鬱の始まった頃①

これは読みたくない人は本当に読まない様がいいと思う、全然明るい話にならないから。
鬱になる方は思ったより多いと思うが、原因が複雑で難しい病気だと思う。
同じ鬱でも、人によっても様々であると思う。
最近は腸内環境が鬱に関係しているとも言われているが、そいうことも原因にありつつ、僕は生きている環境の影響、人間関係も大きく関係しているのだと思うし、はっきりしたことはまだわからないのだと思う。
私がはっきり言えることは、鬱になる人は弱い人間というわけでないということだ。
私は2013年に病院で診断が下されたが、今思うとその兆候はその前年にあった様な気がする。
2012年は特に特におかしいと思うことはなかったが、朝起きて意識がクリアでない事が多々あった。
表現が難しいのだが、視界に例えると擦りガラスを隔てて見ている感じであった。
話も普通にできるし行動も普通にできるが、何か違和感がある感じだった。
トレーニングにもレースにも支障はなかったが、今思えばこの時に対処しておくべきだったかもしれない。
2013年、私は海外籍のチームに移籍をしたが、ここでの日常が僕が鬱になる大きな原因だったのだろう。
当時の私は非常に未熟で、日本人一人で海外のチームでチームとコミュニケーションを取り生活をする能力があまりにも無さすぎた。
それも当時はなんとかなると思っていたし、初めの数週間はそこまできつく感じなかった。
が、今まで体験した事のない環境に対処する能力も無い私は次第におかしくなっていったのだと思う。
所属チームが用意してくれた合宿所(よく考えたら用意してもらえるだけありがたい)もあったのだが、そこには自分しか基本的に住んでおらず、毎夜誰と話すこともなく、練習をしたらシャワーを浴び、一人でご飯を作り、ただ日本の情報サイトを見て寝るという日々の繰り返しだった。
それに耐えられなくなった私は少し離れていた他チームで働く日本人に救いを求めその方のアパートに住まわせてもらった。
とにかく誰かといたかったのだと思う、話せる誰かと。
その方は非常に良くしてくれたのだが、優秀な方でアパートに居ない日も多かった。
そうすると僕は再び孤独を感じ、夜寝られなくなっていった。
誰かと話したくて、日本位いる家族に毎日通話を試みていた。
しかし、家族には日本での生活もあり、時差もあったので忙しい時は話は出来ずに終わることもあった。
どんどん自分の中で孤独が増幅していった。
そうすると、自分は誰にも必要とされていなく、存在する意味がないと思う様になり、外に出て誰かに見られるのも怖くなり、ある日突然ホームセンターにロープを買いに行こうと思うことが何度かあった。
それでもその時は鬱という状態とも思っていなかった。
完全に僕がその状態を認識したのは6月頃だったと思う。
全日本選手権に出場するために帰国したのだが、その帰国の際に飛行機内で頭の先から足の裏まで、本当の意味で全身に蕁麻疹が出た。
そしてその試合も走るどころか、全選手の中で一はじめリタイアし、明らかにおかしくなっていたのを認識した家族に病院に行くことを勧められた僕はそこで鬱状態と診断された。
その言葉を聞いてから僕の中で何か世界が完全に変わってしまったと思う。
それまで自分がやってきたことも全て無駄だった様に感じ、情熱を注いできたトレーニングも全く出来ない。
日中に起き上がることも出来ない日もあり、1日の大半を寝て過ごした。
ごく稀に本業であったトレーニング(サイクリング)を試みるが、体に力が入らず30分も漕げない。
病気になる前は50キロ離れた山に行って全力を出してきて、それも楽しく帰ってきていたのに、今はその山にも辿り着けず、自分も住んでる街の端まで行くのが精一杯なのだから。
自分は一体どうしてしまったのか、この先この状態で生きていけるのかと不安になり、それでまたネガティブな状態に拍車がかかったと思う。
この状態は鬱になった事がある人しかわからないと思う。
それまであった全てのやる気が全くなくなり、ただ目が覚め、ぼーっとして数時間がすぎ、少し何か食べ、それで1日が終わっていく。
周りの普通に生活できている人からしたら、理解はできないと思う。
そんな自分が生きていることがますます辛くなっていった。
感情のコントロールもできず、時折突然叫びたくなり、家の中で喚いたりした。
これは家族も本当に辛かったと思う。
当時、すでに娘が居たのだが、そんな姿を見せてしまったことにまた嫌気がさして全く話さなくなったり、僕の鬱の状態はそれが3ヶ月ほど続いた。
しかし、そんな中でも少しづつ、僕の中にかつてあった生きる力は少しづつ戻っていた。
この続きはまた書きたいと思う。
自分のために、そして今悩んでいる人のために。

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