【エッセイ】無評価の恐怖。
「無評価の恐怖」
noteを始めてから、頭をよぎる。
私が勝手に作った言葉。
自分の記事がいいのか、良くないのか、それが何もわからない。
ただ、「スキ」も「コメント」もつかないまま、アクセス数だけが増えていく。
それを見て、私の文章が「面白くなかった」のかもしれないと感じてしまう。
むしろ「キライ」をもらった方が自分のためになる。
それもないから、なにもわからない。
ただ、私の文章がネットの海をさまよっているような感覚が、不安で仕方ない。
そして、その恐怖は最近よく襲ってくる。
1つは、サイトマップを作ったこと。
「固定記事はサイトマップにするべき。」
「サイトマップがあると便利。」
と作成を促す方も多い。
実際そう。
何を書いているのかがよくわかる。
読み手としてはありがたい。
ただ、サイトマップはあくまで索引としての役割しか持たない。
私の「外側」でしかない。
(投稿当初は少し文章も入れていましたが、自己紹介に移しました。)
そこに私の感情とか・思いとか、なんにもない。
もちろん、フォロー外の方からもサイトマップに「スキ」してくれた皆さんには感謝しています。
ただ、それが「サイトマップの評価」なら、それだけ「スキ」されても、あまり嬉しくない。
実際のところ、他の記事にも「スキ」してくれた方は少ない。
そもそも記事を読んでくれなかったのか、
読んだ上で「面白くなかった」のか、
と考えてしまう。
怖くなる。
そして、フォロワーの方。
フォローをしてくれた方には感謝しています。
ただ、全ての人に対して同じ気持ちで感謝はできない。
もちろん、
フォローさせていただいた方からフォローを返して貰えることは嬉しい。
「スキ」をしてくださった方がフォローしてくださるのも嬉しい。
ただ、音沙汰もなしに「フォローだけ」されると、私は少し警戒してしまう。
中にはすぐ解除する人もいるため、信頼しきれないからだ。
「これからもnote頑張ろうね」という意味合いでフォローしてくれる方と、その人の線引きはできない。
情報が1つもないから。
文章を見てフォローしてくれたのかなど、フォローの理由がわからないと、書く側としては怖い。
noteでは私の考えをを噓偽りなくつづっている。
だから怖いんだと思う。
私にとっての「意味」が、読み手にとっては「無意味」「無関心」だと思われてしまうのに怯えている。
「スキ」や「コメント」という、目に見える評価は、読み手が書き手への気持ちを送る大切なものなのは確か。
だからこそ、
私は「スキ」を「記事が面白かった・参考になる」方にしたい。
今までも、これからも。
そして、
私が本当に書きたいことを見失うのが一番嫌だ。
評価をもらえずとも、「自分軸」しっかりと保つことも大事。
それに怖気づいている私は、まだ幼い。
と改めて感じた。
私のnoteへの気持ちは変わらない。
だからこそ、自分を見失うことのないように、この恐怖をアウトプットして、消化してみる。
自分は臆病者すぎる。
⇩サイトマップ
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