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「言わないと変わらないー事業とモデル、始めました」公募インタビュー#23

〈南さん(仮名) 2020年9月初旬〉

様々なビジネスシーンを経験し、現在起業準備中の南さん。たくさんの気づきを得ながら、今、スタートラインに立っています。

南さん
高校まで九州で過ごす。関西で大学卒業・就職。販売職や営業職を経て、地元に帰り臨時雇用の教職に短期間就く。

ビジネスの場を求め再度関西へ。専門商社に入社。急成長期のベンチャー企業であったその商社で営業や総務、人事、秘書などあらゆる業務を経験する。新規事業の立ち上げにも関わり、国内外の出張は頻回。社長からの信頼を得、社長に次ぐ二番手のポジションまで昇任した。
徐々に自分でも何かやってみたいと思い始める。

商社を退職し起業塾へ行くなど勉強期間を設けた後、東京のコンサルタント会社に就職。

今年5月に独立し、現在、起業準備中。ビジネスパーソンのためのサイト、コミュニティ等を構想し、第一歩としてビジネスバッグづくりに取り組んでいる。並行して中小企業のコンサルティングも業務委託で請けており、また、モデルとしての活動も開始した。

商社での経験

──ターニングポイントとなったという商社でのことをお聞かせください。

南さん 商社の社長は先見の明があるやり手で、視座が高く、考えが追いつかないこともしばしばあるような方でした。中小企業のトップダウンあるあるで、朝令暮改も当たり前だったり。
 一方、縁や誠実性を大事にしていて、社員の入社時には社員の家族に挨拶に行くくらい。この社長との出会いは私にとって大きいものでした。

 その会社では、経理以外の仕事はほとんど全部経験しました。管理部門、国内外の営業、物流、商標登録など。すべて未経験の状態から、一から調べて、本当にいろんなことをやりました。工場の作業改善のために現場に通い続けたこともありましたし、新規事業の立ち上げで責任者として上海赴任もしました。国内外の出張もしょっちゅう。私は英語も中国語もできないんですけど、助けを借りながら、なんとか(笑)。

 私はスポーツをやっていたから、根性があるというか耐性のようなものがたぶん高くて、過酷でも耐えてガツガツやっていたら社内では評価をしてもらえました。同世代から比べたら経験値は積めたと思うし、待遇も良かったしやりがいもありましたけど、世間的に見てスキルが高いかと言われたら決してそうじゃなかったと思う。ただ社長に対してすごくコミットしていたから、会社の幹部として二番手の立場を与えてもらっていました。

 そんな中、ある年のゴールデンウィークの最終日、社長から電話がかかってきて、「来月から中国行って」って言われたんです。ベンチャーだから、来週からヨーロッパやアメリカに行ってみたいな急な出張はざらにあって、いつもならすぐ「YES」なんですけど、その時は、“あ、これ、たぶん2〜3年は帰ってこれないやつや”って思って、すぐに社長にYESって言えなかったんですよ。それまで意味わからんこと指示されても「わかりました」だったんですけど、自分の年齢とか考えて、いろんなこと思い始めてる時期だったから、あ、これ、言えない、と思って。
 実は辞めたいと思ってるっていう気持ちをやっと打ち明け、話が収まらない中、結局、上海に4ヶ月赴任して。社長には感謝しかないし、私が辞めると社長が困るのもわかってたけど、その選択をしました。
 
 辞めた後も戻ってきてほしいという話があり、私も高いお金を払って起業塾に行ってみたけどまったく意味がなくて、社長と仕事してる方がよっぽど勉強になるわとも思っていたので、戻りたい話も少ししたんですが、社員の反応は芳しくなかったようです。社長の信頼を裏切ったのに戻ってくるなんて……と。

 在職中は、学校で言う風紀委員みたいに(笑)厳しくしていて、私もやりたくてやっていたわけじゃなく全体最適のためだったんですけど、でも他の幹部のことを正直頼りないなとは思っていたんです。直接そう文句を言っていたわけじゃないけど、言わなくてもそういうふうに返ってくるんだなと思って、初めて「誠実さ」の意味みたいなのを体感したっていうか。本当に誠実になるっていうのは超ハードル高いなっていうか、スキルの要ることだなって(笑)学びました。

