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東京芸術祭2023『とおくのアンサンブル』トークセッション とくさしけんご×箕口一美×長島確

東京芸術祭2023が今年も開催される。
その中でも、注目してほしい演目が10月7日、14日に開催される「耳を澄ませて音や地形を体感する吹き抜け空間コンサート」です。
サウナのための音楽や、F/T20『移動祝祭商店街 まぼろし編 その旅の旅の旅』でのまちなかで聴く音源作品など、人の営みの環境の中で音楽を捉えようとする作曲家とくさしけんごさんによる、吹き抜け空間で体感するコンサート。
互いに離れた場所に位置する奏者同士のアンサンブルに、とおくから耳を澄ませる。東京芸術劇場やまちなかの吹き抜け空間に、金管楽器群の生音が静かに共鳴する。心地よさと覚醒が共存した音体験となるでしょう。
とくさしけんごさんと、東京藝術大学大学院教授の箕口一美さん、FTレーベルプログラム・ディレクターの長島確さんによる鼎談(こちらはポッドキャストで公開中)を読めば、この企画が生まれる瞬間から、どのようにどうやって形になっていくのか、一緒に体験できます。アンビエント・ミュージックにご興味がある方はぜひ!最後までお付き合いください。


©橋本美花

『とおくのアンサンブル』トークセッション

text:とおくのアンサンブル制作事務局
出演者:とくさしけんご
    箕口一美
    長島確(司会)
   

とくさし:形の方がアイディアを招いてくるってことって、すごくあると思うんですね。例えばホールの形状って、我々が何か言ったとしても変えようがなかったりとか、今回の演目はホールじゃないですけど、この場所でできそうだっていうところに着地した時に、じゃあその場所、例えば東京芸術劇場のアトリウムであるとかが、招いてくれるアイディアっていうのがやっぱりあると思うんですよね。なのでこうアイデアを形にするお仕事をしてらっしゃる・・・形が違えどお二人(箕口さん&長島さん)と、それから形が逆に、作家と言わせてもらえば、作る方にフィードバックしてくる、逆にアイデアを規定してくれるっていうか、そんなことをずっと思ってましたね。

長島:あの、もう始まっちゃってますけど、今録ってますけど、これでスタートしちゃいたいと思うんですけど、改めて今日のこのセッションのイントロダクションを、ちょっとだけ喋らせてください。
私、東京芸術祭のFTレーベルのプログラムディレクターの長島確と申します。今日、進行役でおります。これからというか、今すでに始まっている、このトークセッションは、今年の東京芸術祭2023のFTレーベルの1プログラムとして10月に行われます「とおくのアンサンブル」というプログラムです。そのアーティストでいらっしゃいます作曲家のとくさしけんごさんと、

とくさし:ありがとうございます。

長島:よろしくお願いします。今回このコーディネートと言いますか、このアイデア、どういう風に形にするのかというところで絶大な力をいただいた、ご相談させていただいた箕口一美さん。すいません大事なところで(噛んでしまいました)、箕さん。

箕口:いえいえ。

長島:ちょっと今日はこれからかなりフリーな形でですけど、今回の企画と、それにまつわる・・・今ちょっとね話出てましたけど、アイディアをどう形にしていくのかっていうこと結構時間かけて話し合ってきてますし、あとこれから・・・これを収録してるのは実は9月の18日。まだもうちょっと実際の本番まであるんですけどもそこへ向けて、少しでもなんかいろいろ単に実際のその演奏当日だけじゃないところまで楽しんでいただけるといいなと思って。

とくさし:本当にそう思います

長島:余計な情報とかをいっぱい、膨らませられるそういうセッションになるといいかなと、いうふうに思っています。それでは長島の進行で、とくさしさんと箕さん。ちょっといろいろ、むしろいろいろ脱線したり、ディープな話がね、出たほうがいいと思ってるので、これから
じゃあぜひよろしくお願いします。

箕口:よろしくお願いします。
とくさし:よろしくお願いします。

長島:改めてじゃあ最初にだけど、今回の「とおくのアンサンブル」ってどんなものなんですか、とくさしさん。

とくさし:そうですよね、そもそも、そうですね、まずじゃあ本当にざっくり説明すると「とおくのアンサンブル」っていうこのタイトルが2方向あります、と。1つは、遠くで鳴っている音をお客さん、観客の皆さんが耳を澄ませて聴く。
いま図らずも耳を澄ませるっていうふうに申し上げましたけども、やっぱりこう耳を澄ませて少し遠くの音であったりとか、あるいは方角を伴った音であったりとか、あるいは距離感ですよね、ただ単に前から、オーディオから、オーディオ私も大好きなんですけども、こう「(前から)出てくる音」っていうことではなくて、音が地形を伴っているっていうようなところをやりたい、というようなことがひとつ。
あと、もう一つは本当に奏者の皆さんには申し訳ないというか、奏者の皆さん同士がものすごく遠くに離れていて、例えばじゃんけんしようという時に、「じゃーん、けーん」の、この「じゃーん、けーん」の部分が予備になってるわけですよね、指揮者っていうか。なので誰でも音楽を学んでない人でも一緒に出せる、と。でもこの演奏家の皆さんは一緒に出るっていうのはものすごく得意で、その訓練をされて、縦が合わないよ、とかって怒られたりするわけじゃないですか。ところがその一緒に出る、何でもない、別に特殊奏法でもない、ただの全音符、白玉を一緒に出るっていうのが100m離れるだけで全然違う意味を帯びてくる、行為として。
なのでこう、原始的なアンサンブルの姿というか、複雑精緻を極めたラッヘンマンをものすごくうまく演奏するとかね、ストラヴィンスキー(作品)の指揮さばきが素晴らしいとかっていうのとはまた違った、ものすごくシンプルなんだけども、原初的なアンサンブルの姿みたいなものが、こう出てきたらいいなっていう風に思っていたんですよね。
ところがそもそもこんな風に形は決まってませんで、その忘れもしない1年前ですよ。長島さんに「とくさしさん、バンドやりませんか?」って最初言われたんですよ。

長島:そう言ったんだっけ(笑)

とくさし:「バンドやりませんか?」みたいなニュアンスで、こうもちろんただのバンドではなく。長島さんとのお付き合いも2年3年前からですが、いわゆる劇伴ではないんですけども長島さんがプロデュースされる、街の中でやられる演目の音楽を作らせていただいた時に、いわゆるホールや劇場の中で行われているものを、ただ、外に持ち出すのではなくて、街の中でやる意味っていうと硬いんですけど、街の中で一緒にハモるというか、これ長島さんの言い方をね、今ちょっと剽窃したんですけども、その街の中でちゃんとハモるようなものを考えよう、そのお付き合いの中で、じゃあ作曲家とくさしけんごとして、作品を今度の2023年の東京芸術祭いかがでしょうか、というお話をいただいた時にはまだ外でやるっていう事ぐらいしか決まってなかったわけですよね。まあ当然なんですけど、場所ももちろん確約はないですし、なのでこう長島さんや皆さんとこうトークセッションって、もちろん見せてはいないわけですけども、話し合いをしていく中でいろいろ形が出てくる中で、最後箕口先生に、じゃあこれをどう着地させたらよろしいんでしょうかっていうのでこうご相談に上がった、っていうような出会い方だったかなっていうふうに思うんですね。

長島:わかりました、今ちょっとそれで言うと、今日きっとこの「とおくのアンサンブル」のメイキングみたいな話にもなるといいなということですね。ちょっと箕さん、後ですごいいっぱいあれなんですけど、ちょっとその前段を先に僕がお話しちゃった方がいいですね。

とくさし:僕がすみません(笑)

長島:いえいえ、そうそう、今とくさしさんがお話になりましたけど、1年ぐらい前に、昨年秋かな?にちょっと来年いかがですか、というか、是非お願いできません?、というご相談をしました。東京芸術祭のFTレーベルというのは、今、私長島とあと河合千佳、共同で2人でディレクション、プログラムディレクターをしているんですが、実はとくさしさんとのお付き合い、遡ると河合と私長島が2018年に、東京芸術祭に吸収合併される前のフェスティバル/トーキョーの時代にディレクターを引き受けて、その時にやっぱりまちなかのプログラムを大事にしていこうって方針を、それ以前からねF/Tで(取り組みとして)あったんですけど、改めて考え始めました。やっぱり劇場のプログラムってすごく大事だし、面白いんだけど、それとは今別にもう一つの何か軸としてやっぱりまちへ出てくるとか、まちの中で何かをする、まちの方たちと何かをするとか、それは、やっぱり劇場に来てくださるお客さんとは違う出会いがあるし、あと劇場でできることとは全然こう文法とか作法みたいなものが違うのでそういうことをアーティストが面白がって、いろいろチャレンジして、いろんな出会いが劇場とは別にできるといいということはすごく考えていて。それで劇場のラインナップ・・・シリーズとは別に並行して、まちなかのものをやっぱり充実させていこう、一層充実させていこうと考えてたんですね。その時に2019年のプログラムを考えてたんですけど、その時にそのまちなかで、やっぱり、舞台美術家という仕事の人たちがコレクティブになって街へ出てって何かをするっていうような企画を用意してたんですけど、そこに音楽家の方にぜひ入ってほしい、で、ところがまあそれまでもF/Tでいろいろ経験あったんですけど、やっぱり街に出てった時に音の問題ってものすごい大きくて、特に音量、爆音・・・

