偶然か必然か、はたまた運命か

これはただの偶然じゃない。

一瞬にして思考が停止し全身が鳥肌に包まれる。
この手の平に収まる程の長方形の物体は時に見たくないものまで見せてくれる。
脳なのか心なのか、自分でもどこが疼いているのか定かではないがどうにかして体内の錯乱している部分を鎮めようと物理的にその物体と距離をとった。
嫌だとかつらいとか悲しいとか、一言で表せるようなそんな単純なものではない感情が私を襲う。
襲われたところでどうにかできるものではないこの見えない粘着質な塊を受け入れる他はないことを瞬時に悟った。
しよう思えば出来る余計な詮索はしないよう自分に言い聞かせる。



あゝ無情



時が経てば忘れるというけれど、時が経つほどに込み上げてくる思いもあるとは大誤算である。
誰かが手を差し伸べてくれる可能性を信じていないわけではないが、果たして自分がその手を取るに値する価値のある人間であるのかと問われると自信がない。過去に未練はない。けれど、気持ちが良かったあの時間を欲している自分がいることもまた事実だ。そんな自分が気持ち悪くて仕方がない。

知らぬ間に型が出来上がり、その型通りにいかない人生を人は不幸と呼ぶ。曖昧で繊細で複雑で不明瞭なはずのものにどうにかして名前をつけ固定概念や偏見でものを言う。それらに基づいた助言はもはや忠告である。追われているから逃げるのか、逃げているから追われるのか。脇目も振らずに必死に走っているのは自分の為か、それとも他人の為か。
差し伸べられた手を疑うことなく握ったが最後、引き摺り込まれて地獄の底まで真っしぐら。私には選ぶ余地さえ残っていないのか。それでも這い上がって今ここにいるということはまだこの世に生きたいという意志の表れか。
比較対象がごまんといる中で、それでも1分の1としてカウントし今にも浮き足立ちそうな私を地上に繋ぎ止めてくれているものは手の平なんかに収まるはずのないもっと大きくて柔らかくて温かいもの。

型が何だ。冷たくて平坦な小さな世界に囚われることなく、山だろうが谷だろうがどんな険路でも自分の足を信じて走り続ける情熱と奥行きのある人間でありたい。

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