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進学か。就職か。起業か。

「就職にする?それとも大学行くの?」

高校3年生。部活を引退した6月くらいの、クラスメイトの話題はこればかりだった。

頭のネジが外れまくってた私は違和感を感じていたし、同じ話しかされないのでムカついていた。

ちなみに捜索願いを出したいくらい、頭のネジが外れた私(石田)が、なぜ違和感を感じていたのか。理由は「なぜその二択でしか考えられないんだよ」と感じていたからだ。

今振り返ったら完全に狂っている。しかし私は、フリーターが馬鹿にされたり、起業すると言うと冷やかされたりするのが本当に嫌だった。

そして私がこれから話すのは、インターンを通して、若者が考えたプロジェクトに対して、真摯に相談に乗る大人を目の前にして感じた、若者の正しい進路の決め方である。

フリーターだってかっこいい

私は「フリーターはイケてる」と心から思っている。働いた分だけのお金だけもらい、休んだらお金はもらわない。まさに全て自己責任。この責任感は世間一般のサラリーマンの中にも、学ばなければいけない人はいるかもしれない。もちろん、会社員の仕事に対する責任感も十分に分かっているつもりだし、皆さんのおかげで日本が回っているのは百も承知である。私がぜひ学んで欲しいのは、「フリーターという選択もある」ということである。

フリーターはなぜか馬鹿にされる。理由は社会的信用度が低い(銀行からの借り入れがしにくいなど)とか、いろいろあるし、社会に対しての愚痴ばかりで言い訳ばかりでフリーターをしている人もいるかもしれない。しかし、だからと言って馬鹿にしたり見下したりするのは、「お前ら対して強くねーのによく毎日練習してんな」と他人を馬鹿にして、自分は何も積み上げをしない帰宅部と同じである。

どうか、「どこにも属さずに信念を持って仕事をする」という選択肢もあるということを知って欲しい。そして、若者のそのような意見に、否定的にならないで欲しい。

Fランだって良いじゃないか

「大学行っても仕事ができないなら意味がないな」

確かに間違いではないとは思う。しかし納得はできない。

納得できない理由は二つ。

①単にその人が、その業務や環境と相性が悪い可能性があるから。

②頭の良い人から「学力なんて意味なかったわ」という言葉を聞いたことがないから。

「Fランは行く意味がない」とはよく耳にするが、私は高校を卒業して、すぐに働き始めたので、正直Fラン大学生も羨ましい。大学ライフを経験していないからだ。大学に行けたかどうかと言えば、大学に行くことは全然できた。別に自分の選択に後悔はしていない。何歳になっても教育を受ける権利が日本人にはあるから、大学は後でも行ける。しかし自分が経験していないことを経験しているという目で見てしまうので、羨ましいと感じる。

そして何よりも、私は大学を、様々な経験の宝庫だと感じているからだ。

国際交流、インターンシップなど、伸び伸びと創意工夫できる環境だと勝手に思っているので、「大学生が羨ましい」と感じてしまう。 

もちろん大学4年間を、特に何もせずにただ遊んで終わりなら、意味がないと言ってしまうかもしれない。しかし自分次第で様々な体験をできるという点では、Fランだろうが大学生活は大きい経験だと思う。

サラリーマンこそ日本を支える存在だ

私は記事を書くとき、MacBookを使う。ではMacBookは誰が作って誰が販売する?スティーブ・ジョブズではない。部品を作るサラリーマン。ソフトウェアを設計するサラリーマンなど、多数のサラリーマンによってMacBookが作られて消費者の手元に届く。そして今日も私は記事を書くことができる。そんな消費者であるわたしもサラリーマンである。サラリーマンによって作られた製品をサラリーマンが消費をする。今回のざっくりとした話で言えば、サラリーマン同士で経済を回しているのだ。

わたしは何を言いたいのか?つまりサラリーマンはなくてはならない存在であり、人に楽しさや喜びを与えるスーパーカッコいい存在だということである。

「お金を稼ぎたいならサラリーマンのままでいいのか?」みたいなことがビジネス書に書いてあるが、「お金持ちになる」というワードに目を向けたときに「サラリーマンのままだと難易度が高いよ」っていうだけで、ある程度お金を稼ぐくらいならサラリーマンでもできるし、十分幸せだ。

人によってはサラリーマンを「毎日同じ時間を制限されてて、奴隷みたい」とか「どんなに頑張っても給料は同じでかわいそう」って思う人もいるかもしれない。

そんな人に問いたい。

クレヨンしんちゃんの野原ひろしをカッコ悪いと思う人はいるか?