とくさし:そうですね。

長島:その前の年かな? その前の前の年、2年続けて、池袋の南池袋公園っていう結構新しい綺麗に整備した、あそこでやっぱり、野外のダンスパフォーマンスの公演やってたんですけど、その時とかも、やっぱり音量がどうしても問題になって。短い時間だしね、すごいそれはそれで非日常で楽しい反面、やっぱりその音のうるささが迷惑になっちゃったりとか当然あるので。そういうことどうするかなって言ってた時に、やっぱりあのホールとかそういう防音なり、音響の設備が整った空間じゃないところへ出て行った時に、単に中で良く為しうるものを外に持ってけばいいか、っていうとそうじゃない。ということをよく分かって一緒に考えてくださる音楽家がいるだろうか、っていうのをやっぱり考えて。で、それでどなたか(いないだろうか)っていうこと考えてた時に、僕たまたまその少し前にとくさしさんの「MUSIC FOR SAUNA」っていうアルバムの1枚目を聞いていて、

とくさし:恐縮でございます。

長島:「なんだこれ?」「この人誰だ?」と面白がって聴いていたんですよ、実は。

とくさし:ありがとうございます。

長島:それはちょっと最初から、もう脱線しまくりだけど、僕がやっぱりまちなかのプログラムとか、アートプロジェクトを考える時に、環境音楽、アンビエントミュージックと呼ばれるものを、実はすっごい参考にしてきた。昔から好きだったってのもあるんですけど。ちょっとある種のなんか、なんていうのかな、何かを作っていく時の自分の参照項としてずっと前からあったんですけど、なんだけどそれやっぱりその後(ディレクターになってから)もずっと考えてきてて。

とくさし:うんうん。

長島:そうしてた時にやっぱりアンビエントと言われるものって、一番最初にね、それを言い出したブライアン・イーノの1枚目の「Music for Airports」っていう、空港のための音楽、それが「アンビエント」とシリーズで名前を付けた最初のアルバムだと思うんですけど、やっぱりありがちですけどね、そういうのって一番最初が一番いい。

とくさし:はいはいはい(笑)私もそう思います。

長島:一発目が一番良くて、その後越えられなくなっちゃう。ある種のジャンルを切り開いたもので、もちろん歴史的に見れば、多分なんかもっと前にサティの家具の音楽とか、あとあのターフェルムジークだとか、ある種の環境、背景音楽的なものって遡れると思うんですけど。だけどやっぱアンビエントって言われるもの、「Music for Airports」っていう、それがあまりに完璧すぎて。でもイーノ自身のものも、僕その後ずっと聞いてたんですけど、やっぱりある種のセリフパロディっていうか自己模倣というか再生産になってっちゃうっていうかね、やっぱりこれは無理なんじゃないかって思っていて。その一方でアンビエントってジャンルってやっぱりなんかドヨーンドローンとした、ある種の雰囲気で、もうそれで済んじゃうっていう。

とくさし:はいはい。

長島:それっぽい・・・やっぱりなんて言うんだろう、(それっぽい)ものの増殖みたいなことがすごく起こっていて、

とくさし:あの、安易に作ろうと思えばいくらでも作れるので、量産できちゃうので、

長島:なるほどね、それで、そうそう、そこだけど、面白いポイントですよねきっとね。それで、だからやっぱりもう最初にしてそれを超えるものはないんじゃないかっていうふうに思っていて、実はその後僕1個だけなんかちょっと引っかかってたものが、実はあって、これ(とくさしさんには)話してないんだけどきっと、「Music for Shuffle」っていうのを作った多分イギリスのアーティストがいて、2010年ぐらい(正しくは2011年)なんですけどこれiTunesが結構もう普及してきた時に、1曲1トラックね10秒ぐらいのやつで、

とくさし:なるほど。

長島:それがワンセットで15曲とかあって、それをシャッフルで再生してループにするといつまでも続くっていう、そういう音源「Music for Shuffle」というねシリーズで。何だっけマシュー・アーバイン・ブラウン(Matthew Irvine Brown)という人なんだけど。Webでダウンロード(できたんです)、彼のホームページから。

とくさし:聴いてみたいですね。

長島:それはね、なんかちょっとイーノの次に、なんかちょっと面白いなと思ったんですよ。
でまあイーノ自身もジェネラティブなうんぬんなんて言ってるけど、あんまり面白い気がしなくて。それよりはなんかそのiTunesの仕組みを使った、そのシャッフルランダムプレイでいくらでも流れ続けるその音楽、それはだから「Music for Shuffle」で、「Music for Airports」の次が(来たのかな)、次なのかな?みたいなこと思ってたところで、なんか「Music for なんとか」でアンビエント系で、すごい僕アンテナがもう立ちまくっていて、

とくさし:「Music for***」探しになっていたんですね。

長島:そうした時に「Music for サウナ」?「は!」みたいな。サウナって普通来ないだろうっていうか。(それをいったら)「Airports」もですけどね。それで聞いてみたら、あのとても面白くて。それでなおかつ面白いと思ったのが、一つにはやっぱりその、「体の状態」とどう共存するかをすごい考えている。

とくさし:そうですね。

長島:すごいですね。単にそれ自体として何て言うんでしょう。聴取の対象になるような、そういう考え方、作品の考え方じゃなくて、完全に体の状態、しかもすごく特殊な・・・というか具体的なあるシチュエーションと言いますか、それとセットで機能するっていうことをやっぱりすごい考えて作ってらして、それは、だからなんかある種の何て言うんだろう、純粋音楽とか絶対音楽って言い方でいいのかな、なんかそういうこととは全然違う、機能的な音楽としてこれやっぱミュージックforなんとかでアンビエントの本当にスピリットの正しい後継だろうと思います。

とくさし:ちょっと褒めすぎだろうと思いますが、ありがとうございます(笑)

長島:と思って、面白い人いるな、あと僕今でもそうなんですけど、結構あのダウンロードよりはできるだけフィジカルで買おうとしてしまって。モノ派なので、できるだけ買ってしまうんですけど、そうしたらそのフィジカルのそのアルバムのCDにはブックレットが付いていて、それがまた音楽史を、何て言うんだろう、賑やかすというか・・・なんと言ったらいいんだろう。

とくさし:まあコラムですよね。

長島:面白いとくさしさんのいろんな推薦50選みたいな。いろんな音盤のリコメンドの冊子が付いていて。それも面白くて。それが文庫のね解説目録みたいなデザインになってたんだけど、

とくさし:そうそうそうそう。

長島:最初から1冊目なのに11なんだっけ・・・

とくさし:品番1137、「いいサウナ」。ふっふっふ。

長島:これダジャレだろって。そこまで含めてこの人なんか一緒に考えてくれるかもみたいな。

とくさし:嬉しいなァ。

長島:お声がけしたらご快諾下さって。

とくさし:いや、ほんとありがとうございました。

長島:それでまちなかのその「セノ派」っていう、コレクティブ、ある種の集合体、グループというほどなんていうの、固定的なものよりはもうちょっとゆるいというか、柔軟なグループというか集まりを考えていたんですけど、「セノ派」という形で、まちなかで『移動祝祭商店街』というのを始めて。そこに音楽でとくさしさんに入っていただきました。そしたら、その時、その年の『移動祝祭商店街』がフェスティバルのオープニング演目で、南大塚の駅前のトランパル大塚という駅前広場、新しく整備された、(完成は)その数年前かな? で、そこでパフォーマンスがあって、そこでやっぱり音楽を使うっていう、そういうプランだったんですけど。そしたらとくさしさん、音楽を作るためにまずそこにリサーチに行って、で、そこの広場の環境音の調性を確かめてきて、それに合わせて機能する音源を作って下さった。

とくさし:そうでした。

長島:で、あそこはGだっておっしゃってた気がするんだけど。

とくさし:のべつ都電が、荒川線が入ってくるので、踏切が鳴りっぱなしなんですよ。

箕口:それがGだったんですね。

とくさし:だからGと合わないと絶えず不協和音になっちゃうので、Fis dur(嬰ヘ長調、音階にGやDが含まれていない)とかで作っちゃうときついだろうっていうことで。GとかDとかがちゃんとはまるキーで作ろうという。

