも同じことが起きていました。

「支援級の子たちがいじめのターゲットになるから見守ってね」

僕の仕事でした。

支援級の子たちは完全な被害者扱いでした。

加害者はちょっかいを出されても我慢を強いられ爆発した子たちでした。

僕がかかわった子は悪口を言ったりしても、先生の後ろに逃げ隠れることが出来ます。

そして加害者は自分の思い考えを否定され教育されます。

こんな世界で犯人のような心を持たない人間は聖人君主です。

犯人は自分たちの汚い心を外に出した(そこに気づくと自分が嫌いになる)から異常者なんです。

ー我慢の上に成り立つ平等は偽善ー

我慢させてないよ。

言いたいことは言えばいい。

支援者たちは言います。

でも言うと「そっか~でも、この子たちは~」が続きます。

聞いてないんです。

「その程度の我慢も出来んおまえは異常者だ!!」

なんです。

「優しい社会を目指して」

送迎の車をちょっと数分毎日路駐してたらクラクション鳴らされた!!

「優しくないよね」

発達が同じぐらいのお兄ちゃんなんだから一緒に遊んであげてね!体はお兄ちゃんなんだからボールが強いの当たり前やん!!

え?泣くの?遊んでくれへんの?

「優しくないよね」

この子に買い物の練習をさせたい。レジで戸惑っても仕方ないやん。早くしろ!!って言われた。

「優しくないよね」

店の商品壊した。「あやまらせろ!!」って言う。それが出来たら支援しなくてよくない?

「優しくないよね」

電車の中で女の子の髪の毛触った?それだけやろ?痴漢扱い?

「優しくないよね」

例を挙げればきりないですよね。。。

支援者たちは「優しくないよね」って暴力ふるってない?

そして求める我慢のレベル高すぎない?

我慢、我慢、我慢。。。

いつか爆発してもおかしくないよね。

ーじゃあ、どうせいゆうねん?ー

答えはないと思います。

それを探っていくのが支援だと思います。

僕の今現在の答えはかなり差別的です。

「この子たちは常に支援が必要な子たち」

「支援者や社会に可愛がられる子に育ってほしい」

「ありがとう」「ごめんなさい」

「それをきちんと伝えるだけでいい。」

「ちょっと違うけどなんか憎めないよね」

「困った事があったらいつでも言って」

って言ってくれる人を増やすのが支援だと思うんです。

他は何もいらないと思います。

本当にその人のことを苦痛なく見ることが出来る、その人が暮らす世界で無償の愛情を注いでくれる家族のような人たち増やしてあげるために。

可愛がってもらえる人間になる支援がいるんだと思うんです。


長々と自分の偏った思いを書いて申し訳ありません。。。

僕の文章で気分を悪くされた方もたくさんいらっしゃると思います。

こんな考え方をする人間も世間にはいる。

って思ってもらえれば幸いです。

こんなクズがいるんだから私たちはどうしよう?

考えるきっかけになれれば幸いです。

2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです