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【インテリアを勉強中の方へ!おススメの一冊】『茶の本』

インテリアBiz+のasaです♪
今回は1906年(明治39年)にアメリカ・ボストン美術館で中国・日本美術部の部長に就任していた岡倉天心によって書かれ、ニューヨークで出版された『茶の本』をご紹介致します。
本書では日本や中国の様々な文化がアメリカやヨーロッパの人にもわかりやすく紹介されています。現在の私たちが読んでも新鮮な発見に溢れた一冊です♪

著者紹介

著者の岡倉天心は、本名を岡倉覚三といい、1863年(文久12年)に現在の神奈川県横浜市で生まれ、その後東京に転居し、東京美術学校(東京藝術大学の前身)の設立に貢献し、日本美術院の創設にも携わりました。
天心は近代日本を代表する美術史研究者であり、1904年(明治37年)からはアメリカはボストン美術館の中国・日本美術部長として啓発活動を行ったことで知られています。
英語による多数の著作を残し、美術史家・美術評論家として活動した他、美術家の養成も積極的に行い、近代日本における日本美術概念の成立に大きく寄与しました。

『茶の本』が出版された時代背景とは

『茶の本』が出版された当時、日本は激動の時代を迎えていました。
1894年(明治27年)には日清戦争が、1904年(明治37年)には日露戦争が勃発し、勝利を治めた日本は世界中から注目を集めます。
200年以上に亘って鎖国をしていた極東の小さな島国が立て続けに大国を打ち負かした強さの秘密を知りたい、という欧米からの要望を受け、1900年(明治33年)には新渡戸稲造により『武士道』が英文で出版され、ベストセラーとなります。
しかし、そんな世間の反応に危機感を覚えたのが天心でした。
彼は『武士道』には、本来日本人が持っている平和思想や慈悲の心、自然への畏敬の念など重要な側面が語られていないと考えたのです。
そうして生まれたのが『茶の本』です。

「茶」とはそもそも何なのか?

本の冒頭では「茶」とはそもそも何か、「茶」がどのような歴史の中で育まれて今に伝わっているのか、といったことが丁寧に語られています。中でも印象深いのは以下の文章です。

茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。
というのは、倫理、宗教と号して、天人に関するわれわれいっさいの見解を表しているものであるから。
それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。
それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりむしろ単純のうちに慰安を教えるから。
それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。
それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主主義の新精神を表している。

天心は、一杯の茶を飲むことから多くのことを学べる、と主張します。
彼のいう「茶」は飲み物としての茶であり、茶室であり、茶道であり、つまり茶に纏わる全てのものを指しています。

東洋や日本文化に対する畏敬の念

また驚きなのが、本書の中には「脱亜入欧」が叫ばれていた時代にあって、中国やインドといったアジア諸国に対する畏敬の念が込められているという点です。

いつになったら西洋が東洋を了解するであろう。
否、了解しようと努めるであろう。
(中略)
インドの心霊性を無知といい、シナの謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といってあざけられていた。
(中略)
西洋の諸君、われわれを種にどんなことでも言ってお楽しみください。
アジアは返礼いたします。

ともすれば、アジア各国を見下げる風潮があった当時の日本人である天心が、アジアの一員として東洋の魅力を熟知し、紹介していたのは驚くべきこと言えます。

道教と禅道

道教

茶の湯の文化は禅の儀式が発達したものである、と天心は語ります。
そして元をたどれば、禅道は道教の影響を強く受けているのです。
道教は中国春秋時代(紀元前8世紀~紀元前5世紀)の思想家、老子を始祖としています。
老子は絶対は相対であるといい、社会の法律道徳を罵倒しました。というのも彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったからです。道教徒は「一定」「不変」は単に成長停止を表す言葉に過ぎない、と主張します。
また老子は「虚」という概念を生み出します。

例えば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見いだすことができるのであって、屋根や壁そのものにはない。水さしの役にたつところは水を注ぎ込むことのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配することができるのである。