長島:本当になんか、なんて言うんだろうな、アンビエントのあるいは環境音楽と呼ばれるものの、すごく僕自身まちなかのプログラムで参考にしてきたって言いましたけど、ポイントはやっぱり周囲のものとの共存の考え方。すっごい大袈裟に言うと「共存の思想」みたいなものがあると思っていて、要するになんか他のものを全て排除して耳を独占したいとか、鑑賞者の注意とか集中力を全部独占したいっていう考え方で作られるものがある一方で、そうじゃなくて、なんか(その場に)あるいろんなものが混ざってきちゃって、出入りしたりしても全然OKっていう、その他者のための空きスペースを残してる作り方みたいなことが、やっぱりまちに出ていった時に、これ音だけじゃないんですけど、すっごい大事だと思っていて。そういう中で、だからアンビエントってこともあったんですけど、とくさしさん、それであと体との共存、機能的な音楽、それを是非にと思ってお願いしたら、本当に予想以上に、期待以上に、何て言うんでしょう、そこに応えてくださって。それでその年の(F/T19『移動祝祭商店街』の)音楽家としてご参加いただいて、ご一緒することになりました。

とくさし:ありがとうございました。本当に。

長島:2019年秋のことです。それからちょっとその後ね、翌年コロナが始まっちゃっていろんな状況もあって、だいぶ思ってたようにはいかない年が来たんですけど、それでも継続して翌年もご参加いただき、でちょっと今年はね、フェスティバルのディレクターの契約の任期みたいなものがあって。河合と長島は、今年秋が最後で、そこでだからディレクションやってる間に、とくさしさん今までは他のプロジェクトにご参加いただく形だったけど、是非とくさしさんご自身の作品というか、プロジェクトというかみたいな形でお願いできればっていうふうに考えて、

とくさし:本当にありがとうございます。

長島:ね、バンド、言ったような気もするけど。

とくさし:ま、ま、そん時はね、ギャグというか。絶対バンドですとかそういうことではなく
て。

長島:ちょっととくさしさんのアイディアで何か一つ、プログラムをということを1年ぐらい前に、

とくさし:そうですね。

長島:お願いしたのが具体的には今回のスタートです。で、その後ちょっとまあ多少後で戻ってもいいけど、途中だいぶすっ飛ばすんですけど、そうしているうちに「遠くに離れた奏者で、ある種のアンサンブルをやる」っていうアイディアがね。

とくさし:生ってことですよね、アンプリファイされた楽器ではなくて。いわゆる生楽器でっていう。

長島:それをじゃあどうしたら実現できるだろうか、あとどういうふうにアイディアを膨らませていく、あるいは絞っていく、あとどんな人たちとできるだろう、っていうところでこれはもう絶対相談に乗ってくれる方がいないと無理、っていうことで、私が前にご一緒した経験もあって、箕口さん、箕さんにちょっとぜひとくさしさんに会って話を聞いてみてください、というふうにして、お引き合わせしたっていうのが次のステップでした。

とくさし:ありがとうございます。

箕口:で、私は「とおくのアンサンブル」?? ほとんど三題噺みたいな。

とくさし:ま、そうですよね。だって何ら具体的なことも決まっていない状態でコンセプトだけをこう投げかけてってことだったので。

箕口:池袋だったのは私にとっては幸いだったんです。住んでたから。住所は目白だったんですけど、限りなく池袋に近いんで。だからあそこは本当にこう、5、6年かな。なんかこう、いつもいつもいた場所で、そこでなんか「遠く」? 一番最初に思ったのはさっきお話しくださった、上からとか、3Dな、

とくさし:そうそう、そうなんですよ。

箕口:音が上から降ってくる感じ、だから上の方からなんかっていう。上の方から?

とくさし:当初は屋上とかもね。

箕口:屋上っていうキーワードもありましたよね。一番最初に思ったのはあの、それこそは旧西口広場のバス停がいっぱいあるところ。今(グローバル)リングになってて、バス停が結構あって、バスがいっぱい入って・・・あの辺の雑居ビルのいくつからから上から音が降ってきたら楽しそう。

とくさし:私も思いました。写真撮ったりしていました。

箕口:っていうまずイメージしか持っておらず。いきなりとにかくまあこうやって話しましょうって。

とくさし:そうでしたね。

箕口:でもなんかその話を伺ってるうちに、まああの時多分頭の中によぎったのは2つあって、一つはその街の中でその音が聞こえてくる、っていうので、その何だろう意外とみんなその結構ガンガン鳴ってるBGMとかそういうのも、今の人って意外と聞いてない。遮断することが得意。それこそイヤホンなんかをして、別の音楽を聴いて自分を外から、音的には遮断するっていう生き方をしている人が多いじゃないですか。その時も多分話したと思うんですけど、私はバードウォッチングが好きなので、どんなところを歩いていても鳥の声だけは聞こえてくる。スズメがこっちの方に2、3羽ちょこちょこ飛んでたぞとか、あれはひよどりのヒナの声だ、とかっていうのを、こう歩きながらも無意識のうちに拾って歩いてて。でもある時に「あ、今なんかヒヨドリだ」って言ったら、隣で一緒に全く同じね、ペースで歩いていた人が、「へ? 何の話??」ってなって、聞いてないんだこの人はやっぱり音は選択的に拾いながら聞いてるんだ。

とくさし:カクテルパーティー(効果)というか。

箕口:カクテルパーティーなのかもしれないし、それから聞きたい音を聞きながら生きているんだろうなって。そのバランス・・・イヤホンで遮断するってことも含めてそれをなんか、とくさしさんのアイディアで、そこを聞こえてくる音にちょっと、長島さんのね、アンビエントの考え方とはちょっと違うかもしれないけど、ふっとそっちに耳を引っ張られていく、っていう体験をしてもらったら面白いだろうねって。で、音源はどこだってやっぱり人間、結構探すじゃないですか。

とくさし:はい。(頷く)

箕口:ちょうどバードウォッチングで今鳴いたあの鳥の姿を。

とくさし:はい。

箕口:っていう風に探すような、なんかそういう経験ってきっと面白そうだなーっていうのと、前もちょっとちらっとお話それこそおっしゃってましたけど、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ(大聖堂)で初演されたシュッツのミサ曲って、

とくさし:シュッツの話されてましたか?

箕口:とくさしさんがされていた?

とくさし:あれですね、ガブリエリ。

箕口:ごめんなさい、ガブリエリ。の話。

とくさし:十字型のね。

箕口:十字型の、あのあのあのあのあのカテドランの出てる、バルコニーに何人少年合唱を入れられるか、とかいうので、バラバラに配したものがそのままミサの時に空から降ってくるように聞こえるっていうのを計算して作曲した曲なんじゃないですか。

とくさし:なのでまあかなり最初期のサラウンドですよね。

箕口:そうそうそうそう。なんかそれみたいなことを街の中で実現したいんだろうなぁと。

とくさし:まさしくです。おっしゃられた一番最初にお会いさせていただいた時にバードウォッチングの話をまず最初にされたのがまたこれフィードバックで、確かにバードウォッチングだなっていうことで。自分のアイディアにもなってきましたし、今回はしないですけど、なんとなれば、こうちょっと双眼鏡をお配りしてね。会場で。奏者をね、バードウォッチングとは何事かということかもしれませんけど。オペラグラスの新しい使い方っていうかね、上向くっていうか。オペラグラスは下向きますから。上向きにオペラグラスを使うっていうのも頭をよぎりましたよね。

箕口:そのなんか、イメージ。あとはそれこそいわゆる、じゃんけんぽんっておっしゃってたと思うんですけど、結局合図を出し合うっていう意味で言うとこれはまず弦楽器は無理。管楽器だろうと。

とくさし:あと湿度と温度という意味でもなかなか難しいんですけど。

箕口:管楽器だって結構温度には影響を受ける。

とくさし:音程変わってしまいますからね。

箕口:でも秋だったら大丈夫だろう。冬だとホルン鳴らないぞ、みたいなね。

長島:そうなんですね。

箕口:そうなんですよ、やっぱりある程度の温度がないとちゃんと管が共鳴しないので。季節的にも金管で、木管じゃないだろう金管だろう、と。でも信号ではない。お互い白玉ってあの時もおっしゃって、全音符でずーっと鳴っているようなイメージ。そうするとこれはね、(スライドのジャスチャー)

とくさし:トロンボーン。

箕口:スライドで、長い音を確実にキープできる楽器っていう。それこそやっぱりお話しし
ながら、じゃあトロンボーンで上の方からこうやってスライドを落っことす谷啓はしないようにしながらとか(笑)お話ししながらイメージで出てきて、そうしたらなんかトロンボーンを考えてらっしゃったって。

とくさし:いやーそうですね。

箕口:私が出したアイデアは、多分それだけだったと思うんですよ

とくさし:いやでもやっぱりこう箕口さんに、まずどうやって説明したらいいのかっていうのが自分に試されるっていうのが、そのいやこれは箕口さんのみならずですけど、別に友達でもいいと思うんですよ、例えば音大生の人とか、あるいは美大生の人がなんか作品を作るっていう時に誰かと、もう飲み屋とかでもよくて、何を作ろうとしてるのかっていうのが、まあ2、3行で説明できる時って、なんかまとまってきてるんだと思うんですよ。なのでそういう機会をたくさん与えてくださるのがお二人だったわけですよね。

