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邦人作曲家シリーズvol.21:野村誠(text:小沼純一)

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載


野村誠
INTERVIEW・WORDS/小沼純一

*musée 2001年3月20日(#30)掲載

野村誠

 3月初旬現在、野村誠は「オペラシティ・ミュージアム」でおこなわれている『出会い』展に参加している——これが活字になる頃には「していた」と過去形になってしまうのだが。日本や外国のアーティスト何人かによる作品の展示とともに、会場には、野村の「しょうぎ作曲」や老人ホームでの共同作曲、《踊れ! ベートーヴェン》のヴィデオがながれ、譜面の断片や落書きにみえなくもない「絵」(?)が展示されている。時間によっては、野村本人が会場にいて、やってきたひとと話をする。美術家である島袋道浩とともに、「一緒にコラボレーションするひととの出会いを待っている」。何か面白いことを一緒にできそうな提案をしてくれるひとと出会いたいと「たことたぬき〜島袋・野村芸術基金」を試みようとしているからだ。

「企画書を作ってきたり、あらかじめ何をやるのかを考えてきたりしているひとは面白くないんですよ。そこから雑談のようなところに持っていって、なんでこんなことを考えるんだろうとか、普段どんなことをしてるんだろうとか考えながら話しているうちに、別の発想がでてきたりする」

「いろいろ話していると、面白いところが見え隠れします。サーカスに新しい風を吹き込みたい人でもいいかもしれないし、全然違うフィールドだけど、これまでなかったような、いままでの常識とか枠組みからはずれてやりたいひとと出会いたいなあと思いますね」

「何回か来てくれたお客さんのなかには、提案してくれるひととかもいるんです。都電は3万円で借りられるから、そのなかでコンサートをやったらどうですか、なんて。通常の運行のあいだに走らせて、往復で何分だから、1人2000円くらいの入場料をとればいい、とか」

 ところで、音楽家が“展覧会”の枠組みのなかでやるというのは?

「ぼく、美術館好きなんですよ。コンサートとかやると、1日にお客さんがばんときて、さようならというふうでしょう。コラボレーションをやろうとすると、劇場というのはやりにくい場所じゃないですか。以前パリのボザールの美術館で《どないやねん》というのでやっていたときも、けっこう座ってたんです。『私達は現在作曲中です、あなたも一緒にどうですか?』というようなのを張ってると、興味のあるひとが声を掛けてきたり、急に演奏しようと言って友達になったり、自分はダンサーだけどゆっくり話がしたいから家に来いとか。実際、『ミュージアム・オブ・アート』はあるけど、『ミュージアム・オブ・ミュージック』はない。逆に“アート・ホール”はないですよね。一度展示したら、ずっと変化しないのがあたりまえになってる。だから島袋君とぼくのところでは、いろんなものを張ったり、はがしたり、書き加えたり、少しずつ変化してたりするんです」

 野村誠にとっては、かならずしも“作品”は“完成”する必要がないかのようだ。そのときどきで“かたち”や“見え方/聞こえ方”が変わってくることが少なくない。ガムランと子供のための《踊れ!ベートーヴェン》でも、一緒に演奏する子供達によって、かなりかたちが変わってくる。インドネシアのヴァージョンではインドネシア語が歌われアンクルンが弾かれるが、日本では日本語による言葉遊びと大正琴が使われる。アンサンブル<糸>(フォンテック FOCD3453)のための《つん、こいつめ》は、ゲームのように、基本的な枠組みはおなじでも、毎回「ひびき」は違ってくる。最近試みている“しょうぎ作曲”では、任意の数の参加者が、その場で「作曲」をするのだが——「みんなが順番につくっていくんです。で、各人が『自分の』記譜法で書く。それを隣りのひとに渡す。当然、いろいろな記譜法があるんだけど、隣りのひとのやっている演奏を参考にしながら、自分でもやってみる。ここでは、一種、『くりかえし』と『飽きる、疲れる』というのが大事なファクターになっているんですが(笑)」

 その“完成”といった発想も、老人ホームに行って、お年寄り達と一緒に作曲をするというなかで、新たな局面を迎えたようだ。野村は老人達と一緒に“作曲”をおこなう。別の言い方をすれば、自分の作曲の“お手伝い”を老人達にしてもらう。そこでは“音楽療法”をしようなどという発想はまるでなく、ただ“一緒”にやることが目指されている。ところが、だんだんと“曲”が出来上がってきて、あと一歩で完成という段になったとき、老人達は妙に元気がないことに作曲家は気づくのである。どうしたのだろう? せっかく“曲”が仕上がるというのに。実際——老人達にとって、いまやっていることが楽しいのである。だから、なぜいまのものを終わらせて、また次のものにいかなくてはならないのかということにもなる。間近に“死”が待っている老人達にとっては、完成=死と同義でさえある。野村は大きなショックを受け、発想の転換が訪れる。“完成”する必要はない。“発表”する必要もない。いまのまま、果てしなくつづいていけばいい。音楽も人生もともに“時間”のなかで始まり、終わる。音楽“作品”というのは、ひとの“生=作品”とパラレルではなかったか。音楽とは、一種、生のメタファーなのかもしれない。