 私は毎日州と州とを移動するようなハードなアメリカ出張でも体調を崩さなかったんですが、会社を辞めた後に帯状疱疹が出ました(笑)。仕事してた時とギャップが激しすぎたからだと思います。それまで積み上げてためすぎていたから、急になくなったらこういう反応が体に出るんだなと思いました。
 心と体を大切にしないと、と気付きましたね。

コンサルタント会社へ/自分の強みとは

──その後、コンサル会社に入社されたんですね。

南さん 起業に向けてどうしようかと考えた時に、その時点ではやってみたいことがふわっとしていたし、私はそれまでガッツだけで評価してもらっていて、自分のスキルが足りないなと。
 起業するなら、自分の弱いところであるロジカルシンキングを鍛えないとと考え、そのためにはコンサル業界だと思いました。探したら東京に新規事業に特化したコンサル会社の求人があったので、その会社に入社しました。

 コンサル会社では2社ほど担当して、ありがたいことにクライアントさんからの信頼も得て継続させてもらったりして、実績は残せたなと思います。
 でも、コンサル会社に転職してわかったのは、この分野ではロジカルシンキングが強い人たちには私は勝てない、ということです。そこをいかに鍛えても、そっちでは勝てないとわかったから、だったら自分の強みを生かしてやっていくしかない。それが最大の学びでした。

 私の強みは、推進力、コミュニケーション、現場力、この辺かなと思っています。
 コミュニケーションを通して困ってることの洗い出しなどをして、課題解決に向けて発進させる。どういう状況であっても今すべきことを瞬時に判断してやっていくことが得意というか、割とできると思います。

 だから、段階を踏んだ稟議を通していくような大手企業を相手にする仕事よりも、もっとのびのび力を発揮できる環境がいいなと思いました。

 その後、転職活動もしましたが、もうどの会社に入りたいというより、誰とやるかの方が私は大事で。だからなかなか企業選びもできず、しかもコロナの状況で時間がかかるし、これちがうな、と思いました。辞めたんだったら辞めたんだって振り切れよ私、みたいな。動いてみないとわからない、動くしかない、と起業に向けて行動し始めました。
 これまでやりたかったこと、できなかったことをやろう、と今動いてます。大きくは起業とモデル活動の2つですね。

起業準備中

──起業についてお聞かせください。

南さん 今までの経験を生かしたものじゃなくてゼロスタート、すべてやったことのない分野で、ものづくりをしようとしてるんです。
 まずやろうとしているのはECサイトでビジネスバッグを販売すること。九州の工場でビジネスバッグを試作したり、準備をしています。それでいきなりごはんは食べられないので、業務委託で中小起業の営業コンサルみたいなこともやりながら。

 働く人のためになるようなサイトを運営したい、それが起点なんですよ。バッグだけにこだわってるわけじゃなくて、ニーズがあるところに対して中小企業の培ってきた技術とかをかけあわせて展開していったらいいよねっていうのがあって。やっていく中でこういうものがほしいという声があったら応えていきたいと思っています。

 バッグについては、私も出張が多い中で、女性用の使いやすいビジネスバッグが本当にないなと思ってて、だったら作ればいいと思ったのがきっかけ。私はかわいい感じのものは好みではなくて、かと言ってハイブランドのものは現場にも行くのに汚したくないし、海外に持って行くのは危ない。自分が女性だから女性に寄りがちの発想にはなるとは思うんですけど、男性も使えるような、ジェンダーレスなものになるといいなと思います。

──その工場に決めた理由は?

南さん 私がやりたいことの前提は2つあって、まず1つが働く人ためになること、応援するようなこと、役に立つようなことがしたいっていうのがあります。2つ目に、地元に恩返ししたいなっていう思いがあったんですね。
 この2つは当初まったく別で考えていたんですけど、バッグの素材をウェットスーツの素材で作ろうとしていて、取り扱っている工場を調べていた時、ふと「ウェットスーツ 〇〇(地名)」で検索したらなんとヒットして、工場が地元にあることがわかって。
 問い合わせたら会ってくれることになり、その工場は通常OEMは請けていないんですが、私の熱意に応じて特別に対応してくださっています。
 (※OEM 製造メーカーが他社ブランドの製品を製造すること。)

 去年の7月に初めてお会いして、今年の6月にサンプル品ができて、そして今月中(9月)に修正版が出来上がる予定です。本来の業務の中で私の仕事をお願いしている状況なので、スローであっても催促はできない。工場との関係が切れたら何もできないので、大事にしたいと思っています。
 特別に対応していただいているので、私は受注数を増やして売り上げを上げて、工場の雇用を増やすっていうとこまでやろう、と。せめて私のバッグ専用のライン二人ぐらいは採用につなげるようにしたいっていう欲は持ってます(笑)。そこまでは向こうに話してないですけど。

