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仲間を集める

物件はみつけた!
でも想像していたよりけっこう広い!笑
だから心のひっかかりどうこう抜きにしても、人を集める必要があった。
どう考えても一人じゃできない笑


まず必要なのはコックだった。
でも僕はその前に一人先にあった人がいる。
それがなおくん。


太陽酒場を作る前の流れで書いた、横浜の居酒屋に出稼ぎに行った時に出会った友。
遡ること3年ほど前、僕は会社を作った。
そしてその時一番最初に誘ったのはなおくんだった。
シンプルに一緒にお店やるなら誰だと自問自答して一番最初に出た人。(当時なおきとはたぶんまだ出逢っていない)
誘ったんだけど、その後のごうさんから頂いたアドバイスなどを考えて、今はまだ新店舗を作るというのは早いということで、こちらから告ったのにこちらから振るみたいなことをしてしまった。
でもいつかお店をやるなら一緒にやろうと。


今回探すのはコック。
なおくんはコックではない。でもここでなんの言葉もなしに他の人を誘うというのは義理人情に反する。
だから誘うでなく、お店をやるんだと、そしてどこかのタイミングでやれたら一緒にやりたいということを伝えるべく新宿で逢った。


そして今回の本命。
それがとしさん。
コックを探す!そう決めた時に一番最初に顔が浮かんできたのはとしさんだった。
としさんとは世界一周中に逢った。

最初にあったのは(顔だけ合わせたという意味では)アルゼンチンのフィッツロイという山の近く。
地域でいうとパタゴニアという地域です。
パタゴニアというと服のメーカーで有名ですがそのパタゴニアの元になっているパタゴニア地方。
そしてちゃんと出逢ったのはそこのウシュアイアという世界最南端の街にある日本人宿「上野山荘」というところでの出会いが始まり。今から12年前になりますね。
1週間くらい同じ宿にいました。
僕は世界一周の旅をしている時、あまり日本人のコミュニティーには入りませんでした。(こういうの多いな笑)
せっかく外の世界に出てきているのに、結局日本人としかつるまないというのはちょっと違うかなと。
現地の人がなにを考え、どう生きているかを感じたかったのであまり日本人とつるまなかった。
ただただシャイということもあるかもしれないけど、この時は意図してそうしていた。
だから僕の旅人の繋がりで日本人はそんなに多くないと思う。

そういえば居酒屋学校に出発する直前に、僕が南アフリカの真ん中にあるレソトという国で出逢ったアンシというフィンランドの友達がはじめて日本に来てくれた時、きた最初と、帰る直前まで僕のお店にきてくれた。嬉しかったなあ笑


話が脱線しました。
だからそんなに旅人の繋がりがいない。
少なくとも他の日本人の旅人と比べたら少ないと思う。僕の旅の理由はそこじゃなかったから。
でもその中で知り合った繋がりのある旅人は今でもずっと繋がっている。
このブログでも出てきたりゅうたろうさん(メキシコで出逢った)や、太陽酒場やたいようのデザイン関係すべてやってくれているまおさん(エジプトで出逢った)、あ、このHPやブログもすべてまおさんが作ってくれたものです!
まおさんには感謝してもしきれません!
そしてとしさん。
共通の旅人仲間がいたということもあるし、なんだか気が合った。
ウシュアイアで1週間あった後、その後1000km以上北にあるアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでも再会。
そしてその5ヶ月後くらいにアフリカのザンビアという国でも再会。
この時は、その前の国のマラウイで僕がマラリアにかかってしまい(実際かかったのはたぶんウガンダ)、治療をしていてだいぶ長いこと待たせてしまった。その時も優しく受け入れてくれた。めっちゃ優しい。


日本に帰国後も、すぐに再会。(したらしい。この間そんな話になった。そういえばそんなこともあった気がする笑)
その後もとしさんは富山出身で共通の旅仲間もいるしで家まで行かせてもらったり、太陽酒場にも年に1,2回くらいきてくれていたのでちょこちょこ会う機会があった。
としさんの最初に出会った時の印象は、三国志の張飛みたいなヒゲをしているなあということ。
そしてコーラで煮物を作っていたんだけど、それが美味しいということ。
(海外では醤油が手に入らないので、どこでも手に入るコーラを使って煮物を作っていると当時言っていた)


そのとしさんを誘おうと思った理由は、としさんのお店に行った時の強烈な記憶。
としさんは旅を終え、日本に戻ってきてから日本らしい仕事をしようと日本食の道に進んだ。
僕がとしさんのお店に行ったのは4,5年前くらいだと思う。
当時としさんは東京、浜松町駅すぐのジャズの流れる素敵な和食屋さんで働いていた。
東京タワーがすぐの素敵な立地。
僕は奥さんと、結婚パーティにきてくれたお礼をするべくお店に行ったんだけれど、その時に受けた衝撃がすごく強かった。


「う、うまい…」


もうほんと、なに食べても美味しい笑
家族の料理以外で、死ぬ前の最後の晩餐で食べる料理は間違いなくとしさんの料理だ!
僕は本当にそう思った。


それが強烈に頭の中に残っていた。
だからコックを誘うなら間違いなくとしさんだった。


思い立ったらすぐに行動。
本当は、年末12月かな?に一度誘ってみたものの年末でかなり忙しいということでまた会いましょうということで流れていた。


気づけば2月。
僕もお店に立つ&横浜卸売市場の仲卸であるムラマツさんで魚修行スタートと少しバタバタし始めていたものの時間がない。

なぜなら物件はいつ手を挙げる人がいるかわからない。
そんなに答えを長引かせるわけにはいかない。
だからその中で飲みにいきませんか?と誘った。


逢ったのは横浜、最初は何気ない「最近どうですか?」的な話からはじめて
「実は…」
と本当はお店を一緒にやらないかと誘いにきたという話をした。


としさんはそんな気がしたといっていた笑
僕もここまで書いたような一連の流れを話した。
居酒屋を作ることで日本を元気にしたいんだと。
一緒にやりませんかと。


さすがに話を聞いてすぐにYESは無理だとわかっている。
だから物件をみてみませんかと大和にきて実際にみてもらうことになった。


即決は無理だと思う。
でも今あまり考えていられる時間がない。
だからこれくらいに答えをくださいと期間を伝え一度別れた。


それからしばらく、お店のリアルなオープンに向けた準備と、修行と店に立つ毎日。
答えはどうなるかと、ドキドキしながら待っていた。


としさんの答えはOKだった。
お互いのタイミングがぴたっと合っていたんだと思う。
有り難いことだ。その決断に感謝しかない。


OKの答えをもらったのは2月中だったと思う。
そこからはもう、止まることはできなかった。
色々と、急がないといけない。


当初もっと長くやらせて頂く予定だった魚の修行は3月いっぱいまでとさせて頂いた。
市場での修行は始発から行ってお昼頃まで。
みんな優しく、時に厳しく教えてくれました。
魚のことも、たぶん人生で一番調べて研究したと思う。
僕の腕がいいかどうかは別として、すごく身になりました。今も感謝しています。
朝方の市場に向かう時にみえる朝日が好きだった。

朝市場に行って、少しだけ休んで次の日の朝までお店で立っていることもよくありました笑


物件の本格的な契約。
としさんの引越し。
これからの準備と手続き。
魚修行と実際にお店に立つ日々。
そして3月終わり、太陽酒場卒業。


バタバタと2月3月を過ごし、4月を迎える。
物件の本格的な準備はじめは4月から。


涙の卒業を越えていよいよ、本格的に「いざか家 たいよう」の準備が始まる。


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