このように「物の真に肝要なところはただ虚のみ存在する」と述べているのです。

禅道

そして禅に注意を向けてみると、それは道教の教えを強調したものであることがよくわかります。
禅は梵語の禅那(ぜんな)から生まれた言葉で、その意味は静慮である、と天心は述べています。静慮とはその名の通り「心を落ち着けて静かにおもいをめぐらすこと」。
禅では、精進静慮することによって自性了解の極致に達する事ができるとされています。
茶道の一切の理想は、人生の些事の中にでも偉大を考えるという禅の考えから出たものである、と天心は主張します。

禅の主張によれば、事物の大相対性から見れば大と小との区別はなく、一原子も大宇宙と等しい可能性がある。極致を求めんとする者はおのれみずからの生活の中に霊光の反映を発見しなければならぬ。
禅林の組織はこうゆう見地から非常に興味深いものであった。
始祖を除いて禅僧はことごとく禅林の世話に関する何か特別な仕事を課せられた。

このようにして禅宗の寺院では、庭の草むしりをしながら、あるいは茶をくみながら、いくつもの重要な議論が行われてきました。
道教は茶道に審美的理想の基礎を与え、禅はこれを実際的なものとして形にした、ということがお分かり頂けると思います。

禅道の極意が集約した茶室

わが国の偉い茶人は皆禅道を修めた人であった、と天心は述べます。
茶人たちは禅の精神を現実生活の中に取り入れようと企て、その結果茶道においては、その部屋のつくりや設え、所作に至るまで全てにおいて禅の影響がみられます。

正当な茶室の広さは四畳半で維摩の経文の一説によって定められている。
その興味ある著作において、馥柯羅摩訶秩多(びからまかちった)は文殊師利菩薩と八万四千の仏陀の弟子をこの狭い部屋に迎えている。これすなわち真に覚った者には一切皆空という理論に基づく例え話である。

禅は仏教の有為転変の説と精神が物質を支配すべきであるというその要求によって家をば身を入れるただ仮の宿と認めた。その身とてもただ荒野にたてた仮りの小屋、あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎーこの草の結びが解けるときはまたもとの野原に立ちかえる。茶室において草ぶきの屋根、細い柱の弱々しさ、竹のささえの軽やかさ、さてはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着らしいところにも世の無常が感じられる。

わが国の古典的屋内装飾はその配合が全く均斉を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美は「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見出される。
(中略)
禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表すのみならず重複を表すものとしてことさらに避けていた。意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた。

このように天心は茶室に限らず、禅が近世以降の日本の建築物に与えた影響について詳細に述べています。
現代に生きる私たちの生活や心の中にも確かに存在するけれど言葉にできなかった精神の有り様が綴られていて、感動すら覚えます。

茶室と西洋建築

また天心による茶室と西洋建築との対比も非常に興味深いです。

かくのごとくわが茶室の装飾法は、現今西洋に行われている装飾法、すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているような装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。装飾の単純、装飾法のしばしば変化するのに慣れている日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品のおびただしい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。

このような記述から見ても、天心の西洋建築に対する見方は辛辣であるといえるでしょう。その上、天心は一個の傑作品でも絶えずながめて楽しむには多大の鑑賞力を要求するのに、様々な美術品を惜しげもなく一室に陳列する西洋人の優雅な心はさぞがし際限もなく深いものであろう、という皮肉まで述べているのです。
明治時代、東洋文化が浸透していなかったアメリカで出版された本書が読者にどのような心象を与えたのかも気になるところですね^^

東洋文化への敬意が詰まった一冊

いかがでしょうか?
本書は「禅」や「茶道」「道教」に至るまで耳馴染みのない言葉が非常にわかりやすく解説されており、100年以上前に出版された本であるにも関わらず、おもしろく読むことができました。
天心の東洋文化に対する誇りのようなものも感じられ、胸が熱くなります。
機会があれば、是非読んでみてくださいね^^
では、また♪