箕口:めちゃくちゃいえばめちゃくちゃですよね。あの南池袋公園で(奏者自体を)運んじゃおうかとか

とくさし:(奏者同士の)遠近感、、どんどん離したらどうなるのかとか。

箕口:そしたらでもそういったって吹きながら走れないから、台車に乗せるとかね。

とくさし:いろいろありましたね。

箕口:だいたい何人ぐらい動員しなきゃいけないとか。ガラガラっていう音もするよ。

とくさし:その音も発生するとか。

箕口:ですよね。で、だいたい道はどうついてるんだろうとか。なんか地図まで開いたような記憶が。それだって平面だった。

とくさし:そうですね。

箕口:そうやって話してるうちに、こう池袋の中で高低差がある程度確保できた上で、響き合うっていうのを多分演奏者自身も必要とするだろうから、その空間とさっき言ったカテドラルのイメージ。

とくさし:そうですね。

箕口:なんかひょっとしてあるんじゃない?と思ったのが、あの時本当になんかぽこっと浮かんだのが芸劇のアトリウムで。

とくさし:まさしく着地というか。

箕口:話してるうちにだんだんこうイメージが。

とくさし:そうですね。

箕口:やっぱビルの上からは大変だよなぁとか。

とくさし:当日雨だったらどうするかとか、かなり細かいことありますからね。

箕口:だからそういう心配事も結構ね、やっぱり私はね、やっぱり半分以上というかほぼ9割方アイディア人間というか制作人間なんで、これをどう交渉してたらいいのかとかね。実際問題として、いくら金管楽器でもただただ広い場所っていうのは音が散るよなとか。

とくさし:いかに反響板っていうものにクラシック音楽が支えられてるかっていうことですよ。

箕口:そうなんですよね、やっぱりどんどん演奏者は離れるどころか近づきたがるし。

とくさし:うん、そうですね。そうなってくるとまあ演奏する人間が納得する・・・これがやっぱりね、あの生音っていうことを考えた時に常に演奏者がいる。演奏者が人間であって、もちろんその体力的な問題もあるかもしれないけれども、やってることがつまんないとか、やらされてる感満載みたいな、きつすぎるとかですね。

箕口:絶対あの演奏者の顔が「ジューっと」(渋い顔)、こうなんていうか、もう僕に何も言わないでモードに入っていく姿が見えるわけじゃないですか。でもせっかくだったら、面白く、これ楽しいよね、いろいろこう一緒にやって楽しいって演奏者も思える限度はどこにあるんだろうっていうことを考えてた時に、やっぱりあの芸劇のあの空間、実際こう何層にもなってるし、1回あそこで管楽器のアンサンブルを聞いたことがあって、それもあのチケットセンターの上のところ、って具体的に場所になっちゃいますけど。あの空間にみんなが集まって、そこで演奏しているのを周りの人が聞いてる。どっちかというと下の方に演者がいてみんなが上から見てるっていうのは1回経験したことがあって、音響的には金管楽器全然OKというか、むしろとても美しいところだっていうのは思ってたので、それを逆にしたら、

とくさし:そうですね。

箕口:したらきっと、わかんないけど、面白がってくれさえすれば、あそこは使えるんじゃないかな、と。

とくさし:おかげさまで着地! というか、あそこのアンビエンス、すごく美しいんですよね、長いこうまあディレイというかエコーがあって。

箕口:多分そこから派生して出てきたのが、あのJR・・・JRっというか、メトロポリタン
プラザの空間。

とくさし:そうですね、決まった順番もそうでしたね、はい。

箕口:言われてみて私も確かにあそこもそうだったねって。通勤路だったので。

とくさし:それが決まってみると、吹き抜けっていろいろあるなっていう風になるわけですよね。その今回から少し離れちゃいますけど、結構吹き抜け空間はあって、それぞれにこう特徴があるのでなんか吹き抜け音楽っていうのをまたやっていきたいなとか思ったりしますよね。

箕口:あの結構東京の大きな建物って吹き抜け作ってるじゃないですか。新宿のいくつかの高層ビルとかもあるし。

とくさし:ありますね。

箕口:東京国際フォーラム。

とくさし:私も思っていました。

箕口:あそこいいですよね、あそこ使えそう、みたいな。それを言うんだったらどこまでいけるかわかんないですけど、東京駅の両方のドームのところの。あそこはよく下でコンサートをやってたんですよね。昔やっていたんですよね。東京駅コンて言って。でもいつも上を見上げるとね、あの綺麗な今・・・あそこの上からなんか音降ってきたら、素敵。

とくさし:良さそうですね、はい。

箕口:これであの「ミュージックfor吹き抜け」シリーズですね。

とくさし:吹き抜け作曲家として(笑)

長島:はい、じゃあちょっとここで1曲聴いていただくことにして、我々、一瞬休憩に行きましょうか、はい。

とくさし:失礼します。

<休憩>

長島:はい、じゃあここで皆さんお好きな曲を今1曲聞いていただいたと思います。それでは話戻りましょうか。 今ちょっと前半と言いますか聞いてて、やっぱり箕さんにご相談して良かったんだな、と思いました。なんでかって言うとちゃんとご紹介しなくて失礼しましたけど、箕さん、カザルスホールですとか、サントリーホールですとか、音楽の実際のコンサートの企画、マネジメントにずっと関わってらして、すごくプラクティカルに何かを実現するための相談に乗っていただくのだったらもうこの方っていうふうにやっぱり思ったのがあったっていうことをすごく思いました。 実はちょっとこれね、事前の打ち合わせで出てたんですけど、とくさしさん、なんかこう、なんて言うんだろう、壁打ちをしたっていう話をしていて。

とくさし:はいはいはいはい。

長島:箕さんもだし僕もだし、何かこう相談しながらとか、いろんなアイデアを投げながら決めてたっていうような経緯のことを事前の打ち合わせで「壁打ち」っておっしゃってましたけど、あんまそういうのってしないんですか? 普通は。