「作るとき、『コンポーザー』というくらいで、作曲家は『構成』してしまうじゃないですか。始めがあって、ここで聴かせようとか、終わりはこんなかんじとか。ぼくもやっぱりそういう発想をしていたんだなあとわかりましたね。だから《卵を持って家出する》では、ともかく後ろを振り向かずに、前にどんどん進むというふうにして作曲していったんです。そうすると、このあたりは青春だとか、このあたりは悩んだりとか、曲の持っている長さのなかで、なんらかの『時期』があったりするんですね」

「老人ホームにはいまでも月に1回は行ってます。《わいわい音頭》も随分長くなってきたのですが、もっとやっていくと、最初のところなんか影も形もなくなってしまうかもしれませんよね。全く変わってしまったり。楽譜も残していないわけです。記憶を頼りにしているけれど、忘れるひとはそれでいいのだし、キャラクターによって新たに色づけがおこなわれ、変わってゆく」

 こうした野村誠の音楽行為からは、どこかしら、音楽を音楽だけのためにやるというよりは、もっと社会とかひととか、そうしたところとの“関係”性にこそ興味があるのでは、というふうに感じてしまうのだが……。

「というよりも、音楽での発想が別のものにリンクしてくるというかんじでしょうか……」

 それにしても、“発表”を目的にしないとか、路上で演奏をしたりとか、“作品”がどんどん変わっていってしまうといった野村の音楽は、どこで聴けるというのだろうか? たしかに、いろいろと活動はおこなっているのだが、××交響楽団の定期演奏会にかかることなど考えられない(考えたくもない)し、ごく稀に委嘱作品があったりもする——この3月にはアコーディオンの御喜美江のリサイタルで新作が演奏される——が、神出鬼没であることは事実。CDもほとんどない。ならば、CDには興味がないのかどうか?

「CDとかでも、時間を封じ込めるようなところがあるじゃないですか。《卵を持って家出して》も、最初から向井山朋子がCDにするという話があったので、そこから発想したところもあったんです。朋子さんのお嬢さんのキリコちゃんの声とか使っているんですが、これが後15年位経って、20歳になったキリコちゃんが友達と聴くとか、そういうこともあると思うんですね。もちろん作った時点での『2000年のお客さん』というのも前提としているけれど」

 単にひとに聴かせてみんなに知ってもらうというだけではなく、もっと長いスパンで考えるということ?

「そういうところもあります。ええ……CD、つくりたいですね(笑)。大量生産しなくていいんだったら。どんどんつくってしまって、10枚ずつしかないやつとか、中身はおなじ10曲なのにどんどん入れ替わっていくとか。それこそ老人ホームでの《わいわい音頭》じゃないけど、新陳代謝していくようなCDとか。それに、カタログみたいにするのか、それ自体をひとつの作品みたいにするのかでもちがってくるし」

 知り合ってもう何年かになるが、野村誠はあいかわらず——とてもとても刺激的で、しかもあかるい、楽しい気分にさせられる作曲家なのだ。

●老人ホームでの作曲に興味のある方は、ムジカノーヴァ別冊『チャレンジ! 音楽療法士』(音楽之友社)や熊倉敬聡『脱芸術/脱資本主義論——来るべき〈幸福学〉のために』(慶應義塾大学出版会)に収められた報告書を参照していただきたい。

■プロフィール
1968年名古屋生まれ。作曲家/鍵ハモ奏者/ピアニスト/瓦奏者。京都大学理学部卒業。British Councilの招聘で英国ヨークに滞在(94~95年)。「Whaletone Opera」を日英で創作・上演する。イギリスでは100回以上のワークショップを行う。ガムラン作品「踊れ!ベートーヴェン」でのインドネシアツアー(96年)以来、東南アジアの音楽家との交流を続ける。箏、ガムラン、アコーディオン、オーケストラなど、様々な楽器の作曲をし、20カ国以上で作品を発表。


AMSTERDAM×TOKYO
TOMOKO MUKAIYAMA
[BVHAAST 1000]

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