未だ曾て有らずの日々

「これは戦争だ。」と投稿したのが、1ヶ月ほど前になる。
前回の投稿の後、新種のウイルスで、専門家ですら解明途中の未知の存在である新型コロナについて、ド素人の自分が書き続けるのは無責任の極みではないだろうか、と思い、別のテーマで書こうとしたのだが、あれよあれよという間に新型コロナは日本と世界に広がり、中国・武漢だけなく、イタリアをはじめとするEU、イギリス、アメリカへを広がっていき、世界は未曾有の事態に陥ってしまった。
「世界は未曾有の事態に陥ってしまった。」こんなプロの小説家でなければ許されない中二病すれすれの表現を使用する日が来るなど想像できたであろうか、この令和の時代に!

ともあれ、私たちの生活は1ヶ月と経たないうちに変わってしまった。
都内勤務の一般事務職である私に最初に起こった変化は、「一日の最低限の業務が終わり次第、定時前でも退勤せよ」とお達しがあったことだった。
最高にテンションが上がった。なんなら職場で「Foo!ご英断!」と叫んだ。
その頃は外出自粛が叫ばれ始める少し前だったので、職場の周りに余りある飲食店や販売店は通常営業をしていたし、街に人も溢れかえっていた。
もちろん遊びたい気持ちもあったが、以前の投稿で書いたように、私には高齢で病人の両親がいる。テンションが上がったのは、定時前に退勤することで、親を感染させるリスクが低くなるからだ。定時での退勤は、どうしても通勤時間帯の混雑は免れないし、食料の買い出しのために人で溢れるスーパーにいくことになってしまう。
土日はなるべく自宅から出ずに過ごしたいと思っていたので、昼食を抜くかデスクで作業片手に摂取するかというスタンスに移行し、爆速で作業を終わらせることに焦点を当てて業務を行った結果、毎日15~16時ごろには退勤することが可能になった。業務量は変わっていない、というより、年度末だったこともあって少し多くなっていた時期であったので、決して給料泥棒ではない。
早めに業務を切り上げれば、その分、土日に回していた買い出しや家事ができる。その途中で何度かスタバや本屋に寄ったこともあったが、そのどれもで滞在時間は20分にも満たなかったのでご容赦いただきたい。日々の細やかな幸せは重要ですぞ。

外出自粛が騒がれるようになってくると、嫌々お達しを出していたお上も無視することができなくなったらしく、次に出たのが「業務を集約し、自宅待機日を作れ。ただし、自宅待機は有給消化とする」だった。これには喜ばしいながらも、少々不満を感じずにはいられなかった。
私の雇用形態は少々複雑で、あまり詳しく書くことはできないが、在籍している企業とは別の場所に出向している状態なのだ。つまり、出向先の指示と、所属企業の指示の両方に従わなくてはならない。
2度目に出たお達しで、自宅待機日を作れ、は出向先の指示、自宅待機日は有給消化が所属企業の指示だった。ナメた口をきいてくれる。会社の指示で自宅待機をしているのに、有給扱いになるなんて筋が通らねぇ。

そんな愚痴をこぼしていたためか、あるいはその後に出た東京都の外出自粛要請を受けてか、所属会社の方で今回限りの特別休暇制度ができた。おそらく後者の影響だ。平社員の愚痴など誰も聞いちゃいねぇ。こうして、自宅待機をしていても有給消化や欠勤扱いでの減給にならずに済むようになった。
様々な世論が飛び交っているが、私は自分の身の丈にあった生活ができれば良い、という考えであり、かつ、仕事のみに人生を捧げるなど愚の骨頂、人生は学びのためにあり、生活に困らない金があれば仕事などしないと公言している人間なので、減給がないのであれば自宅待機は大歓迎だ。

とは言いつつも、私も一端の社会人なので、小指の爪の先程度の責任感はあり、緊急事態宣言が出された現在も出社を続けている。
つい一昨日、突然、1つの街でも形成しているのではないかと思う程大きく、病院や博物館かカフェが内包されている常駐先の本社に呼び出され、「失くしたら罰金3万円、かつ1万人以上の従業員が見ている社内インフォメーションサイトで実名での遺失物報告をする」という脅迫まがいの契約に、強制的にサインをさせられ、それと引き換えに在宅ワーク用PCを貸与されたため、週2回という極めて最低限の日数のみではあるが、出社した日はまた最低限の作業をこなして定時前に退勤をしている。

私のようなパターンは珍しいのであろう。
自宅で過ごす日々については、実は、だいぶ悲惨な状況を覚悟していたせいか、思ったより快適である、というのが、今の率直な気持ちだ。家の中でしかできないことを消化しているので、気が紛れているせいもあるだろう。
また、金銭面に関しては、元々が大卒初任給ぐらいの手取りであるということを除けば、非常に恵まれているとも言える。中小企業はやむを得ない縮小営業を課せられ、個人事業主たちは職を無くしているのが現状だ。

ただ、当面の心配はないとはいえ、長期化するようなことがあれば、おそらく私も、何か対策を立てなくてはならないだろうと最近とみに思う。
緩やかに沈んでいく太陽を眺めている日々であることは間違いない。
こうした気持ちになったのは人生2度目だ。
1度目のことは、長くなるので機会があれば書こうと思う。

国の出した目安はゴールデンウィーク明けまでだ。
そこで終わりを迎えるのか、あるいは引き伸ばされてしまうのかは、今はまだ分からない。
この、未だ曾て有らずの日々を、慎重に観察していこうと思う。

‹了›

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