とくさし:まず壁って言い方ね、大変失礼いたしました。ということなんですけど、そのじゃあ例えば今回長島さんはディレクターという役職名で携わっていただいてますけど、このディレクターっていう言葉が、じゃあ例えば CMのディレクターであるとやっぱり監督っていう、何でしょう、言葉が強いですよね。 あるいは指揮者っていうとやっぱり指揮者が先導して今度じゃあ演奏する曲の形を決めていくっていうのがありますけど、長島さんが行っていることは何かもちろん決めたりもされてますけど、こうじゃなきゃダメだと思うからこうやって、みたいな感じで、例えば 近いところだと編集者のような壁打ちで、近いところで言うと文学賞を取らせたいと、芥川賞取らせたいって言って作家と二人三脚で 編集者が何回も書き直させるとか。あるいはなんかもう小林秀雄に書き直させた伝説の編集者がいるとかね、そういうこれは ディレクターからまた遠ざかっちゃいますけど、これもまた一種の壁打ちだったと思うんです。
そうした時に私、割といろいろ広告であるとかテレビの監督さんとお付き合いさせていただくとかっていうのありますけど、今回のこのディレクターとしての長島さんっていうのが、もちろん監督、いろいろ決めるっていうのもあるんだけど、何ていう言い方が適切なんでしょうね、私の言うことに従ってくださいとかっていうのじゃ全くない。一応注釈を入れると、じゃあテレビや広告がそうかってそういうことを言いたいわけでもなくて、何か優劣がある、あったりっていうことじゃないんです。ただ自分としては、そのだいたい家で完結できるんですよね。
最近の作曲家の仕事っていうのは。もちろんスタジオに行って奏者に演奏していただいたりとか、たくさんの方にお世話になるんですけど、作品の形っていう意味では、ある程度を自分の中で完結させていかなくてはいけないというか。そういうところがある中で、今回も1年がかりで何度もまあお茶をさせていただいて、箕口さんともこうおしゃべりさせていただきっていう機会の中で、徐々に形をなしていくっていう形がもっとやりたいなと。もっと強めに言うと、こういう形の協働は、むしろ作家を自由にするんじゃないのかなっていうふうに思うんですね。
すみません、私ばっかり話してしまってあれなんですけど、作曲家ってその自由っていう刑に処されてるんですよ。ちょっと話を広げすぎますけど、自由という刑に処されすぎてるから、ソナタ形式が必要だったり、フーガが必要だったり、十二音技法が必要だったり。たくさんの、じゃあここ芸術大学でございますけども、作曲の先生が生徒に何を聞き、そして生徒は何を恐れるかというと、どうしてこの音はこの音にしたの?という質問に的確に答えられるかっていうことなんですよね。で、これは別に学生さんじゃなくても、生涯作曲を志す人は、「なぜこの音がこうなのか」っていうことに答えなくてはいけないという、まあある種ノイローゼというと強すぎるんですけど 、そういった自己意識に苛まれながら、こう、もの(曲)を作るしかないし、今少しネガティブに私申し上げましたけども、だけども、そのおかげである種のストラクチャーが生まれたりとか、洗練が生まれていく。そんな中で作曲家が常に自由っていうものに、強く言えば怯えているんだという時に、先ほどちらっと申し上げた、形が決まることで、できないことが決まるわけですよね。
例えば、弦楽器は無理とか、その場所として無理だから、ということは弦楽器を使った構造については自分の思考からある種除外、今回は除外できるということで、できないことが増えた方が作曲家は楽なんだ。なので劇伴というのは、偉そうなことを言いますけども、ある種楽なんですよね。音の長さも決まっている。ここでシーンは変わらなきゃいけない。もしもこれが作曲の授業であったらどうしてここで展開が起きるのか?っていうことに対して説明ができないといけない。それは展開部が訪れたからだ・・・今この「展開部の展開」と「映画の展開」って全く言葉の意味が違うわけですよね。ソナタ形式における展開と映画における展開は全く意味が違う。なんだけども、劇伴っていうのはある意味では音のストラクチャーに関してはものすごく楽。あるいはこう、「もう絶対ここはピアノだから」と監督に言われたからピアノ(の曲)を作る。これは非常に自意識としては楽なんですよね。
じゃあ東京芸術祭、何かこう、「作品をつくりましょう。じゃあとくさしさんお願いします」何していいかわかんないですよね。だって作曲より自由じゃないですか。東京芸術祭。「音楽」じゃなくて「芸術」になって。「芸術」の場で、とくさしさん、何かしてください、困り果てますよね 。なので、そこで、もちろん今話が実は逆で、最初に長島さんからお話をいただいてるから、こういう話ができるわけですけど、そういった中で、じゃあ長島さんとやるんだったら、まずは「まちに出る」っていう事が前提なんだ。ということは、こういうことはできないな、こういうことはしてもしょうがないなっていうので、どんどん除外項目が出てくる。じゃあ長島さんと温めてきたものを今度箕口さんに相談してみよう。実際にどうやったら着地できますでしょうか、っていう時に、またたくさんのこう、除外って言うと言い方が悪いんですけど、考えなくていいことがどんどん増えていく。なので、つまり壁打ちをしたり、ある種のディレクションがつく、っていうのは作家を楽にする。楽にするとどうなるかっていうと、その分のカロリーを決まったことのアイデアを煮詰めることに使用できる、っていう事に他ならないわけですよね。 なので、もちろん経済的なこととか、条件であるとか、みんなができるとは思わないんですけども、こういう作る人が一人だけワントップでいてやるっていうのは、どこかにやっぱり限界がおそらくあって、何かこう協働っていうとね、少しこう作曲家の方が協働というと少し甘えたようニュアンスが含まれちゃうかもしれないんですけど 、何かちゃんと地に足ついた部分のことを、ちゃんとつなぎとめてくれるお二人、と。どこか作曲家とか、ものづくりの人は考えが遊離しがちなので、 それをこうつなぎとめてくれる錨であったり、あるいは港であったりということなのかなと、そういうふうに思って1年を過ごしてました。感謝でございます。

©橋本美花

箕口:今のお話を伺ってたら、要するに風船の紐だったわけですね。

とくさし:そうですね、作曲家はもう、どんどんどんどん浮いてっちゃうから。

長島:なるほど、なるほど。

箕口:今回はこの辺に風船をちょっとこうくくりつけてみんなで見たいんですけど、みたいな。

とくさし:くくりつけてもらうとその他のことができるんで、装飾もできるだろうしずっと浮きっぱなしだとね、書けない。

箕口:浮く方向とか、こういう風が流れたらこっちへこうふわふわっていけばいいのねみたいな。

とくさし:そうそう。何かがこう今、自由自由って、作家の自由とか、芸術の自由っていうことももちろん言われてるとは思うんですけど、往々にして自由すぎるって私は思っていて、何だったら不自由を少し求めてるようなところがあるのではないかと思っています。

長島:ありがとうございます。「まさに」で、 僕自身、今、河合と一緒にそのプログラムディレクター という方書きなんですけど、F/Tの時はディレクターで、今プログラムディレクターに今年なってるんですけど、あのやっぱりディレクターの仕事を引き受けること自体やっぱりすごい迷ったっていうか、混乱したんですよね。「ディレクション」って何だろう、みたいな。「フェスティバルのディレクションって何?」みたいな。やっぱり河合も別にフェスティバルディレクターを目指して仕事してきた人間じゃないし。

とくさし:そうなんですね。

長島:私長島もそうだし。ディレクターになろうとしてきたわけじゃないですよ。何のことだろうディレクションみたいな。そのことを最初結構考えたんですけど、その時も・・・だいぶいろんな悩みはすっ飛ばしますけど、結構明らかだったことは2つあって、1つは自己表現じゃないってこと。ディレクターの自己表現の場じゃないということで。あともう一つは、やっぱりその、結果をコントロールするんじゃなくて、ディレクションって方向とか方角とかの意味があるから。

とくさし:なるほど。

長島:こっちじゃなくてこっち行きましょうっていう。なんかそういう方針を決めること。そっちへ行く限りどうなっても、むしろアーティストがそれぞれ力を出してくれればハッピーというようなね。だから、その方角を決めるんであって、細かい演出とか、なんていうのかな、出来上がる形をコントロールすることはむしろ仕事じゃないし得意じゃないし、いいかなみたいな。いいかなって言ったら(失礼に聞こえたら)ごめんなさい。だからそういう意味ではやっぱり方角ですね。だから例えばやっぱり全部劇場の中でやりましょう、とかじゃなくて、まちへ出ていくものが大事だからそちらの方角を、とか。あとまちなかもその意味で言えば、劇場内のものを持ち出すんじゃなくて、全く違うアプローチ、違うやり方で、まちでこそできるようなものをやっぱり探そうとか。それはなんかやっぱ方針とか、方向性であって、フェスティバルが全体としてどっちへ行くのかっていうようなことに関して、そこを決めるのはディレクターの、ディレクションの仕事なんだろうなってことは、2人で、なんかそれだったら考えられそうって、

とくさし:なるほど。

長島:ということはありました。あとちょっと先にお答えしちゃうともう一つは、その一方で僕自身はドラマトゥルクという仕事をずっとしてきていて、(どんな仕事か)謎なんですけど何でも屋なので。名乗るのは逆になんか言い切れちゃうんだけど、実は何をやってるかもバラバラっていうかなんですけど、ケースバイケースで。で、いろいろ国によっても違うし、ドイツのちゃんと公共劇場とかで制度としてちゃんと職業がある中での仕事の仕方と、例えば他の国での、アメリカにもドラマトゥルクいるけれども、あるいは、日本でここ10年20年多少増えてきてますけど、それぞれやっぱりなんか、いろんな他との関係の中で多分かなりバラバラで。なおかつ個々の創作現場ごとにバラバラでもあって、ちょっとほんと一概には言えないんですけど、僕自身は今なんかやっぱり作るプロセスの、あるいは作り方のエンジニアみたいな感じでいて、だからアーティストの方と組んで何かをどうやって作っていくかっていうことに関して、相談にも乗り、ある種のなんて言うんだろう、材料のストックもあり、いくらでもそれは、提供もでき、だけどやっぱり、だけど作るのはやっぱりアーティストの仕事である、みたいな感覚でいます。であとちょっとすいません、余談になっちゃって、これ芸術祭全体の話になっちゃうけど、その意味では僕はドラマトゥルクの仕事してきたし、あと河合は制作の仕事、プロデュース、マネジメントの仕事をずっとこれまでしてきたけど、ディレクターになっちゃうと、それと両立・・・それまでの仕事とはちょっと両立しにくくて。

とくさし:そうなんですね。

長島:権限が全然違うから。例えば稽古場とかね、なんかディレクターがちょこちょこ来たらうざいじゃないですか。

とくさし:そうなんですね。あまり演劇の現場を知らないので、私。

長島:出て行かない方がいいタイミングとか色々あって。やっぱり力持っちゃうから。権限持っちゃうし。 何て言うんだろうある種の圧力っていうかね、いろいろあって、あと決定権の問題とか、アーティストより強い決定権を持った人間が、

とくさし:なるほど。

長島:プロセスに介入しちゃうのはやっぱりいいことじゃないので、一般的にはね。だからすごい遠慮してたんですけどこの5年ぐらい。なんかあんまり、 我々圧力が弱かったのか、何なのか、案外アーティストの方とちゃんと組んで、それぞれの河合なら河合の、長島なら長島の持ってる仕事のノウハウみたいなものは、ちゃんと提供した方がハッピーなんじゃないかっていう気持ちにもなってきて、それで、だからとくさしさんのこのプログラムもだし、他の演目もなんですけど、比較的例年よりもアーティストの方の、それこそ壁打ちというかそこに入ってる感じは今年多いですね。