きっと全ての日本人にアンケートを取ってもカッコ悪いと思っている人はいないだろう。

私は脱サラをする予定だ。それは決してサラリーマンが地味でダサいと感じたからではない。「自分でやってみたい」と思い、ワクワク精神に満ち溢れてしまったからである。

もし皆さんの周りにも、サラリーマンを馬鹿にする人がいたら、「じゃああなたは野原ひろしを馬鹿にするのね」と呟いてくれ。もちろんその後の人間関係については自己責任でお願いします。

最上級の楽しさと恐怖を感じる起業

私はこの4月に起業をするかもしれない。起業と言うより、開業すると言ったほうが正しい。少し「起業」と言うのは大げさかもしれない。

今の私の心境は、楽しさよりも恐怖。ビビっている。

楽しさもある。旅行に行くときのようにワクワクする。しかし今はそれよりも「治安いいかな。宿の人怖くないかな。風邪ひかないかな。」という不安な気持ちのほうが大きい。

最初は一人でやっていくが、そのうち人を雇いたい。この時点でサラリーマンとは違う。サラリーマンは雇われる側。起業をして社長になったら雇われる側だ。

そしてサラリーマンは家族を守る。それに対して社長になって人を雇ったら、雇った人とその人の家族を守らなければいけない

責任が重大すぎる。言ってしまえば、自分とは全く関係のない他人の生活を守らなければいけないのだ。

まだ人を雇えるくらい稼げるのかも分からないのに、「雇う側になるのか」と思うと、怖くて貧血になってしまう。しかしこんなものは、私が起業をやめる理由にはならない。

私の夢は「大人が子供のように生きる社会作り」だ。

子供のように伸び伸び学ぶ。子供のように無邪気に笑う。子供のように黙々と何かに熱中する。

友人と飲みに行ったら「あの頃は楽しかったな」じゃない。「今からぶち上げていくぜ」だ。

飲みの場は会社の愚痴武道会の会場ではなく、夢と希望を語り、実現の種になる場にしたい。

もし、私の脳内の社会が実現できたら、サラリーマンが子供のように仕事に熱中してしまうので、離婚率が高くなるかもしれない。

長くなったが、起業を考えている若者には、ぜひ実行してほしい。無計画や無謀な実行はダメだが、多少怖くても起業してほしい。

ビビるくらいがちょうどいいだろう?どうせ世の中、これからどうなるか分からない。タピオカだって誰も流行るなんて予想してなかった。ぴえんなんて意味が分からない。何が起こるかわからないんだ。だから、起業して失敗で終わるかだって分からない。

この一つを若者に伝えたい

常識を疑え

人間は人それぞれだ。ローランドのように、自分か自分以外かなんだ。

みんな同じ教育を受け、学校に行った後に社会人になる。結婚して家庭を持ち、マイホームを築く。

これが常識だ。しかし若者よ。言われた通りの、他人のレールを生きるのは楽しいだろうか?

もちろん楽しさを感じる基準は人それぞれだし、幸せだって人それぞれ。それは百も承知だ。私が言いたいのは、「放っておけ」とか「反応するな」ではなく、「ちょっと周りと違うことをしてても、批判をしないでくれ」ということ。

よく水泳の授業を休む人に対して、「あいつまたサボってる」じゃなくて、「どうして休むのだろう」と考えてほしい。休んだ人はもしかしたら、水に対して嫌な思い出があるのかもしれない。もしかしたら病気か何かで、運動自体ができないのかもしれない。

大人になればなるほど、常識をまるで守らなければならないもの、のように考えてしまう。確かに非常識はダメだ。しかし持論だが、大人の役目は常識を守ることでなく、他人を幸せにすることだと思う。そこには常識に悩まされている人も対象になる。

起業をするというのは、他人と少し違うことをすることになる。批判や冷やかしを受けるかもしれない。多大なリスクを背負わなければいけない。しかしあなたが起業をすることで他人を幸せにするのなら、高校生だとか大学生だとか、そんなの関係ない。

常識を疑ば、きっと視野が広がり人生の分岐点が多くなるだろう。多数の選択肢の中で、一番他人を幸せにできる道を選んで歩んでいってほしい。


以上

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