鬱の始まった頃②

その後の話である。
しばらく書くのは控えようかとも考えたけれど、そうするとずっと続きを書かないでいてしまう様な気がしたので書く気力のある今の内に書きたいと思う。
前回3ヶ月ほど気持ちがコントロールできない日々が続いたことを書いたが、それから少しづつ人と話したり、出かけることもできる様になった。
次女の通っていた保育園に自転車で走る所を見せて欲しいと依頼を受けて行ったり、愛知で開催されたレースを見学に行ったりもした。
人に会うことができる様になったことは以前に比べたら大進歩であったと思う。
一時期は人の目を見れなかったし、もし外に出ても頼むから自分のことを見ないでもらいたいと思っていたし、自分の存在を消したいと持っていた。
こうして、人前に出る気力は出てきていたが、いざ会ってみるとどうしていいのかわからないし、生き生きとしている人を見ると余計に自分が情けなく感じ、こんな自分はやっぱり生きている価値がないのではないかなと思う時もあった。
しかし、全体的に考えたら家族とも話せる様になったし、良い方向に向かって行っていたと思う。
自転車選手としての生活から離れ、好きなことだけをする生活をしていたのだが、ある日とあるチームの人からチームに入らないかとの連絡があった。
僕はやっていける自信があったわけでもなかったが、お願いしますと言った。
今考えたら安易な答えであったが、ある意味素直な答えだった。
まだ走りたいという気持ちはどこかにあったのだろう。
まだ必要とされている気がしたのもイエスと言った理由かも知れない。
少し嬉しかった。
が、その数日後再び連絡がかかってきてやっぱり他の選手が入るからごめんと言われた。
僕はすんなり分かりましたと答えたが、電話を切ったとから段々と再び良くない感情が湧き上がってきて、もうどうでもいい様な気になった。
誰かと天秤にかけられ、落とされた自分を感じ、再び無力感というか、自分の存在感のなさを感じた。
こうしてまた何もしない日々が続いたけれど、それも家族とは会話できていたのは良かったかも知れない。
以前はうまくいかないことがあると家の中でも無言で、突如叫ぶとか普通でないような行動が多かったので、少しは以前の自分らしさも戻っていたと思う。
それから1ヶ月ほどして、再び今度は別のチームの監督から電話が来た。
彼は元チームメイトで久しぶりに会って飲もうという電話だった。
彼と会って話をしているうちに、チームに入らないかという話しがああったのだが、そこで僕は今までいたチームとはコンセプトの違うチーム入ることになぜが興味が湧いてきて、僕は彼の誘いに乗った。
自分にちょうど良い場所の様な気がしたし、好きな自転車に選手を違う視点から始められる様な気がした。
今思えばこれが自分が再び動き始める大きな転機だったと思う。
家族ではなく、社会の中に自分を必要としてくれていることを自分の中で感じ取った出来事だと思う。
これ以上あった出来事を書いていくと題名とどんどんかけ離れていくのでここでやめておくが、僕が失ったものはこれだったのかも知れない。
それは自分の責任もあると思うけれど、何かをきっかけ挫折を感じ、この世界にはもう自分がいるべき場所はない、存在する価値も意義もないと感じ孤独感だけが大きくなっていく。
社会で必要とされないのに、存在して、息を吸う、食事はする、トイレにも行く、寝もするなんて生きている価値がないのではないと思ってしまう。
これが繰り返されるうちに僕は少しづつ鬱に向かっていったのではないかと思う。
僕が明日この世からいなくなっても、この世に及ぼす影響はそこまでないと思う。
でも、僕の周りでは、親、友人、僕のことを知ってくれている人には影響がいくと思う。
それはきっとまだ僕は社会にも必要とされているし、僕は孤独でないという証拠だと思う。
僕は再び今、ここに書いたことに近い状態にある。
きっかけは自分の中では少しわかっている。
でも、少しづつまた動ける様になってきた。
もし僕と同じ様な人がいたら覚えておいていてほしい。
決して弱いから鬱になるわけじゃない、感受性が豊かで、繊細なだけだ。
鬱になると素晴らしいわけでもないけど、鬱になってもそれはこの世から必要にされてない証拠でもなんでもない。
動き出せない自分がいてもそれを否定しないで、そんな自分もいることを認めてあげてほしい。
その苦しさを、自分だけで受け止めないで誰かと共有してしてほしい。
きっと誰かが分かってくれる、僕もそうだったから。
そうすれば少しは楽になれると思う。
僕はこれを書いて同じ気持ちの人がいることを知って、僕自身も救われた。
間違いも多く、書き方もなってないし伝わりにくいと思うが、今の僕が今の思いを正直に書いた文章だから誰かにこの気持ちが伝わったらいいなと思う。






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