とくさし:なるほど。

長島:それ、ちょっとそれディレクターの仕事なのかっていうと、またちょっと違うというようなことでもあると思うんですが。

箕口:今の話を伺って、ジャンルの違いっていうのがあるのかもしれないけれども、私の場合はコンサートホールでの経験ですね、要するにホールが公演を主催する。そこにはホールの方針ではないけれども、こういうことを実現させていく場にしたいっていう、よくミッションステートメントとか言うんですけどね。やっぱりある時期からね、ここ(東京藝術大学。この収録は箕口研究室で行われた)の熊倉純子先生なんかも頑張ってですね 、やっぱりちゃんと考えるホール、考えるプレゼンターであるべきだって。特にまあ私はずっと私立のホールですけれども、公立文化施設ってそれこそ税金も使ってるわけですし、やっぱりこのことを行うことに意味とか、意義、、、変な言い方だけど、さっき説明をされると仰ったけど、税金を使ってることの説明ができないといけない。

とくさし:なるほど。

箕口:そこまで現実味を帯びた話だけではなくて、もうそれこそやっぱりサントリーホールだったら、オーケストラ音楽の振興とか、カザルスの場合だったら間違いなく、あんまりその当時できた、当時にはあまりこうなんだろう、メインストリームにはなかった室内楽をね、いろんな人に聞いてもらおうとか。やっぱりそういう思いっていうのを実現させたい、っていうのが一応ホール側の意向としてあるけれども、音楽の場合って最終的に特にいわゆるライブパフォーマンスの場合、主役はもちろん作曲家、もう今は今は亡きその人たちの意図だったり、その芸術的な思考とかを再現するっていうことが主な仕事だけれども、それを再現する演奏家たちの、やっぱりアーティストとしての
矜持であったりとか、それから実現させたい、まさにあのアーティスティックゴール
みたいなものね、みんなそれぞれ大なり小なり持ってるこの人たちが、何かを実現させるっていうのがコンサートそのものなわけなんで、私たちの仕事って、そういう意味では、こういうことを、こういう方向ではやりたいけれども、それを一緒に面白がってくれる演奏家であるあなたは(それだったら)何をやりたい?っていう常にやっぱり対話がある。

とくさし:うんうんうん。

箕口:ホールでのコンサートの作り方って比較的そうだったんですよね。例えば私たちはとにかく毎年バッハの無伴奏チェロ組曲を6曲全部違うチェリストで聴きたい。で、1人1曲ずつ弾いてください、と。

とくさし:なるほど。

箕口:もう6日間連続して演奏会やる、このフォーマットはとりあえず私たち守らせてほしいんですけど、ご一緒しますか?

とくさし:だから地形を用意するということですよね。

箕口:まさに、そのプラットフォームなのか、とりあえず今回は、今回の、なんだろう競技会は陸上で言ったら今回は100m走で行きたいと思うんですけど、

とくさし:一緒にエントリーしていただけますか?と。

箕口:もちろんスポーツはそうじゃないと思うんですけれども、でもどっちかって言うと やっぱりそういうはっきりと、こっちとしては今回まっすぐ100mのトラック用意しましたけど、どうですか?みたいな。

とくさし:なるほど。

箕口:ただしその100mの走り方についてはお任せしますっていう。

とくさし:なるほど。そう、だから先ほど地形っていうのが、例えばホールの・・・今回のアトリウムの地形、本当に物理的な地形、外の地形ってのもあると思うんですけど、メディアとしての地形もきっとあると思うんですよ。いま箕口さんが仰ったみたいな、企画としての地形っていうのもあると思う。それは目に見えないけども、今回はバッハなんだとか、そういう地形を用意されることで、むしろ自由になる、みたいなところがやっぱあるなっていう。

長島:今回、その意味では、とくさしさんにもちろん芸術祭の方からお願いしましたけど、僕も河合も演劇、あるいは演劇というかパフォーミングアーツ、演劇、それからダンスも演劇ほど専門じゃないけど、どちらかというとやっぱ演劇メインですが仕事をしてきて、そうしていった時に、とくさしさんのこのプログラムはもう間違いなく確実に、なんて言うんだろう、音楽なおかつやっぱりクラシック音楽をバックグラウンド・・・ベースにしたアイデア、プログラムになることは間違いなくて、その意味でも本当に箕口さんに入っていただかないとという経緯でした。
でね、あのちょっと話前後しますけど、それでお二人に会っていただいて、なんかだいぶいろんな話が出てきて、そう、さっきのガブリエリとか、シュトックハウゼンでしたっけ?

とくさし:グルッペンですね、あとヘリコプター(弦楽四重奏曲)。

長島:あと何でしたっけ、箕さん、マリー・シェーファーとか。だいぶいろんな事例が出てきて、なんかそのあたりはどうなんですか。なんかそういうストックがいろいろ・・・こうアイデアっていうかね、ご存知で。そういうことと、あと今回「とおくのアンサンブル」結果トロンボーン16本。

とくさし:そうですね、はい。

長島:アトリウムっていうアイデアも箕さんから出てきて。なんか結び・・・なんて言うんでしょう。今考えて、何がどうワラワラワラと。

とくさし:徐々に集合したような。

箕口:小さな粒子がいろんなところからだんだん・・・それがこう光が集まってくるような感じでしたね。

とくさし:まさしくそうでしたね。

箕口:コンサートホールで仕事をするっていうのはメインだったんですけど、私自身は色んな格好で、いろんな形で音楽を聴く在り方っていうことに、やっぱりある時に気がついて 。ホールの中、仮にそれはホールの中であっても、そこに集まってくる聴衆の人たちの、その結びつきの度合いとか、そういうのによって、こう雰囲気が全部変わっていくとか。それこそあの時も話したかな、あの有名な、あのウッドストックっていう、アメリカのウッドストックには、実は北米で一番古いコンサートホールがあって、それはもう半分掘っ立て小屋で夏しか使えなくてっていうのは後ろが全部・・・ステージのところだけ屋根があって、教会を半分に切ったような、後ろは全部開いてるっていうタングルウッドなんかにもあるタイプですけど、それの本当に古い、そんなもう自然の音も何もかもみんな入ってくる中でベートヴェンを聴いたりとかするっていう。そういう例えば聴き方もあるみたいね。それこそマリー・シェーファーとか、突然第一ヴァイオリンが叫び始めたり、動き始める、とか。そういうのってあり、というか。それこそ、あとはいわゆるミニマリストって呼ばれた人たちがやった、もういろんなトライアル。まあ、「In C」みたいな例もあれば、とにかくフレーズだけ決まってて、これを後は自分の好きなように楽譜じゃなくてただ説明書きの楽譜?があったりとかっていう。そういうのをこういろんな人たちがいろんな風に、パフォーマンスとしてそれこそ着地させてった姿っていうのを、聞いたり見たりしてきたっていうのもあるんで、今回みたいな話は燃えますね。

とくさし:あと、箕口さんが結構どストライクに世代でいらっしゃいますよね。そういうのを・・・

箕口:まあまあ確かに。

とくさし:これ絶対話それちゃいますけど。西武の文化であるとか、現代音楽が熱い時代。

箕口:池袋と言ったら、実はすいません、芸劇の側じゃなくて、反対・・・

とくさし:反対側・・

箕口:西武側に通い詰めてた口だったから。それこそ何でしたっけ、ロシア・フォルマリズムの時代のオペラの再現とかやったんですよね。っていうのを見たのがやっぱり西武だったり、西武美術館の中でやってたのを目の当たりに見たりとかいうのは確かにしてて。ある意味何でも、いろんなやり方がある。何もこう、ちんまりと立派なアコースティックがきっちりね、ある意味守られた劇場の中、ホールの中だけで音楽が起こるもんじゃないっていう経験は、確かにたくさんしたのかもしれないです。いやまあでも、本当だからそういう意味では、この間ね、リハーサルっていうか試しに音を出したのを(映像を)見せていただいて、「きたぞー、きたぞー」っていう予感はものすごく。

とくさし:これからまた全員でリハーサルですね。

箕口:そうですね、まだちょっと足らないんですもんね。

とくさし:(奏者が)半分だったので。

箕口:半分でも、あれだけの響きが確保できるっていうのは、やっぱりあの場所すごいですね。

とくさし:まさしくご紹介いただいた奏者の皆さんが本当に素晴らしくて

箕口:彼らが面白がってくれるかどうかが、実は結構成功のするかしないかの・・・

とくさし:そうですね。

箕口:さっき、どストライクの世代と仰ってくださいましたけど、やっぱりあの頃の音楽家って、例えば武満徹・・・今は、今でこそビッグネームだけど、あの頃はまだね、まだねって言ったら失礼な言い方なんだけど、みんな試行錯誤していた時代で。

