【エッセイ】「マイナス」が紡ぐもの。
【エッセイ】、もう10本くらい上げたかな。
いつも私のことをあーだこーだ書いてる。
それをいろんな人が見に来てくれる。
先日、『今、このnoterが面白い!』に「無評価の恐怖」を推薦したら、紹介していただけた。
たくさんの方が読みにきてくれた。
ありがとうございます。
あれを出そうか本当に迷った。
あの文章はマイナスを帯びている。
はじめからおわりまで、ずっと。
「私は怖い、怖いんだ。」
その気持ちを1000字に言語化しただけ。
クスッと笑えるユーモアも、思いもよらないオチも、なにもない。
私にそれを散りばめる能力はない。
そんな「おもしろくない」ものを、「面白い」を集める人に
「たくさんの人に見られたいんです!お願いします!」
と投げるのはどうなんだろうなって悩んだ。
ただ、文章は時間の流れに押しつぶされる。
1noterの記事など、すぐに色あせていく。
だからこそ、これが「無評価の恐怖」を新鮮な状態で伝えられる最後のチャンスだと思った。
結果、あの恐怖心を感じる人がちゃんといるんだってわかった。
とはいえ、あの文章は「恐怖心の言語化」でしかない。
恐怖心が消えたわけじゃない。
たぶん、noteをやっている間、ずっと隣にいるんだろうね。
だからこそ、私はその恐怖心を和らげるような文章を書きたい。
・・・
私のエッセイは、だいだい「マイナス」な話。
もちろんプラスは話の方が好印象なのかもしれない。
ただ、「プラス」の文章を書こうとすると、手が止まる。
春の訪れは~みたいなものを書いてみたことがある。
春を讃えて、「すばらしい」「心地よい」って言葉を並べてみた。
とりあえず500字。
でも、何かが足りない。
書き方で取り繕ってみる。なんか違う。
絵文字やマークをつけてみる。やっぱり違う。
AIの方がちゃんと書けそう。
それくらいひどい、芯のない文章の出来上がり。
この文章には、感情がなかった。
これをお客様に出すには、あまりにも薄味だった。
そんな記事を書き直す気にもなれないので、削除。
・・・
文章の中の「私」を引き立たせるスパイスは、「マイナス」なんだろう。
この感情がなかったら、文章を書く気にもなれない。
きっと、こうして1noterになろうとは思わなかった。
ただ、マイナスをマイナスのままにするのは、危ないこと。
いつか「私」が壊れてしまう。
だから、エッセイを書くことで、マイナスを「0」にする。
プラスじゃなくてもいい。
これからも、私のエッセイはそうやって紡がれていくんだろうね。
それを受け止めてくれる読者がいる。
その人の感情を動かせるnoterになる。
それが私にとっての「プラス」なのかな…?
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