すべてが運であり運が実力である。
最近救われた言葉がすべてが運である。
この世の中運であるということ。
小さい頃から頑張ればできるとなんだかんだ言われてきた。
自分は野球をやっていたが丁度いいぐらいにうまくできてしまい、あと少しでうまいと言われる人たちと肩を並べられるんじゃないかぐらいの位置だったとおもう。
周りの大人にも期待され、それなりに試合などにも出してもらえた。
期待に答えようとして、頑張ろう。
どうやったらうまくなれるだろうか、ずっと考えて何かをしようという思考の中生きてきた。
結果はうまく行かないことのほうが多かった。
自分の中ではやり方が悪かった、うまくいかないのは自分のせいなんだという中で生きていくことになっていた。
そのまま社会人になり、たまたま今の職は自営業だった。
そこで思うことが多くあった。
なんでこの人が社会的にうまくいっているのかと思ったり。
自分が対して野球をやっていたときに比べたら努力をした気がなくても、人が評価してくれたり。
逆に自分の中でそれなりに頑張ろうと思ってやったとしても評価が良くなかったり、結果が出なかったりした。
頑張ればなんとかなる、こうやればうまくいくという法則というものが当てはまらないことが多すぎた。
経済の中ではよくいろいろと法則を見出そうとしたり、こういうのがうまくいくということがよくいわれる。
しかしそこには何かしらの法則通りにうまく行かないことが多いではないだろうか。
人の能力値は何に向いている、何が好き、なんてものは本当に運だと思う。
また、努力ができるかどうかすらも運に左右される。その人の環境なんかは特に運に左右されたり、様々な運要素が大きく絡み編み合っている。
あなたの周りにも一人はいるのではないだろうか、この人すごい能力あるな、という人が社会的に評価されていなかったり、逆になんでこの人が自分よりも評価されているのだろうかと。
要するに世間的には努力はすべき、能力は高くするほうがいいと言っていたとしても実社会は運の部分のほうがその人の評価を大きく左右することのが多いと思う。
頑張る文化、努力文化は人を悩ませてしまうケースが多くなった世の中で運がすべてのことに多く寄与していて、運が悪かったからだという言い訳することができたほうが、人間として幸せで、楽しい人生が遅れると思う。
よく考えればわかることだが、財に限界があるのだから、これをすれば儲かるなんて法則はなく、それの恩恵を受けられるのは一部だけでしかないということを知り、考えすぎず、やれることをやりあとは運だと思う世の中のほうが幸せな人生だと思うようになれた。
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