とくさし:実験工房で。

箕口:実験工房は流石にもっと前で、私まだバブバブしてましたから。70年代に入ってからの話ですけど、それこそ草月ホールとか、ああいうところでこうやってたものっていうのは演奏家自身がやっぱりすごい、こう何やってるかわかんないけどなんか面白いことに巻き込まれてるっていう一種のワクワク感。だから当時のことを知ってる演奏家が、あの頃を振り返っていろんなところで書いてるの見てると、やっぱり変なことやらされてるって思ってた。変なことやらされてると思ったけど、みんながものすごい真剣に変なことやってるんで、私も真剣になってみようかしら?みたいな っていう。

とくさし:私の世代はもう全てがほぼほぼ終わってから生まれているというか、物心ついたころにはもう90年代っていうか、0年代っていうことなんで。ちょっと羨ましく聞く感じですよね。諸先輩方の話を。

箕口:ただやっぱり今若い世代の、特に演奏家の中、間には、やっぱり逆に言うと、あまりにも物事がかっちり決まりすぎている。(それ)以外のことで自分を試したいという気持ちもなんかすごく広がっているような気がしていて、だから今回のこともとくさしさんのアイディア面白いと思って、面白いからやろうよって声をかけてくれる人がいれば、もう実はその瞬間に成功間違いなし、みたいな。

とくさし:なるほど。

箕口:そういう意味でうまく当たったかな。

とくさし:本当に恵まれました。奏者の皆さんとの出会い。

箕口:楽しんでいらっしゃいますか?

とくさし:これは私からは言えないですよ(笑)

箕口:いやでも話をしてても(わかるじゃないですか)・・・

とくさし:ずっとね、しゃべり続けてしまうんですけど、私はもう楽しく。

長島:なんか16名トロンボーン奏者が、この秋のね、きっとある種のコンサートとかでも忙しいシーズンに集まるだろうか? 参加してくださるだろうか? すごい懸念だったんですけど、箕さんにご紹介いただいて。それでそしたら結構わらわらと、というかね。花形の方々が集まってくださったという。

箕口:メンツ見て・・ほぉ!!

長島: ちょっと僕、全然本当そこ門外漢で分からないですけど、やっぱりトロンボーン奏者がこれだけ一同に集まって一緒になんかやるってあんまないんじゃないかと。

とくさし:あんまりないですね。

箕口:見たことないですね。私も16本って、いや何とかなるかなと思いつつも、話しながら、ちょっと多いなっていうね。

とくさし:ちょっと多いなという感じで。

箕口:どこのオーケストラにもトロンボーンの人ってやっぱり3人とかね。それ全員を集めても、いくら東京にオケがたくさんあってもとか・・・

とくさし:本当にありがたかったです。

長島:いや今回ね、それで山下純平さんにコンサートマスターという形で入っていただいて、 Webページにね、ずらっとご紹介させていただいてますけど、16名のトロンボーン奏者が集まって芸劇の、池袋の・・・東京芸術劇場のアトリウム、吹き抜け空間、普段コンサートをやるあの会場の中ではなく、外側、そこで、という形で。この間ちょっとね、リハーサルの、フルの人数ではないですけど、やってみて、やっぱりすごいいろいろ面白くてあそこ、音がいいって言っていいのかわかんないけど、

とくさし:いや、音いいですね。

長島:音がいいように造ったわけじゃないところだと思うんだけど、すごく音もいいし、ちょっとこれフルで揃ったら大変なことになりそう。

とくさし: 楽しみですね。

箕口:音が良いって私たちが思う時って何なんだろうって思うんですよ。

とくさし:いい音って何だろうと。

箕口:そう、いい音って何だろうと。私の答えははっきりしてて生音なんですよ。それがね、それがこう、不自然でなく、なんて言ったらいいのかな、やっぱり自然に、それこそあの上野公園でスズメがチュンチュンしてるような感じで聞こえてくる場所っていうのが、多分音がいいと思うところ。

とくさし:でもそうかもしれませんね。あとは演奏家の方がナチュラルに演奏できる場所っていうと、いい音の場所かもしれないですね。

箕口:そういう意味で言うと吹き抜けって、その可能性はすごく持ってる場所なんだと思うんですね。

とくさし:確かに。

箕口:いろんな吹き抜けがあるからやってみないとわかんないですから、まあ今後。

とくさし:自然の反響板がね、自然じゃないんですけどね。

箕口:まあでも吹き抜けって人間の気持ちもこう吹き抜けるじゃないですか。

とくさし:高い天井であるとか。

箕口:見上げることができるとか。

とくさし:あとあのベンヤミンのパサージュ論じゃないですけど、半分外で半分中って、いう。

長島:そうだ、とくさしさんは、パサージュフェチというかコレクター。

とくさし:パサージュ好きだから、私は。ベンヤミンを持ち出さずともですね、商店街好きなので。それこそサウナの後に。あの半分外で半分中っていうのが、何かこう萌えるって言うとね、ちょっとあれですけど、言い方があれですけど、そうそうそう。

箕口: 大自然の中で生音を聞くならすごくかっこいいんですけど、実はすごいアンサンブルって作りにくいんですよね。

とくさし:ああそうですよね、音が抜けてっちゃうから。

箕口:そういう意味で、やっぱり人間が作り出す音楽の音っていう。音楽っていう。そのサウンドっていうのは、その半分外で、半分中じゃないですけど、やっぱり人がいることが前提になってる空間、結構ぴったり合ってるのかも。

とくさし:確かにそうですね、まあそれはもう本当に話が広がりすぎますけど、完全に管理されてない自然ってただの脅威ですから。ある程度やっぱり管理されていてっていう。管理された上で、じゃあ緑とかはどうなっていくのか、自然はどうなっているのかっていう議論だと思うので、完全な自然状態、人間もそうですけど脅威しかないじゃないですか。

箕口:怖いですか。

とくさし:そうなんですよね。そう、だからそういう完全な自然状態で言うと、例えば私がそうだっていうわけではなくて、ある芸術的なというか、アイデアがあった時に、それを無理やり形にするっていうのは、最悪の場合テロリズムになってしまうじゃないですか。アートの場合、無理くりやっちゃうっていうのは。なので、まさに壁打ちっていうのは失礼なんですが、私そういうつもりは全くないんです、無理くりやりたいとかないんですけど、そのある種の暴力性を・・・そもそもアート・・・というか、音なんて暴力めちゃくちゃ持ってるんで、そういったものをちゃんと着地させた上で、楽しめるようにする形を話し合える場所としてこの1年ありましたね、はい。もちろん、そんな暴力的なことをやろうってのは元々なかったわけですけど。

長島:そういう方向のアーティストの方だったらお声がけしてない。今回はそっちじゃない。それで言うと、とくさしさん今回やっぱりね、タイトルっていうかコンセプト決める時になんかコンチェルトみたいなことをある時期言っていて、建物。

とくさし:「室」協奏曲って言いたかったんですよ。「室内」協奏曲ってあるじゃないですか。「チェンバー・コンチェルト」 ではなくて、「室」つまり「部屋」が、「地形」の方が主役で。

長島:ピアノとかの代わりに。

とくさし:そう。部屋が主役で、そこに音がむしろ関わるんだ、みたいな。空間のためのサウンドトラックなんだ、みたいなのは今でも思ってますね。

箕口:でもそういう意味で言うと本当にそうなったんじゃないですか。

とくさし:そうなりました。

箕口:吹き抜けっていう言葉を先に使ってらっしゃったけれども、ああいう大きな室内空間というか、そういう場所じゃないとできない。

とくさし:そうですね。

箕口:半分中で半分外。人が常に通り抜けていく。ホールのアトリウムもそうじゃないですか。 特にまあ、あの池袋のあそこの芸劇のあの空間って、ホールに用がない人もいるんですよね。

