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イズモアリタさんへのインタビュー/第1回「表現者になると決めた時」

テキスタイル作家のイズモアリタさんにインタビューしました。
第1回では、テキスタイルデザインを始めたきっかけや、ご自身の中に存在するというプロデューサーとしての自分について伺っています。

自分を表現することにためらいを感じている方に、ぜひ読んでいただきたいインタビューです。

<イズモアリタさんプロフィール>
島根県出雲市出身。
女子美術大学などで講師として造形指導を行う他、0~5歳児の絵の先生もしている。
また、星とタロットの図案作家でもある。

いきなり一念発起して表現者に

ーーテキスタイルデザインを始めたきっかけを教えてください。

これがかなり爆弾な話になるんです。
私自身はテキスタイルデザインの基礎とか学びっていうのを一切してません。
29歳ぐらいの時にいきなり表現者になろうと一念発起しました。

それまで美術的な教育は一切受けてません。
ただ、幼い時から何かと描くのが好きっていうのは一貫してあったんです。

その中で、29歳ぐらいから表現活動を志すんです。
そこでいろんな模索をしていきました。

テキスタイルは、キャンバスに描いた絵やデジタル上で表示されるものとは違って、例えばワンピースとか身に付けるものになっていきますよね。

そうすると、汗を吸収して暮らしを共にするわけですよ。
手から生まれたものが、カーテンとかソファとかいろんなグッズになって、生活の細部に行き渡って私たちに寄り添っていく。

そこに気づいた時にものすごい天啓が閃いたようになりました。
それが35歳なんです。

そこから夢中でテキスタイルの世界観をプレゼンしたら、ほんとに優秀な技術者の方とか専門性の高い方がウワッと集まってきました。
チームを結成してブランドを興したっていうのが始まりです。

ーー29歳の時に表現者を志したのは、何かきっかけとかあったんですか?

それまでは、好きなものとかやりやすいものが人から喜ばれて仕事になる、っていう仕組みを教えてくれる人が誰もいませんでした。

嫌なことを我慢して、外からの知識を蓄積して、誰よりも蓄積した人が優れたポジションを得られる。
そういう仕組みを教えてくれる大人しか残念ながらいなかった。

あるいは、教えてくださる方がいらっしゃっても、それをちゃんと聞く耳がなかったかもしれないんですけど。

20代の頃は、いろいろ生きてきたけどどうにもこうにも自分の居場所がない、心の奥からワクワクしない、という悩みがずっとあったんです。

そんな中である日、ほんとに自分がやりたいこと、ほんとにやりやすいこと、他の誰でなく私が描くものとか私が発想することを喜んでくれる人がいる、その仕組みがきちんと自分の世界観を示してくれる、ということにようやく気づきました。

それまで29年かかったっていう話です。

ーー先日のトークイベントの時に、アリタさんは「中2ぐらいから社会に自分の感性が適合しないと感じていた」と仰っていました。

29歳の時に表現者として生きていくと決めて、いろいろ活動されていく中でその感覚って変わっていきましたか?

私流の言い方になっちゃうんですけど、私の中で一貫して全くブレない自分の感覚があるんですよ。

引っ越しがあったのでよく覚えてるんですけど、2歳ぐらいの時から私という意識の記憶が始まるんですよね。

家族の光景であるとか、テレビジョンから見える当時のいろんな世相であるとか、見て感じてることのつながりの中に一貫した私がいる。

その中でたぶん、中学の時は先生から教わることとかクラスメイト達の価値観みたいなものに対してほんとに意固地みたいな感覚を持ってました。

自分が素直に発言すると、即バカにされるんじゃないかとか、すごくエキセントリックに映るんじゃないかとか。

子供の時と比べて思春期って自分で自分を外から見始める。
その辺りからもともとあった苦悩みたいなものがより鮮やかになりました。

そっから深層心理学とか東洋哲学とかいろんなものを探すようになった経緯がありますね。

自己不在感があって探すっていうフェーズから、29歳ぐらいに自分自身を表現してもいいんだっていうフェーズに変わりました。

表現していいんだっていう許可が得られたようなイメージです。

自分の中のプロデューサー

ーー「恥ずかしい」とか「バカにされたらどうしよう」とか思ってなかなか自分を表現できない人もいると思うんです。
そういう人ってどういう一歩を踏み出していけばいいんでしょうか?

私、その方々の発想ってある意味正しいと思います。

そういうパターンに陥ってらっしゃるというのかな、そういうフェーズを学ばれてる方には、私もすごく学んできたんですけど、「もう傷つきたくない」っていうワードがあるんですよ。

素直にやった時に親からメチャメチャ怒られたとか、素直な発言したら「その考え方は間違ってる」って学校の先生から言われて、それをクラスメイトの人たちがみんなで笑ったりとか、たぶん何がしかの傷っていうのをみんな受けています。

「もう傷つきたくない」というセルフプロデュースが働いてると思うんですよ。
そんなこと言っちゃだめだよねとか。

歴史振り返っても、ある発言によって連れていかれて拷問にあったりとか、命を失ったりとかね。
そういう歴史って、今でも国によってはあるわけで。

やはり、自分を外から客観視して社会に適応するようにプロデュースする、生存戦略っていうのかな、それはきちんと自分を生き残らせるために大事なことです。
だから、そのフェーズを学んでらっしゃる皆さんほんとに適正だと思います。

でも、そこに順応していったら順応だけで人生が終わってしまう。
もっと創造的な生き方、自己実現の種をもう一個の視点から持ち始めるっていうことはほんと大事かなと思います。

ーー「自分を表現できないのはダメなんだ」とか思ってる人は、今のお話を聞いて救われた気持ちになるんじゃないかと思いました。

「これはこれで自分を守るためにやっているんだ」って思ったら、自分を責めなくなるのではないかと。

ご質問に対して、これ私が話したいなあってとっても強く思ったことなんですけど、私自身の中に自分のプロデューサーがいるんです。

あともう一人、そのまま素直に生きたら異端者になる自分がいて、その二人で二人三脚でブランディングしてきましたね。

素直な自分が誤解されないように、その自分のよさをどうやって伝えたらいいんだろうって考えて翻訳するプロデューサーが私の中にいる。

プロデューサーがいなかったら、たぶん29歳からの展開ってなかったと思うんです。

ということは、本心が言えずに演じて、自己矛盾で苦しむシーズンは、ちゃんと自分の中の本当を表現するプロデューサーを育てている時期なんですね。

迎合とかね、適応だけで一生終わるんじゃないかっていう概念・観念に囚われていることだけがネックなんです。

自分を合わせようと、本心を偽って何とか適応しようとする。
それってすごく健気というか、愛おしいぐらいのがんばっている姿だと私思ってます。

ー第2回へ続くー

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