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【有名建築家の生涯】ミース・ファン・デル・ローエ

インテリアBiz+のasaです♪
インテリアコーディネーター資格試験に臨む方には必ずおさえて頂きたい有名建築家・デザイナーにスポットを当てる【有名建築家の生涯】。
今回は近代建築の三大巨匠のうちのひとり、ミース・ファン・デル・ローエを取り上げます。

大学で建築教育を受けず、建築家の道へ

ミース・ファン・デル・ローエ

ミース・ファン・デル・ローエは、本名をルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエといい、1886年にドイツの西部の都市アーヘンで、父・ミヒャエル・ミースと母・アマーリエ・ミース(旧姓ローエ)の息子として誕生しました。
父・ミヒャエルはネーデルラント系の移民で、墓石や暖炉を主に扱う石工職人として生計を立てていました。
成長すると、ミースは大学で正式な建築学を学ばず、地元の職業訓練学校で製図に関する教育を受けた後、漆喰装飾のデザイナーとしてキャリアをスタートさせます。

バウハウスの校長を務めた後、アメリカに亡命

1919年設立のバウハウス。美術・建築に関する総合的な教育を行うも1933年に閉鎖

その後、1906年からブルーノ・パウルの事務所に勤務し、パウルの事務所の同僚の紹介で、1907年に最初の建築作品であるリール邸を手がけました。
その仕事が認められたことにより、1908年~1912年まで建築家ペーター・ベーレンズの事務所に勤務。
基本設計以外の詳細図などを描く設計士として在籍し、実務を通じて建築を学んでいきます。
そして1912年に独立して建築事務所を開業し、様々な名建築を手がけ、画期的な思想や概念を生み出していきます。
ミースの経歴を語る上で必ずおさえておきたいのは、ヴァルター・グロピウスの紹介により、1930年からバウハウスの最後の校長を務めたということです。ミースは1933年にナチスによってバウハウスが閉鎖されるまで校長を務め、その後アメリカに亡命し、1969年に亡くなるまで精力的に活動を続けました。
続いては、彼の手掛けた作品のいくつかをみていきましょう^^

代表作①トゥーゲントハット邸

ユダヤ人実業家・フリッツ・トゥーゲントハットの依頼で設計されたトゥーゲンハット邸

ミース・ファン・デル・ローエの初期の代表作とされているのが、1928年~1930年にかけてチェコスロバキアのブルノに建築されたトゥーゲンハット邸です。
この邸宅は1992年に、チェコとスロバキアが分離独立を決めた際、調印式が行われた歴史的な名所でもあり、2001年には世界遺産に登録されています。
トゥーゲンハット邸の建築物としての最大の特徴は、近代建築の五原則のひとつである「自由な平面」の概念を発展させたことにあります。
近代建築の五原則と言えば、インテリアコーディネーター資格試験でも問われる重要な語句。「ル・コルビジェによって提唱された近代建築の原則」のことでしたね^^ここでしっかり頭に入れておきましょう。

近代建築の五原則
1.ピロティ 
※2階以上の建物で、地上部分を柱のみ残して外部空間とした建築形式
2.屋上庭園 
3.自由な設計図 
4.水平連続窓 
5.自由な平面 

トゥーゲンハット邸の室内は「自由な平面」の概念に基づき、機能的に結び付けられた空間(食堂や書斎など)が、仕切られることなく配置されています。
また建物は鋼鉄製で、室内の柱は十字形でステンレスの幌(とばり)が付けられ、それはより自由な空間設計を可能にするものでした。
庭に面した窓は光を最大限取り入れるために、全面ガラス張りになっています。

代表作②バルセロナ・パビリオン

現在はミース・ファン・デル・ローエの記念館になっているバルセロナ・パビリオン

バルセロナ・パビリオンは1929年のバルセロナ万国博覧会のドイツ館として建設され、モダニズム建築の傑作の一つとして知られています。
大理石の一種であるトラバーチンの基壇を上がると、建物内部には広い水面が広がっています。
パビリオンの主要部分は、長く水平に伸びる薄い屋根を8本の十字形断面の鉄柱が支える構造となっています。
石やガラスの壁は構造から独立して自由に配置されており、流動的な空間が形作られ、石材にはオニキスやテニアン大理石、トラバーチンといった高価な素材が使用されています。
中心部分にあるオニキスの壁も非常に特徴的です。

バルセロナ・パビリオン中心付近にあるオニキスの壁

代表作③バルセロナ・チェア

またバルセロナ・パビリオンとあわせて覚えておきたいのが、バルセロナ・チェア

「ハサミ」をイメージしてデザインされたバルセロナ・チェア

こちらの椅子はインテリアコーディネーター資格試験にもよく出題されますので、しっかり覚えておきましょう。
ミースは「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)という名言を残していますが、バルセロナ・チェアはその言葉を裏付けるように、シンプルでありながら細部まで緻密に計算されたデザインが特徴と言えます。

代表作④ファンズワース邸

ミースによる最後の住宅作品で、その建築思想が最も反映されていると言われるファンズワース邸

1951年に竣工されたファンズワース邸は、もともとはシカゴの女性の医師・エディス・ファンズワース氏のための週末住宅として建てられました。
地上から1.5mほど持ち上がった高床の建築になっており、これが鉄とガラスでできたファンズワース邸の独特の存在感を醸し出しています。
また前面にあるポーチも含め、水平方向のラインが美しく、周辺環境と見事に調和しています。

ミースが提唱した「ユニバーサル・スペース」の思想が昇華された内部構造

また、ファンズワース邸はミースが提唱した「ユニバーサル・スペース」の概念が昇華されたつくりとなっていることも特徴です。
「ユニバーサル・スペース」は、柱と梁によって構成されたラーメン構造による均質な空間で、空間を自由にデザインできるという利点があります。
オフィスが入った高層建築に最適な概念で、ファンズワース邸はそれを住宅に適応したものとして高く評価されています。

代表作⑤シーグラム・ビルディング

1958年に竣工したオフィスビル。アメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている

アメリカ・ニューヨークのミッドタウンに建設されたシーグラム・ビルディングは、ミースとフィリップ・ジョンソンが共同で設計した超高層オフィスビルです。
シーグラム・ビルディングは、内部空間に仕切りのないフロアが続いており、用途や目的に合わせて自由に仕切ることが可能であるという点で非常に画期的でした。
ミースは建物の構造を外に出して表現しようと考え、構造部材が外部から見えるように設計しました。
本当の構造を隠し、I 形鋼の形のブロンズ材を表面に配置し、このブロンズ材が表面のガラスの間を仕切るかのように水平に走っており、外からでもよく見ることができます。
ビルの外観に完璧な規則正しさを求めたミースは、窓のブラインドにまで配慮しました。少しでも均一な印象にするためにミースはビルに設置するブラインドを、三段階しか調節できないものとしました。
このビルはその後のアメリカの建築様式に影響を与え、シーグラム・ビルディングに倣ったオフィスビルがたくさん建築されるようになりました。

20世紀モダニズム建築を代表する建築家

いかがでしょうか?
今回は近代建築主義のコンセプトの確立に貢献した偉大な建築家である、ミース・ファン・デル・ローエの生涯と作品についてみていきました。
インテリアコーディネーター資格試験を受けられる方には参考になる内容だと思いますので、この機会にしっかり覚えておいてくださいね^^
では、また♪