とくさし:そうなんですよね。

箕口:郵便局入ってるし、おいしいおむすび屋さんもあるし。

とくさし:居心地いいですからね。

箕口:地下のところなんて用もないのになんかずっといる人たくさんいますので、地下鉄の入り口の方から入ってきて。

とくさし:ある種の公園感があるんですよね。パークっていうか。 あとはその、内と外で言うと、長島さんもそのつもりは絶対ないでしょうし、私もそうなんですけど、劇場を否定したいわけじゃないんだと。コンサートホールとかホワイトキューブの状態を否定したり、乗り越えたいっていうことじゃなくて、一旦、「外」っていう補助線を持った状態で、もう1回コンサートホールの中に行くと、また聞こえが違うんですよね。つまりホール自体もなるべくフラットな音響や反響を志向して作られるものの、それぞれのコンサートホールの地形があって、こう、特色や美点があるわけじゃないですか。なので、そういう地形を見るようなつもりで、もう1回コンサートホールに行ったりすると面白いなとも思いますし、あと今、ホワイトキューブって言いましたけど、やっぱホワイトキューブも、地形だと思うんですよね。ホワイトキューブという人間が作り出した第二の自然だと思うので、そういうつもりでいくと、 むしろ無機的な空間よりは、人間が作り出したホワイトキューブというまっさらな、なるべく0地点に立ったところで人間が何を作って、何を美しいと言っていくのかっていうのを、恐ろしく競い合ってきた歴史がある、というところに立つっていう意味で、やっぱりこれも地形なんだなと。というので、やっぱり今回1年間ずっと「地形」っていう言葉を考えてましたね。メディアも地形だなと思いますし 、YouTubeも地形だなと。それに合わせてみんなバズりたいから、その地形、つまり視聴環境もありますけど、どういうのを最初の3分に持ってきたら100万再生いくのかっていうノウハウをめちゃくちゃ考えるわけじゃないですか、良くも悪くも。なのでそういう地形に合わせて今作品が作られているし、ヒット曲の最初の何秒が大事だとかね、それもやっぱ地形だと思うんですよね。地形について考えた1年でした。

箕口・長島:(笑)

長島:それで今回もね、あの本番、実際あの2カ所で、違う週末で2カ所でやって芸劇のアトリウムと、その前の週に池袋の駅の直結したところ、メトロポリタンプラザという、そこの自由通路ですか。そこで、かなり両方ね、この前テストしましたけどかなり違いそう。

とくさし:かなり違いますね。

長島:同じ編成、同じ曲で。

とくさし:同じ楽譜でも(奏者にとっての)聞こえが違うと全く間合いとか全部変わってきちゃうので。奏者が聞こえたり音がなくなったのを確認して次に行くっていうプロセスなので、空間の、あるいは人の量によって、残響が変化すればまたそれは変わったことになっちゃうと思うので、あの、ぜひ複数回聞いていただきたいな、と。聴き比べをしていただきたいなと。

箕口:どっちも来てほしいですよね。

とくさし:はい、どちらも来てほしいです。

長島:はい、なんか1時間以上喋ってるかな、ちょっとなんか、途中何曲か、みたいに思ってたけど、謎のタイミング1回挟んだだけで、結構いい時間になってしまいました。なんかありますか、もうちょっとこれは言っとかねば、みたいな。

とくさし:もっと喋りたいですけどね。

長島:もっと話しますか?

とくさし:このあたりにしときます(笑)

長島:キリないですね。

とくさし:キリないです。

長島:いろいろ変えてシリーズにした方がね、もしかしたらね 。

箕口:とくさしけんごが語る、音楽の地形みたいな。

とくさし:音楽のね、それはもう私には荷が重いですよ

箕口:for サウナのように、for 吹き抜けができたりね。

長島:そういうね、地形、確かにね。それはぜひ箕さんにプロデューサーを・・・

箕口:for 温泉っていうバリエーションほしいな、とかね。

とくさし:温泉、音、逃げちゃうんですよね、野外なので。

箕口:いくつかの温泉場には、すごく大きな大浴場なんか広い空間を持ってるところがね、いくつかあるんです。

とくさし:今ちょうど仕事で大浴場の音楽やらせてもらってます。もうやってました。あとそれこそ道後温泉とかの、アートプロジェクトの音楽を今作らせていただいていて、ちょうど今温泉・・・

箕口:できてるじゃないですか。

とくさし:(笑)

長島:地形がどんどん増えていく。はい、じゃあちょっとそろそろこのぐらいで。だいぶなんか、取り止めもないような、すごく濃いような、あちこちいろいろなお話ができたと思いますけれども、最後にちょっと告知と言いますか、このイベントの情報を改めてお伝えさせていただいて終わりにしたいと思います。「とおくのアンサンブル」劇場のアトリウムや駅ビルの吹き抜け空間で実施する、トロンボーン奏者16名によるアンビエントと言っていいんですかね。

とくさし:そうですね。はい、わかりやすく言うと。

長島:コンサートです。1曲がね、1回が短くて15分程度ですけども、10月7日土曜日、この日がJR池袋駅のメトロポリタンプラザビル自由通路で3回、13時、16時、20時の3回、あと翌週10月14日土曜日、この日が東京芸術劇場のアトリウム吹き抜け空間で、この日も3回あります。時間がちょっと違いまして、14時半、17時、19時半の3回いずれも15分程度で。同じ曲ですけど、多分ね、時間帯も違うと通る人たちとか音環境自体も違うと思うので。

とくさし:あとはあの、お聞きになる方の位置によって本当に変わりますから。 歩きながらでもいいですし危険がなければ、はい。

箕口:エスカレーター上りながらでも。

とくさし:降りながらでも。

長島:そうですね、あとねこの間テストでわかりましたけど。ちょっとあのトロンボーン奏者が1か所に4名とか揃ってると、見上げてみてほしくて。奏者の人たちがかっこいいんですよね。

とくさし:奏者の皆さんがね、やっぱり凛とされていて、かっこいいですね。

長島:とっても見応え、聞き応えある、すごく不思議なちょっと説明しがたいあれですけど、 そういうコンサートが東京芸術祭の演目としてあります。予約不要入場無料ですので、ぜひお越しください。ではこれでこのトークセッション終わりにいたします。とくさしさん、箕さん、ありがとうございました。

とくさし:本当にありがとうございました。

箕口:ありがとうございました。

とくさし:楽しい時間でした。

長島:最後までお聞きいただきありがとうございました。

©橋本美花

プロフィール

とくさしけんご
作曲家。1980年青森生まれ。
『MUSIC FOR SAUNA』シリーズ、ドラマ『サ道』劇伴、その他、TV、CM、ゲーム、映像、展示などのための音楽多数。『ととのうクラシック』など、クラシック音楽のコンピレーションシリーズ「新・クラシック セレクション」の監修もつとめる。第20回日本現代音楽協会作曲新人賞、第10回東京国際室内楽作曲コンクール第一位受賞。F/T19『移動祝祭商店街』、F/T20 移動祝祭商店街『その旅の旅の旅』では、その場所に元々ある音と共存し、まちの環境、聴覚に補助線を入れるような音楽プロジェクトを展開した。

箕口一美
東京藝術大学大学院国際藝術創造研究科教授
1960年生まれ。87年6月よりカザルスホール企画室・アウフタクトで企画制作にたずさわり、2000年3月まで同ホールプロデューサー。98年より財団法人地域創造『公共ホール音楽活性化事業』にコーディネーターとして参画、地域での芸術普及のさまざまな可能性を、各地のホール担当者、若手演奏家とともに考えて来た。
2001~08年NPOトリトン・アーツ・ネットワークディレクター。08~16年サントリーホール・プログラミングディレクターおよびグローバルプロジェクト・コーディネーター。現在、東京芸術大学大学院国際芸術創造研究科教授。学生や若い研究者たちと、音楽ワークショップ・ファシリテーション開発に取り組んでいる。
訳書:アンジェラ・M・ビーチング著「Beyond Talent 音楽家を成功に導く12章」(2008年・水曜社刊)

長島確
東京芸術祭 FTレーベルプログラム・ディレクター
ドラマトゥルク。立教大学文学部フランス文学科卒。大学院在学中、ベケットの後期散文作品を研究・翻訳するかたわら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇に関わる。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、さまざまな演出家や振付家の作品に参加。近年はアートプロジェクトにも積極的に関わる。参加した主な劇場作品に『アトミック・サバイバー』(阿部初美演出)、『4.48 サイコシス』(飴屋法水演出)、『フィガロの結婚』(菅尾友演出)、『効率学のススメ』(ジョン・マグラー演出)、『DOUBLE TOMORROW』(ファビアン・プリオヴィル演出)ほか。主な劇場外での作品・プロジェクトに「アトレウス家」シリーズ、『長島確のつくりかた研究所』(ともに東京アートポイント計画)、「ザ・ワールド」(大橋可也&ダンサーズ)、『←(やじるし)』(さいたまトリエンナーレ 2016、さいたま国際芸術祭2020)、『半七半八』(中野成樹+フランケンズ)、『まちと劇場の技技(わざわざ)交換所』(穂の国とよはし芸術劇場PLAT)など。訳書に『新訳ベケット戯曲全集』(監修・共訳)ほか。フェスティバル/トーキョー18〜20ディレクター。東京藝術大学大学院国際藝術創造研究科准教授


INFO.

東京芸術祭2023直轄プログラム FTレーベル
『とおくのアンサンブル』
○10/7(土)メトロポリタンプラザビル自由通路(JR池袋駅)
○10/14(土)東京芸術劇場アトリウム 
料金:無料・予約不要
上演時間:15分(予定)

10月7日(土)
メトロポリタンプラザビル自由通路(JR池袋駅)
13:00/16:00/20:00

10月14日(土)
東京芸術劇場 アトリウム
14:30/17:00/19:30

https://tokyo-festival.jp/2023/program/the-far-from-ensemble/

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