ニッチな層に向けて/No.2の気持ちを分かち合うコミュニティ

南さん バッグはマス向けにではなく、ニッチな層に刺さればいいかなって思ってるんです。そもそも今からバッグ業界でマスに受けるなんてハードルが高いし、薄利多売になる可能性がある。私は1個1個をちゃんと利益を取って販売していきたいし、在庫を持たずにいきたいと思っているので、小規模の受注販売になると思います。
 値段も安くはないです。国産だし、一つ一つ職人さんの手作業で作っているバッグなので。でも、それをわかってくださるお客様に刺さってほしい。そしていつか、私に賛同してくださるお客様同士のコミュニティも作れたらいいなと思っているんです。

 あと、作りたいと思っているのは「ナンバー2」のコミュニティです。
 自分が二番手を経験してきて思うのは、二番手の気持ちって二番手同士じゃないと本当にわからないんですよ。日が当たらないポジションなんで、まあ出会いが少ないですし。私はありがたいことに外部の研修があったので、研修先で似たような立場の人たちに会えたんですが。
 言いたいことがあってもわかってもらえない立場なので、気持ちをシェアできるようなナンバー2のコミュニティを作って、長(おさ)をしたいなと思って。それはマネタイズをするというよりかは仲間がいるとがんばれるよね、という思いで、作りたいと考えています。

SNSは苦手、でも/こんな人、いると思う

南さん そうやってものを作って売ることやコミュニティづくりの前段階として、SNSでの発信に力を入れないといけないなと思っています。自分の認知を上げるためのツールとしてSNSを使って、私のファンづくりをしてECサイトにつなげて、商品の紹介をして行くという方向にしようと。
 本当はSNS好きじゃないんですけど、たくさん発信しなきゃなーと。顔出しも本当はしたくないんですが、するしかないですね。自分のビジュアルは資産だと思って、使い倒そうと思っています。
 
 仕事系の内容で発信したいのは、私もどちらかというとそうだったのですが「特にやりたいことはないけど、働いていたら卒なく仕事がこなせるがゆえにだんだん頼まれごとは多くなるし、評価もだんだん上がってきちゃったけれど、なんかちがうんだよなと思いつつ周りからの評価や期待に葛藤してる。でも責任感はあるから仕事はちゃんとやりたいし与えられたことはきちんとやり遂げたい、と思ってるような人」に向けてTwitterやnoteで発信したい。そういう人、いると思うんですよ。

 あとは、私は美容とか健康にすごく気をつけていて、モデルもやっていきたいと考えているので、そういった活動についても、こちらはインスタにあげようかなと思っています。

言うって大事/恥ずかしかったけど

南さん 私自身も誰かのnoteとかブログを見て、ああわかるそれ!って共感することがあって。私も発信側の人になって、私の発信したことを読んだ誰かの気持ちが楽になったり助かることがあったら、めちゃくちゃうれしいことだなと思うんです。
 発信した人と受けとった人が同じような気持ちになることって大事なことだなって、今改めて考えています。言わないとやっぱりわからないな、って。

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 正直、最初はバッグで起業するとかも恥ずかしくてよう言えなかったんですよ、私。やったこともないことを何言ってんの、って思われるだろうって。
 でも、ある起業研修で会った仲間に起業したいことを言った時、「やればいいじゃん」みたいな反応をもらえて、むしろ温かい世界に迎えられた感じで、「え、まじで!?こんな感じなん!?」と思って、ああ、“言うって大事だな”って思ったんですよ。自分自身が抵抗していただけなのかもしれない。

 もう、モデルに関しては、さらに恥ずかしくて、ほんっとに誰にも言えなくて。実績もないのに自分でなりたいと言うなんて恥ずかしいことだって思っていて。すごくきれいな世界がネット上にたくさん上がってる中で、30オーバーの自分がモデルをしたいなんて言うこと自体がだめだ!みたいな(笑)思いがあった。
 でも研修の最終日にやっと一人の人に打ち明けたら、周りにいた人たちが天使みたいに優しくて(笑)、「え、やればいいじゃん!」って言ってもらえて。私は「えっ、みんなまじで!?」みたいな。じゃあ、勇気出してやってみようかな、って思えました。 
 
 やっぱり、言わないと何も変わらない。私は、コンサルティングでは他人に対してばんばん言うくせに、自分に対しては臆病というか、関心が薄いっていうか。自分にフォーカスされるとなんか面白くなくなってくるというか、葛藤が生まれる。
 起業する会社名とかも正直どうでもよくって、真剣に考えられない(笑)。でもちゃんとストーリーを考えて名前をつけた方がいいよと言われました。他人のことの方が興味が湧いたり、一緒に何かやりたいっていう思いがあるけど、自分も大事にしてやっていかないといけないんだなーと、今感じています。

恩返しは次の世代へ

南さん ビジネスパーソンに対して何か応援したいとか返したいっていうのは、自分が受けて良かったと思う経験は誰かに伝えたいし、何かしらの形で恩返ししたいから。恩をくれた人に直接返すよりも、どんどん次の世代に受け継いでいきたい。 

 『7つの習慣』という、世界的にベストセラーになっているビジネス書があって。一度じゃ理解できなくて、あれは一生かけて読む本だと私は思ってるんですけど(笑)、その本の中に、自分が死んだ時を想定して、どんなお葬式がいいか、みたいな話があるんです。

 私は、自分が死ぬ時は、私と仕事できて良かったなって思ってくれる人がいてほしいなと思ってるんですよ。私と出会ったことで得たこと、発生したことを次世代に引き継いでくれたりしたらめちゃくちゃうれしいなと思って。最終的にはそういう人間になりたいなと(笑)思ってるんですよ。
 そのためには、自分ができることを愚直にやっていくしかないなって。やりたいことを、やれることを、ちょっとずつ、やる。感じですかね。

モデルへの道/少しずつ、着実に

──モデルは、いつからやりたい気持ちが?

南さん アートへの憧れは中高生くらいから持っていました。モデルもやってみたい、っていう思いをずっと持ちつつも、私はずっとバスケをやっていて下半身は筋肉質だしO脚だし、自分の体にコンプレックスを持っていました。ワーカホリックだったし、モデルになるための練習にも時間を割かずにいたから、自信がなかったです。

 でも、30歳を超えたくらいから、なんだか自信がついたんですよ。
 よく言われる、女性が30歳前に結婚をあせる問題、あるじゃないですか、あれまさに私もあったんですよ。やばい、結婚したい(笑)みたいな。
 その時期を経て、30超えて、年齢を意識するからかわからないんですけど、なんか「待って私めっちゃいい女になってきた!」みたいな(笑)。「私、女の魅力まじ上がってない?」って、ごめんなさいね、自分でこんなこと言ってアレなんですけど(笑)、そう思うようになってきて。「今来てる!いい!」と。で、だんだん自分の体も受け入れ始めつつある感じで。
 そうして徐々に、昔から興味のあったモデルをやってみてもいいのでは、と思えるようになってきたのかもしれません。

 いつか撮ってもらいたいカメラマンさんがいるんです。壮大な物語みたいな写真を撮る方で、私もそんな作品の一部になりたい。その方にいつか撮影してもらうのも夢の一つです。
 そういった憧れは持つものの、作品の中のモデルさんは外国人だったり若い子だったり、経験積んだ人だしポージングもできるし、って自分にないことばかりにフォーカスしていました。でも、うだうだ言ってるだけじゃ何も進まない、一回経験しなきゃと思って、撮ってくださるカメラマンさんをSNSで探して、ポートレート撮影をお願いしました。その人のおかげで第一歩を踏み出せた感じがあります。

 その経験があったからこそ、すごくおしゃれな写真を撮るカメラマンさんに声をかけて、ビジネスバッグができたら自分がモデルになるので撮ってもらいたい、とお願いができました。
 バッグは出来上がりが遅れていてなかなか実現ができずにいるんですが、アクセサリー雑貨を作って販売している友人が、私をモデルに使って商品撮影をしたいと言ってくれたんですね。その撮影に、その(バッグを撮ってもらうお願いをした)カメラマンさんを推薦したら、友人も賛成してくれて、この7月に初めてスタジオ撮影をしました。それはもう、めちゃくちゃ楽しかったです。 

 やろうと思ってることを、ちょっとずつ着実に進めていけているんじゃないかと思います。資金がふんだんにあるわけじゃないんで、あれもこれもできないですけど、できる範囲でやっていきます。 

(終わり)

※──の付いている発言はインタビュアー田中の発言です。

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